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30年前を思い出す(1月17日金)

阪神・淡路大震災から30年がたった。ここ連日、テレビ・ラジオや新聞で特集されている。
1995年の1月17日、私は今と変わらず京都市内に住んでいた。京都市でも震度5の揺れで、私が今まで経験した中で一番大きな地震だった。
当時は団地の2階に住んでいて、食器棚の手前に並べていた茶碗が何個か落ちて割れた。5階のお宅では食器棚ごと倒れた。それがヒーターの上に倒れたものだから、両方が使えなくなったらしい。
被害と言えるほどではないが、本当に怖い思いをした。

当日は、それでもいつもと同じように、子供を保育園に送っていき、私は仕事に行った。団地の敷地の一部に少し段差ができていて、ほんの少しだけひび割れていた。地震のせいかなと、その段差をまたいで出かけた。

本当に、保育園や仕事に行っていいのかなと、どこか変な気持ちだったけれど、ほかにどうしようもない。周りのみんなも、同じように不安がっていた。無理に平常心をつくっていたように思う。

日がたっていくと、友人や自治会や保育園から、兵庫県へ向けての支援物資を集める活動が広がって、うちにあった日用品などを用意した。そのときは、自分で考える力もなく、言われるように少しでも協力しようという意識だった。
リーダーの存在がたくましかった。



当時は3年日記帳に書いていた
1995年1月17日火曜日の私の日記


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