尊敬しているかたが 自分の夢を 自分でどれだけ信じられるかだと おっしゃっていたわ 夢は人それぞれだけれど 私の夢ってなんだろう 私の夢は 貴方との ささやかだけれどしあわせな 生活を 続けること 守ること 残酷な世界を生き抜くこと それに気付いたのよ
私は忌野清志郎氏のファンです。 「弱みなんか見せてたまるか!」というところなど、影響を受けています。 そのためネガティブなSNSをあまりしないようにしています。 そして、考えはできるだけ、詩、歌詞などの作品にしています。 私は最近毎日悲しくて泣いています。 不要不急の外出は控えるよう要請されている今、両親にしっかり守られている私でさえそうなのですから、一人暮らしのかたには孤独なかたもいらっしゃるでしょう。 「おやすみなさいませ」と私は恋人にほぼ毎日LINEをしています。
私は病気で体が弱く、沢山ライブをしたり、遠征ライブができません。そのため、CDを作っても、ライブで良い曲だなと思って買っていただくことができません。消去法で最後に残されたのが配信でした。 「物を売る」ということに関して勉強してみると、どんなに良い物を作っても、まず1回試してもらう、音楽なら1回聞いてもらうことがとても大切だと学びました。 そのため、私はFacebook企業アカウントで広告しました。 少し話が戻りますが、音楽配信についても勉強しました。そして、個人が配信す
私はサン=テグジュペリの著書、「星の王子さま」(Le Petit Prince)が大好きです。 「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」(内藤 濯 訳)と、キツネが王子さまに教えてくれるところが特に好きです。 愛はお花に水をあげるように育てなければ… 私は恋人とお付き合いを始めて、もうすぐ1年4ヵ月です。 日に日に好きになります。 恋人の長所も短所も全て好き。 もし他
2月16日に「ゴッホのひまわり」というBlogを書いた。 それ以後考えてきたが、「私の価値」とは他人が決めることだから、私には関係ないと思うようになった。自分を俯瞰して客観的に捉えられるようになりたい。 大不況の今、私にとっていちばん大切なのは愛する人と支え合って乗り切ることだ。 寄り添って、いっしょにいれればいい。 それだけで充分満足だ。 貴方と出会えたのは 奇跡? 偶然? 必然? 画像の絵「イタリア シエナ」 星宙(Hiroshi Hoshi) 2020年3月1
今年のバレンタインデー、私から恋人への手作り生チョコに添えたカードに書いたメッセージは 「私より1秒でも長生きしてね」でした。 私は病気なため、体力が健康なかたの1/10くらいしかありません。 そのためか精神的にはとても強いのですが、その反面とてももろくもあります。 恋人がいない世界で生きていくことに、耐えられそうにありません。 恋人は波乱の人生を歩んできて、とても多忙で、やはり身体は万全ではありません。 この現在という荒波の中、小さな小舟でふたり寄り添っているので
私はルーブルやオルセーなど様々な美術館へ行き、絵を見た。 そして、今まででいちばん心を打たれたのは、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館に常設展示しているVincent van Goghの「Sunflowers」だ。 私が見たのは2008年だ。ゴッホを好んでいた忌野清志郎氏がヨーロッパへ行き、晩年のゴッホの絵を見て少しがっかりした後、こちらを見て、「見てよかった…」と呟くより前だ。 1888年、南フランスのプロバンス地方、アルルの太陽の中、ゴッホはゴーギャンを迎える
私は分譲マンションの1階に父と母の3人で暮らしてきた。1階なので小さな庭があった。そこで父は野菜や果物を育て家庭菜園を、母は花やハーブを育てガーデニングを楽しんでいた。 今年1月28日に父は急死したが、雪下の土に昨年収穫した大根を5本埋めて保存していた。 記録的大雪だった雪も溶けてきて、先日母は土の中からその大根を全て掘り出した。 半分くらい腐ったり、傷がついていたりした。しかし、母は大事に腐ったり傷がついて食べられない部分を取り除いた。 そして、大根サラダや大根おろ
戦争が始まった お母さんと僕は難民になった お父さんは国を守るため国に残った もう二日間何も食べていない おなかがすいたけれど それよりもお父さんに会いたいよ
父が急性すい炎で急死して2週間経ちました。永眠する前日の朝まで普段通り散歩をし、朝食を食べ、雪かきもし、その後体調が急変しました。 父と母と私の3人で20年以上今の家で暮らしてきたため、まだ実感がわきません。 うちにあるもの、父の腕時計、父が散歩中に拾ったくまのプーさんのキーホルダーなど、何を見ても父を思い出し、私の顔はくしゃっとゆがみ、涙がぽろぽろと頬をつたい落ちます。 自室の机の上に家族3人で旅行中に母が撮ってくれた父と私のツーショットを入れた写真立てを用意しました
父が2022年1月28日午前9時53分に永眠いたしました。死因は急性すい炎です。 両親が27日夜に夜間救急病院へタクシーで行き、父が点滴をしたとき、2時間かかるところ、1時間経った時点で、待たせている妻に悪いから半分でけっこうだと言ったそうです。もちろん母が「私のことは気にせず、2時間してください!」と言い、帰宅は28日深夜0時40分頃でしたが…。 父は自分がとても痛くて、苦しくて、辛いときも母のことを思いやっていたのだと思うと、何度も泣きました。 こんなにもやさしい父