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オリエンタルダンス(ベリーダンス)の名称の由来

現在のエジプシャンスタイルのオリエンタルダンス(ベリーダンス)は、20世紀初頭に端を発し、1920年代のカイロにてバディア・マサブが経営するナイトクラブ(キャバレー)「オペラ カジノ」を中心に発展していきました。

※キャバレーとは、シアター形式のエンターテインメントを意味し、お客さんは飲食をしながら歌、音楽、踊り、コメディなどを楽める社交場。

彼女は、「オペラ カジノ」を訪れるヨーロッパの観光客や上流階級のエジプト人を魅了する為に、エジプト独自の踊り(古代からアラブ圏の女性の間で社交として踊られてきた踊り、民間伝承されてきた踊り、アワリームの踊り、ガワージーの踊り)に西洋の踊り(バレエや社交ダンスなど)の要素を取り入れ、ハリウッドの影響を受けながら、ステージ上で華やかに繰り広げられるオリエンタルダンスというスタイルを確立させました。

それまでのプロフェッショナルダンサーであるガワージーやアワーリムは、フェスティバルや結婚式で即興で踊り、その場の人々に溶け込み、共に楽しむスタイル。

バディアは、オリエンタルダンスを「ステージ上で魅せるエンターテイメント」にすべく、ステージを大きく使い、ソロダンスだけではなく群舞を披露し、群舞には振り付けを施し、手の動きに自由を与えるなどして(それまでは手の位置は肩より上に上げることはなく(セカンドのポジション))新しいアイデアを次々に取り入れていきました。

スネークアームを生み出したり、小道具であるベールを使用し始めたり、ツーピースの衣装を発案したのもバディアです。

そして、バレエや社交ダンスの西洋の踊りと区別する為、また、エジプトは西洋の東にあるので、自分達の踊りを東洋の踊り(オリエンタルダンス=ラクス・シャルキ)と呼ぶようになりました。

今のオリエンタルダンスのスタイルはこの頃に確立したものを継承するので、バディア・マサブはオリエンタルダンスの母と言われています。

※ベリーダンスはフランス人の造語です。次の記事に「ベリーダンスの名前の由来」を掲載します。

また、プロフェッショナル形式として発展してきたオリエンタルダンス(ラクス・シャルキ)とは別に、ラクス・バラディ(自国の踊り)と呼ばれることからも、アラブ諸国の女性は小さい頃から民族舞踊としてこの踊りを踊ります。

私が直接知っているのはエジプト人の方達ですが、彼ら・彼女達は今でも集まれば陽気に踊り出し、人生の喜びを分かち合っています。

そして、彼らがよくいう言葉「私達のDNAの中には、音楽と踊りが組み込まれいる!」

これ程に、彼らは音楽と踊りをこよなく愛しています。

エンターテイメントとして発達してきたオリエンタルダンスですが、その背景にはエジプト人達が踊りをこよなく愛し続けてきた心が宿っています。

だからこそ、オリエンタルダンスを学ぶにあたり、エジプトの文化や人々について学ぶことも大切なのです。

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