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【臆病者紀行06】饅頭ホテル

父が旅行を計画してくれたのは初めてだとおもう。

16年も生きた実家の愛犬が死んだので、じゃあ人間だけで家族旅行へ行きましょうというムードが高まったらしく、ある日家族のLINEに「黒部ダム旅行決定です」と連絡が来た。四人家族でダム旅行だ。

ところで私の父という人は、友達いない歴50年の達人である。友達のいなさにおいては大阿闍梨の域に突入しつつあると言ってもいいかもしれない。

父が人間といるところを一度も見たことがない。職場で接待や飲み会はあるのかと訊けば「無いし、あってもくだらないから絶対に行かない」と言い切るし、趣味の競馬も孤独に楽しむ。私は父の人とつるまないところがなかなか好きである。仕事上たまに地方出張しているようだが、友人との旅はもちろん一人旅すらしたことがないはずだ。

母は社交的で明るい人だが、陰気な父と陽気な母には共通点がある。どちらも都市伝説や怪談話のオタクなのだ。ふたりに会うと、口をひらけば最新鋭の都市伝説話がはじまるのである。

旅行慣れしていない父に、それなりに慣れの要りそうな黒部ダム旅行の計画なんてできるのだろうかと、私は不安だった。まあしかし人を尊重するためには疑いの目を向けず、しっかりと身を委ねることも大切である。だめだったらだめでいいのだから。

東京駅で家族と待ち合わせ、北陸新幹線に乗り込む。
富山駅で海鮮丼を食べたあと、こじんまりとした車両が可愛いローカル私鉄に乗り換えて、宿のある駅まで40分間ちいさな電車に揺られつづける。

到着した無人駅で30分ほど待っていると、磨き上げられた真っ黒な車体を光らせて宿の送迎車がやってくる。
藍染めの法被を着たおじさんが「こんにちは」と愛想よく降りてきた。それから田舎道を30分のドライブ。そうだこれが日本の風景だ、としみじみ感じる田んぼと山々。車が停まると、法被のおじさんが荷物を持ってわれわれ家族をエスコートしてくれる。

見わたすかぎりの田園風景にぽつりと建つホテルで、客室数は三十くらいだろうか。昭和の社員旅行で使われるような趣があり、三階吹き抜けのなかなか広いエントランスである。すこし薄暗すぎるような気もするが…。

「それでは歓迎の太鼓を叩かせていただきます。」

法被のおじさんがバチを手に取る。和太鼓がリズム良く叩かれはじめると、だんだん催眠がかったような気分になってくる。

ドスッ、ドスッ、ドスッ……ドドドドドン…

しかし何だろう、この違和感は。
中規模のホテルであるにもかかわらず人の気配がまったく無い。
お客さんの形跡もなければ、法被のおじさん以外に従業員の気配も無い。この広さの宿でこんなにも人の気配がないなんて事がありうるのだろうか。天井には無灯火のままのレトロなシャンデリアが吊り下げられている。
そういえば、父はなぜこの宿を選んだのだろうか。

「こちらにコーヒーと饅頭を用意してございます。」

甘いもの好きな一家にとって、これは素敵なウェルカムサービスだ。人数分部屋に持って行こう、とお盆に四つずつ乗せる。

チェックインを済ませ客室に向かう道すがらでも、相変わらず人の気配は皆無であった。まだ夕暮れ前なのに仄暗いのは経費削減のためだろうか。カーペット張りで足音のしない廊下に、ぼわんと自動販売機が光っている。

扉をあけて十畳の和室に入る。いかにも日本の旅館という風情の部屋だ。
私はまず荷物を置いて手を洗い、セーターを脱いでハンガーに掛けたり、非常口の位置や設備の確認だとかをせっせと行う。

そのあいだに父と母、それから弟はさっそくコーヒーと饅頭に手をつけている。

「はあ疲れた、あれっ?思ったよりも甘い饅頭だね、でもこの甘いのが沁みるかもねえ」なんて口々に言いながら座卓を囲んで、もぐもぐと饅頭を平らげたかと思いきや、三人して「ごめん、もう限界」などと言いはじめる。

「もう眠くて限界。ちょっと寝るから。」と母。
「寝るなら布団敷きなよ、敷いたげるからちょっと待っててよ。」
「いいのもう。ここでいいから。」

そう言って父と母と弟が、三人そろってごろんと畳に倒れ込む。
せめて座布団を枕にしなよ、なんて言っていると、10秒も待たずにいびきが聞こえはじめる。寝入りが早すぎて不自然だ。こんなものだろうか?

家族三人の寝顔を見ながら、なんだか背筋がぞくぞくしてくる。
大袈裟だが世界にひとり、ぽつねんと取り残された感じだ。さっきまでわあわあ言いながら旅路をやってきたのに、あまりに急に静まり返っている。

不安になってカーテンをあける。
萌黄色の田んぼの向こうに、溢れんばかりの深い木々がホイップクリームのようにもわもわと森を成している。それから六重にも七重にもかさなる山々がすこしずつ青色を失って、薄く薄く天へとそびえ立っている。

私は窓から座卓にひとつ残された饅頭に目をうつし、物思いにふける。

父はどうしてこの宿を選んだのだろう。
黒部ダムのルートに便利なわけでもないようだし、さびれた私鉄駅からも遠いこの宿をわざわざ予約した理由は?父はどうやってこの宿を見つけたのだろう。いつも都市伝説ばかりネットで見ている父が……

そのとき「はっ」と脳内ですべてが繋がってしまった。

都市伝説オタクの父…そんな父が提案してくれたはじめての旅行…。この交通の悪さ…、規模のわりに人の気配がしない宿…。
配られた饅頭とコーヒー…そして何より、口をつけていない私だけ覚醒しているというこの状況。

ここは殺人ホテルなのかもしれない。

饅頭とコーヒーには強力な睡眠薬。きっともうすぐガチャリと扉が開いて、あの法被のおじさんがやってくる。
手にはロープかなんかが握られているか、あるいはお気に入りの武器があるのかも。さっきの力強い和太鼓からすると、きっと薄い刃物なんかじゃなく手ごたえのある鈍器を選ぶタイプにちがいない。
いまは客室にそれらしい血痕は見当たらないけれど、畳なのだからひっくり返せばどうだかわからないぞ。

饅頭に口をつけた三人とも、あまりに不自然にコロッと眠ってしまった。父がこのホテルの黒い噂を知っていたなら、みずから饅頭の謀略にかかるなんて滑稽すぎる!

部屋に鍵はかけたけど、スペアがあるのだから気休めにもならない。
そうだ、バスタオルのカゴを出しておこう。女一人で大浴場にいっている風をよそおって、私は押し入れに隠れようか。ああきっとこの日のために両親は私に格闘技を習わせたのだ。

押し入れから布団を降ろして空間をつくる。iPhoneを消音モードにして握り、押し入れのふちに腰かける。これでもし扉に物音がしたら、すぐに隠れられるだろう。

私には、家族のために戦う覚悟がある。
いや正直無いかも。いまのうちに一人で逃げたほうが賢いかも。戦う勇気がいつも正しいとは限らないしなあ…。

死んだばかりの実家の犬を思い浮かべて「助けてくれ」と願った。
番犬にはならないような雑種だったけど、なんだか愛想も悪かったけど、気高いところがあってものすごく良い犬だった。ワンワン吠えて敵の気を逸らしてくれるだけでいい!

30分後に家族が起きはじめるまで、私は本気で殺人ホテルに来てしまった可能性に怯えていた。
頼むから人様にもらった饅頭を食べた直後にクスリでも盛られたみたいに眠り込まないでほしい、と家族に訴えたら、「ばかだねえ、いいからみんなで卓球室に行こう」と誘われた。殺人卓球室かもしれないだろ。




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