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#2 湖底の時計はズレている
12歳の頃、午前中の世界はすべてが分厚い氷の向こう側の出来事のようだった。冬の湖底文明を覗くような、あるいは湖底人として地表の社会を覗くような…。あいだに無慈悲な厚氷。
子供の頃の私は、なんとか学校にたどり着いても気付けば意識が飛びまくっていて、ものごとの輪郭がはっきりしはじめるのは14時以降と決まっていた。だから放課後の記憶はハッキリしているけれど、授業中の記憶がまったくない。
15歳になると、高校の最寄り駅までたどり着くことすらできなくなっていた。渋谷駅-吉祥寺駅を25分かけてピストンする井の頭線に、気付けば4時間も揺られている。そのつもりは無いのに、座席についた瞬間にこの世のすべてがタイムスリップするのだ。冬のあたたかい座席は巨大ドラゴンの胎内のような安定感がある。あの西洋型の直立するドラゴンじゃなくて、東洋型の空高くになびいているほうだ。
10代の頃、自分の「ダメなやつ感」はすさまじいものがあった。自分でも自分をどうかと思って自罰的になっているのに、そのうえ大人たちからも激詰めされて自尊心がゴリゴリ削れる。
未成年の頃の「社会から外れている感」はそのまま世界全体からの絶対的な疎外感だった。けれどこの13年間、その疎外感をどうにかするためにいろいろな生き方を試してきた結果、今ではかなりの余裕が出まくってきている。
疎外された雰囲気への愛着もあるし、湖のこちら側の住人たち(ちょっとだけ社会不適合な人)とはやたらと気が合うことがおおい。午後過ぎに地表に上がって、最大限に力を発揮できるのは21時~1時。朝陽が昇るころまで起きている。
だいぶ薄まってきたとはいえ、大人になった今でも遅起き型特有の「ダメなやつ感」な自意識は健在である。社会は朝型人間を基準として設計されているワケだし、その基準から外れれば不利益があるのはしかたない。でもその不利益を差し置いてでも、なーんか夜が好きなんだよな。
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