ありがとう 夕焼け写真
ギャラリーに、夕焼けの写真はいくつもあった。
けれども、そのやわらかいオレンジの空は、とても懐かしく感じられて、「おはなし」の主人公に、寄り添ってくれるような気がした。
同じ場所から眺めたとしても、一日として「同じ」夕焼けが見られることはない。雨の降る日に眺めることができないのはもちろん、天文学的にも、見る者の心情からも「同じ」ではないという意味で。にもかかわらず、夕焼けを眺める時の安心感はどこからくるのだろう。
歓喜の声をあげたくなる青空とも違う。眠りにつく前の静かな星空とも違う。きらびやかな夜景とも違う。
この一日が暮れていこうとしているのに、静かに、黙って、なにかが始まるような気持ちになる、だいだい色。一日フル稼働した脳に、改めて覚醒を指示するような、あかり。
もしかすると生き物は、胎内から外界に生まれ出てくる時、こんなあかりに迎えられているのかもしれないな、なんて、うすらぼんやり思ったりする。
今日も一日、生きながらえた。
明日も「同じような」一日が、続きますように。
ただ、ただ平穏な、一日を願う。わたしが、わたしに願う。
それから、身近な人に。もうずっと会っていない人に。会ったこともない世界のどこかで暮らす人に。
今日がどんな一日であったとしても、夕焼けを眺めて、明日を願うことは、できる。
この大型連休を術後休暇にあてていたわたしは、ずいぶん前に書いた短い「おはなし」のnoteへの投稿を試みた。おっかなびっくり、使い方を理解し、見出し画像の選択は完全に公式マニュアル通り、「みんなのフォトギャラリー」に頼った。
写真作品として「凝った」画像がたくさんある中、目に入ったそのだいだい色に魅かれ、試しに投稿する12回の「おはなし」の見出し画像として、同じ写真の、同じ部分を拝借した。(終わる頃にやっとトリミング方法を理解・・・)
まず撮影者さんに御礼を申し上げる。そして、もし個人的なことわりなく使用することが、noteの(あるいはこういった業界の?)礼儀にもとるようであったなら、お詫びしたい。それから、都度、記事にマークしてくださってありがとう。
書きためていた文章の掲載にいったん区切りをつけようとして、写真に添えれた言葉に、ようやく気づく。
『明日は優しさの満ちた世界だといいなぁ』
言葉を交わしていない人と、画像を通して、似ている思いを交わせたのだとしたら、とても嬉しい。
『次の方、どうぞ』少し、休憩。
宣伝もアピールもせず、でも自分の中では少し落ち着いたので。
どうもありがとう。