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一期一会 2024秋

向島の稽古場からの帰り道だった。
次の予定までの間にカフェで少し落ち着こうか、と向かったカフェの入り口、「東京スカイツリー駅」改札前で、そのおばさんは目をあわせて笑った。「はぁろおおう」ちょっと間延びした感じで。わたしに話しかけた、というよりは、反応してくれるかしら、してくれたら続きを話そう、という感じだったのかもしれない。
手には5枚の切符を持っている。浅草橋に行きたいと言う。切符は東武線の180円区間。おばさんのうしろには、同行者のおばさんとおじさんたちがいて、わたしは5人に取り囲まれる。
またか、と思う。
これもそれも、東武線が「東京スカイツリー駅」なんて名前に変えちゃうからだよ、しかも京成線押上駅は「押上(東京スカイツリー前)」なんてご丁寧なかっこ書きを加えてしまって、わかりづらいことこの上ない、と心の中でちょっと毒づいてみる。もうツリーができて10年以上経つだろうに、いまだに案内が不親切で、しかも駅の工事は続いている。そうこうしているうちに、コロナ禍があけてインバウンドの方々が押し寄せてしまった。
少しだけ説明すると、彼らの目的地「浅草橋」は都営浅草線の駅だ。浅草線は京成押上線と相互乗り入れしている。「押上駅」から乗らないとその駅にはたどり着けない。東武線は全く別の線で、これは東京メトロ半蔵門線と相互乗り入れしている。彼らは東武線「東京スカイツリー駅」で切符を買ってしまったわけだ。
なんだ、その、フクザツな線のつながりは、と思ったあなたは正しい。半世紀前に押上で子供時代を過ごした「ネイティブ押上住民」にとっても、信じられないフクザツさになってしまっている。
やれやれ、と有人改札(これも昔と違ってガラスドアつきの受付ブースみたいに変身した)に向かう。駅員に声をかけようとすると、そこではスマホをはさんで無言の駅員のお兄ちゃんと外国人のお兄ちゃんが向かい合っている。説明をしている気配なく、翻訳アプリをお互いのぞき込んでいるふうだ(こういうのは会話というのだろうか?)。少し待つが、動きがなさそうなので、すみません!と大きな声で背後にいるとみられる別の駅員さんに呼びかける(おばさんの特権だ)。
「間違えて買ってしまったみたいなので払い戻しお願いしたいんですけど」「券売機で払い戻してください」さきほどまで無言だった駅員のお兄ちゃんが、顔をあげて間髪入れずに言った。
券売機で? 思わず聞き返してしまったが、切符入れれば戻りますから、という。半信半疑で券売機に戻る。切符を投入すると払い戻せるという案内がたしかにあった。初めて見た。
物は試しと1枚切符を投入する。じゃらじゃらじゃらぁと9枚の硬貨が払い出される。まじか、80円は10円玉かよ・・・振り向いて、まず、180円を渡す。同じ作業を繰り返す。おばさんは両手を組んで硬貨を受け取る。3枚投入したところで、券売機が切符を受け付けなくなる。「この操作はできません」という意味の表示が画面いっぱいに出てくる。犯罪防止機能なのか、小銭が切れたのか(だってもう10円は24枚も受け取っている)、動かない。仕方なく隣の券売機に移動して、同じ作業をする。おばさんの手のひらにはこんもりと小銭が山になっている。なかなかにシュールな光景では、ある。お互いにふふふ、と笑いあう。
さて、ここで駅を移動します、と宣言をして、歩けますか?と念のため尋ねる。5人は50代のわたしよりもすこし先輩とお見受けした。深まる秋の中、半袖短パン運動靴の軽装で、もちろん歩けることはわかっていたが。
工事中の東武線の高架脇、今はまだ薄暗い通路を歩く。どこからいらしたんですか、と聞けばオーストラリアから。わたしは肩にかけたトートバックを見せて、昨年オーストラリア、タスマニアで買ったことを説明する。アボリジニのドットアートを見て、あらやだ~、といった感じできゃっきゃと笑いあう。タスマニア?行ったことないわ、いや、行ったでしょ、おじさんおばさんは盛り上がる。
アデレードという街の名が出てきて驚く。わたしには数少ない渡航経験の中で、1週間滞在した街だ。ホームステイをして、小学生の日本語授業のボランティアをした話をする。ちょうど30年前です、と自分で言った言葉に自分で驚く。
ステイ先のママは、ご存命であれば彼らよりもすこしお姉さんだろうと思うが、うまくすれば、知り合いの知り合いくらいではあるかもしれない。不思議だな、と思う。こんなふうにつながって、わたしの中で消化されていくのだ。ご縁があった人たちへの、遠回りの恩返しと思えるようなことが。
そうこうしているうちに駅のバスターミナルに着いて、押上駅(改札は3か所ある)の、比較的、人の少ない改札につづく階段を地下まで下りる。浅草橋まではやはり180円(だから間違えるんだよねぇ)、おばさんは張り切って小銭を手渡してくれる。券売機のまとめ買いの機能も駆使して、都合5枚の切符を手に入れる。わーい、6人で拍手(笑)
改札前で、1番線の電車ならどれでも大丈夫、気をつけてね、楽しんでね、と見送ると背後からずっと見守ってくれていたいちばん高齢と思われるおばさんが、わたしに小さなコアラのチャームを手渡してくれる。「ありがとう、これ、時々は思い出してね」
ステイ先にみえた、近所のおばあちゃんが、ひつじの人形をくれた時と同じ言葉だった。
少し泣きそうになって、ありがとうを繰り返した。時計を見ると次の予定にぴったりの時間、わたしは予約時間に間に合うように階段を駆け上がる。
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