お互いが対等 フラットな関係 看護師と患者
看護師と患者の関係。もっと言うと、医療者と患者の関係において考えた場合の話です。
前提として、私は人とお互いを尊重した関係を築きたい。
病棟看護に興味があるかを考えている時に、思い当たったテーマです。
一方的な関係(ケアする側ーケアされる側)ではなくて、双方向な関係を私は望んでいるという話です。
ケアリングという考え方。私の看護観においても重要な考え方。
患者さんのラベリング
前にも考えたことがあるなと思ってnoteを振り返るとありました。
約2年前に同じようなことに引っ掛かりを感じていました↓。
同じテーマについてまた考えているということは、私にとって大事なことなんだと思います。
価値観との関わり
なぜ大事なのかまでは、まだ自覚的になれないけれど、価値観(健やか)に根差しているのかな?ということはまでは考えられました↓。
人の多様なあり方を受け入れたい、受け入れられる社会になってほしい、ありのままで良いんだよって思っていることも関係しているのかなと思います(それは同時にありのままの私を肯定して欲しいし受け入れてほしいという思いと表裏一体)。
上記noteにも書きましたが、看護師の仮面をつけて接するのではなくて、素の自分に看護師という装備を身にまとって接することができたらなと願っているのだと思います。
完全に普段の自分で接するのは、患者さんの側からしても戸惑うと思うので、ちゃんと看護師の顔も出しながら、でも完全にその仮面をかぶってしまうのはどうかな?という所です。
外国の看護師ー患者関係
そういうことを考えていた時に「外国の看護師さんにこんな風に接してもらった」という話を聞いて(これも上記noteに書きました)、そんな世界があるんだ、とびっくりしました。
看護師の仮面どうのとかではなく、完全に1人の人間として接している。
患者と看護師として出会ってはいるけれど、その枠に囚われない接し方。あくまで、その関係は私や患者さんの一部を表しているに過ぎずもっと大きな全人的な視点で捉えた上での接し方。私が理想とする人との関係の築き方。
よく見ると、日本でもそんな風に接している看護師さんはいるのかもしれません。
私の場合
私は、病棟で完全に看護師という仮面をかぶって仕事をしているタイプで、時折素の自分が出ちゃうみたいな感じだったと思います。素の自分を出すのではなく、誤って出ちゃう。
今心に浮かんできたのは、「素の自分を出すのが怖かったのかもしれない」ということです。自分に自信がないし、病棟看護師としても自信がない、だから何とか自分をそれらしく見せるために看護師という仮面をつけてたのかもしれない。患者さんに不安を与えないように自信がない空気は出しちゃいけないから(病棟で働くのが初めてだとかは患者さんに関係ない)。
そうやって看護師を装って距離を保ちながら接したいという気持ちと同時にもっと人間らしく深く関わりたいという気持ちもあって、相反するけれど、どっちも本当の気持ちだったと思います。
手術室では、わりと素の自分を出して仕事をしていました。患者さんとの関わりよりも一緒に働く人との時間の方が長いので、それも慣れ親しんだメンバーになると、自分が出せる。
看護師の仮面をつけている私というよりも、私そのものが基本で、看護師のスキルを使って働いているという感じで、患者さんと話す時だけ看護師の仮面をつけてた感じだと思います。
看護師からコーチになられた方のインタビュー記事を読んで、「看護師としてではなく、そのままの自分としてクライアントさんと向き合いたい」という主旨のことをおっしゃっていて、私もそれに近いんだろうなーと思いました。
人間っぽい看護がしたい、とか、ケアリング、とか、一方的(ケアする側ーケアされる側)ではなく双方向な関係を築きたいというのは、そういうことなんだろうなーと。
「患者さんとそんな風に向き合うのは無理だ」と諦めるのは簡単だけど、患者さんの中には、ありのままの自分で接してくれた方もたくさんいたと思います。
患者というか、よそゆきの自分で接するのではなく普段の自分で。
そんな風にありのままに近い自分で接してくれる患者さんと、まずは看護師という仮面を完璧につけて関わるのではなく、素の自分に看護師という装備を身にまとって接することができるようにすれば良いのかなと思いました。
私のこうありたいが分かったので、そうなれるように行動することがまず大切だと思いました。そして、私を知ってもらうとともに、患者さんの全体を見られる(とともに看られる)ように意識した眼差しを持ちたいです。看護的に言うと全人的に捉える。
そして、私という1人の人として豊かな人間になれるように、看護師スキルだけでなく、私自身を磨きたいと思いました。