幼少期~学び、フィードバック
ご無沙汰しております。雨...私は雨が好きですが、最近の異常な雨の降り方で各地被災されてる方が多くいらっしゃいます。心からお見舞い申し上げます。
そしてnoteだけに、ノートとして私自身の事。学びと考えを記録していこうと思い久しぶりに更新しています。
『私っていったい何?』全てはこの疑問から始まりました。恐らく幼稚園の頃からでしょうか。国家公務員で転勤の多い父と専業主婦の母の元に生まれ、下に弟がいる転勤族で育ち、転園・転校をし、環境に馴染めず、登校拒否もしました。時代として『登校拒否』は親から当然理解はされず、あれやこれやとしかけられました(笑)ここで強靭なメンタルが作られれば良かったのですが、この頃は真面目で良い子ちゃんだったのできちんと親の言う通りのレールにのっていました。でも、唯一『理解されない・出来ない子』という親からの私に対する扱いが悲しかっただけで、それ以外は経済的にも恵まれていたと感じています。当時の理解者は祖母と小学校高学から飼い始めた犬で、精神的に救われました。
なぜ久々に更新しようかと思ったのか?
元々あまり生きる事に執着するタイプではありません。今もそうです。しかし先日私自身の生まれてからこれまでを辿ったところ、どうやら私は自ら『生きづらい、苦難の多い人生』を選んでこの世に生まれてきたようです。かなりのドMです。だから両親から理解を得られないのも当然です。だって私が好きで理解してくれない両親の元に生まれたんだから(笑)そして20代になりやっぱり親から愛されたいと感じたのでしょう。(いや、愛情を受け取れてなかっただけ)学び始めました。
大学で初めて信頼できる教授に出会えた
私は社会福祉学科を卒業しています。理由は、『困っている人を救いたい』と幼少期からずっと思い続けていたからです。しかし講義と現場では恐ろしく福祉とはかけ離れている冷たい現場でした。たまたま私の実習先が殺伐とした雰囲気が漂っていたのかなと思います。実習が終わり本気で進路を考えました。専門職にするか一般職にするか、泣きながら教授に相談しました。本気で大学辞めたかったな、この頃(笑)根性なしです。今も変わらず。話を聞いてくれそうな教授3名に相談し一般企業に就職しようと決めました。この頃から軽く適応障害が始まってたのかな?不安定でした。
就職~適応障害からの・・・
私が就職したのはリーマンショックの時です。表現はあまりよくないですが、60人程度の窓際族のような部署に配属されました。この頃から窓際族?(笑)入社1年めなんて所詮なにもできませんけどね。でも、忙しかったです。これは本当に(笑)精神的にきつかったなぁ~。しばらくすると仕事中に社会不安障害といわれる症状や急に食べられなくなる等の症状が出ました。結果うつ状態。これもなるべくしてなったんだぁと今は腑に落ちています。エネルギーを失った私は戦力にもならず、ただいるだけの存在になっていた気がします。
ここで諦めない精神が出た
なんとかならないものかー!!と藁にもすがる思いで、色々探しヒットした実践心理学のスクール。と・り・あ・え・ず米国NLPを学びました。
N(Neuro)神経 五感 体験が、L(Linguistic)言語によって意味づけされ、P(Programming)プログラム化されるものです。もちろんスキルなので使ってないと忘れます。自分にたまに夫にセッションするくらい?夫は全米NLPを修了しています。そして夫のセッション中に巨大なマインドブロック(笑)を見つけました。人の為になら行動できる私。なので、復習がてらブログも更新したところです。
私の中の無意識のバリア(アイデンティティのビリーフ)は、恐らく『絶望感』『無気力感』『無価値感』があると思います。望みを手にする価値はないと感じながら、頭では前を向こうとする矛盾ある自分自身を苦しめるタイプです。
数秘11のアップダウンが激しすぎる、五黄土星(丙寅)強運で恵まれているタイプ。物事に善悪はないといわれていますが、ダークな部分も含めNLPの復習とアウトプットを大切にしていきます。そして、私自身の心の変化に注目し同じような葛藤を抱えている方のヒントになれば、嬉しいです。
久々に長文を書きました。noteも読みやすくなるようアレンジを試みてみます。ここまで読んでくださった方、心から感謝申し上げます。
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