見出し画像

PASSION 第三章 生きている実感 アルゼンチン

 12月10日、3時間半のフライトを経て、アルゼンチン最南端のまち・ウシュアイアからアルゼンチンの首都・ブエノスアイレスに到着した。パタゴニア地域一帯は常に強風が吹き荒れ、低温である。南極まで約1000キロというウシュアイアでは夏のこの時期でも10度まで届かず寒かった。
 そこから3200キロ。飛行機を降りたとたんにムワッとした空気が体を取り巻いた。じわじわ汗がにじみ出てくる。
 空港からローカルバスに乗り、まちの中心にある日本人宿へ向かう。アルゼンチンは人口の90%以上がヨーロッパ系移民であるために、他の南米諸国とは異なる雰囲気をもっている。 
 ブエノスアイレスは別名「南米のパリ」とも言われていて、ヨーロッパ風の建築物や高層ビルが多く建ち、地下鉄も走っている。オシャレなカフェやブティック、レストランも多い。景観の美しい都会だ。


アルゼンチンの日本人移民

 アルゼンチンに日本人が入った経歴は、ペルーやボリビアのような集団労働契約移民ではない。アルゼンチンはヨーロッパからの移民を優先していたために、アルゼンチンの日本人移民は他の南米諸国からの再移住者や家族による呼び寄せが主だった。彼らは劣悪な環境を脱して南をめざした。
転住者が増えた1920年前後、工場労働や家庭奉公に出た日本人が多かったという。
 1920年代半ば、ブエノスアイレスにいる日本人の間では自動車運転手が流行した。1922年、ブエノスアイレスにいる日本人運転手は60人ほどだったが、地元紙には「Prefiero japones」(日本人求む)という広告がよく出ていたという。
 1930年代に、日本人の三大職業である洗濯屋・カフェ店・近郊農業(野菜と花)が確立した。洗濯屋は少ない人数で営むことができるから、家族でできる人気の仕事だった。綺麗に洗われ、綺麗に畳まれていればいい。難しいスペイン語もいらない。
 清潔、勤勉、研究熱心、丁寧、器用、正直さをもって、懸命に働いた日本人。日本人の民族性がアルゼンチン社会で広く認められた。
 アルゼンチン人の花好きを広めたのは日本人なのだという。それまでは、花は買うものではないし、飾るものでもなかった。
 地下鉄に続く階段の手前で花屋を見たのだが、南米らしく明るい色をした花たちが、カラフルにその一帯を占めていた。店員は女性ではなくエプロン姿の男性だ。
 この光景を作ったのは、元を辿れば日本人。
 そう思うと嬉しくなった。

 戦時中、アルゼンチンはアメリカにも連合国側にもついていなかったのだが、アメリカから圧力を受けていたため、日本人は生活しづらくなっていた。「ここで自分らが頑張らないでどうする!」と一致団結。狭い思いを乗り越えた。日本人は組織作りができた民族だった。指導者がトップに立って地区ごとにグループを作り、孤立を避けた。
 地道な日本人たちによって、日系人たちの存在感は増していったのである。

 1948年に創刊されたアルゼンチンで唯一の邦字新聞『ラプラタ報知』の編集長・崎原さんがアルゼンチンの野球史を教えてくれた。

ブエノスアイレスでは1920年に「日本野球団」が組織されているほか、二軍にあたる「アサヒ野球団」というのがあった。二軍があるほど当時は野球人口が多かったという。普段の移民生活では仕事漬けの日本人。休日に映画館に行ったとしても、スペイン語だからわからない。野球を見ることが唯一の余暇となっていた。見せてもらった30年代の手書きの新聞には、野球チームへの寄付金を募集する記事がある。休日に行われる試合予定から過去の試合結果などが細かく報道されていた。
50年代、60年代が野球の盛りだったという。花卉栽培の子どもたちによるチームや洗濯屋のチームもあった。ブエノスアイレスと近隣都市による首都圏野球リーグも行われていた。決勝戦のグラウンドは満員だったそうだ。
アルゼンチンにはパナマ、ベネズエラ、コロンビアなど中南米からの留学生も多く、それぞれが集まって野球チームを形成していたという。日本人でも能力の高い選手はそれらの国からスカウトされ、一緒にプレーしていたそうだ。崎原さんも文野さんもベネズエラのチームで野球をやった経験がある。
一世が家族を持つようになると、多忙もあって後輩の世話をする余裕がなくなり野球は衰えてしまったというが、野球に対する思いはペルーやボリビアと同様に、相当強いものだったに違いない。
 
アルゼンチンの野球は、他の国と少し異なるところがある。ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジルは日本人仕込みの“野球”をやる。武士道とも言うべきか、「形」を重視する。「野球道」とも言えよう。
 アルゼンチンへ渡った日本人の移住者たちが集団移住でないように、アルゼンチンでの野球は、好きな人が好きな場所でやっていた。崎原さんは言う。
良く言えば、のびのびとした野球をやる。悪く言えば、きめ細かさがないアメリカンスタイルの野球だと。
 

 在亜日本人会館には日本食レストランもあり、私は焼き鳥定食を頼んだ。沖縄出身者も多く、沖縄祭りも行われ、沖縄そばも食べられるのがアルゼンチン。(サンタクルスでも沖縄そばが食べられる食堂があります。やっぱり、オキナワってすごいなぁ♪)
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?