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介護の仕事・フェーズ2へ行かないと。

2025年1月。
介護士として働きはじめて3年目に突入しました。いやはや、早い。

2022年11月に、初任者研修を受けて、23年1月から介護士としてやっています。

今年は実務者研修を受ける年。3月から受講開始することにしています。
そして来年の国家資格“介護福祉士”の受験に向けた勉強も始める年。

 さて、現在私は特定施設でパートとして週3-4日、8時から14時半まで勤務しております。

朝食介助から入り、利用者さんを最上階の食堂から各階へ下ろし、寝かせ…朝礼してオムツ交換か入浴介助に入り、再び利用者さんを起こして昼食のため最上階の食堂へ。お昼の食事介助をしたら30分だけ休憩して、再び臥床介助、オムツ交換もしくは入浴介助・着脱介助の仕事…で14時半を迎えます。

 介護の仕事は時間の経過が本当に早いですね。

 縦型で、ハード設計に大失敗している施設なので、いかんせん、介護度が上がった利用者さんの介護は向かないし、大変です。

(経営側・介助側にとっての)効率的な動線のため、利用者さんが「寛いで暮らしを営む」にはなかなかうーむ…

 と批判するばかりは止めましょう。

勤務先は家から自転車で2分ほどだし(歩いたって5分!)有休や寸志もあるし(時給は最低時給ほどだけど)、ありがたいところはありがたいです。仕事をともにしているスタッフの人もいいです。勤務自体はとてもしやすいのです。

 そうそう、ベトナム人の介護実習生も数人いるんです。未成年だらけ!!

なのに、遠い国から日本にやってきて、日本語を勉強して覚えて、仕事をしている。

ほんと、彼・彼女らは基本的に真面目だし「いい子」です。

お年寄りへの接し方も、日本人とは違うものが確実にある。もちろんいい意味での。

どんどん介護技術もアップしているし、若いだけあって飲み込みも早い。

私も「〇〇くんが頑張ってる。今日もがんばろ!」と励まされてます。

(最近、大変なはずの早出勤務デビューもしたりして、ますます“すごいや”と尊敬してます)

一方の私も。

 ちょっとばかり“余裕がでてきた”3年目だからこそ、私なりのできることを始めていかないとなと思うわけです。

 で、読みたいと思い数年経過してしまったけれど、年明けに高松市の大きな図書館に行ったとき、新刊コーナーで見つけたのです。

 六車由実さんのこの本。

 

熊谷晋一郎さんの「自立とは依存先を増やすこと」という引用もあったし(私も記憶に強いこの言葉)、大いなるヒントを与えてくれる國分さんの
中動態”にも触れられていて、とても私は嬉しくなりました。


ほんとは先に読みたかったのは六車さんの『驚きの介護民俗学』で、この本を読み終えたあとすぐにまた図書館で借りまして、2日で読了してしまいました(笑)

 この2冊を読み終えて思ったことをメモに残しました。 

行きつ戻りつ。

介護という仕事をしていると、利用者さんの乱暴な声や態度だったり、認知症状の“どうしようもなさ”に疲弊したり、傷づいたりすることもままある。
介護していて、こっちが癒されたり、「嬉」「喜」「歓」を感じることもままある。
どうしようもないのかな…と途方にくれたり、イライラしてしまったり。
でも、その人の年齢、積み重ねてきた人生を深く思うことで、憂いはその形を変えていく。

介護に正解はない。
行きつ、戻りつでいいんだ。
なるべくgood介護で、と思いながら。
だって、人間なのだから。
みんな揺れる。揺れて当然。

…………

日中は車いすで過ごすSさんは、オムツをしていますが、朝食後は必ずトイレに座って排便をします。排便したらナースコールが鳴るのでパッドを交換し、オムツを付けて車いすに座るまでを介助します。

ふだん声も大きく、悪態をつくことも多い80代のSさんですが、笑顔は素敵だし、やさしい面もよく見られます。

この一連の介助を終えたあと

(朝の排便は)命がけじゃ」とよくおっしゃいます。

はあ~(オムツが)なさけのうて、なさけのうて…」とも。

こういう言葉を聞くと、切なくなる。

SさんはSさんなりの“身体の老い”に対する憂いを常に持ち合わせているのだと気づかされます。

90代のCさん。

私が勤務を始めたばかりの頃は「ターミナルケア」だと聞かされていて、酸素も入ってたし、たまに点滴もしていたし、ドキドキしていました。

ところが、どんどん元気になっていって。

食事介助が必要だったのに、利き手とは逆の手で自分で食べるようになり、酸素の数値も下がり、よく話すし。

移乗介助やオムツ交換をすれば「ありがとう!!」と大きな声でよく言ってくれて。

先日、発熱があり、私が居室での朝食介助に入りました。

「美味しいですか?」

「美味しいのォ。」

「…牛乳は不思議と美味しいよね。子どもが乳ほしがるのが分かる」

耳が遠いため筆談します。”パンがゆ”と書いたつもりが”ワカメ”と理解されました(笑)

「僕はねぇ、国鉄で働いていたころな、ワカメが干してあるのをよく見ていたが、よく食べてたヤツは死んだ。食べすぎはいかんのお。たまには食べたほうがいいが…」

「…牛乳はおいしい。一番安心感があっていいのお…」

 Cさんの知らなかった一面が見えてきました。そしてその社会の背景も…。
お年寄りの話を聞く。
ただそれだけで、思わぬ面白い方向にいくことができる
んですね。

 

100歳を超えているIさん。勤務開始の頃は、自立度が高く、車いすであってもポータブルトイレで排泄をしていたし、日中は新聞や雑誌を読んでいて、小さい文字もきちんと見えていました。年相応の“ボケ”(とあえて表現しますね)ならではの、他の利用者さんの部屋でトイレをしてしまったりということもありましたが、お元気でした。

ただ、脳梗塞で入院。施設に戻ってくると片麻痺でオムツ、リクライニングの車いすで2人介助という状態になっていました。

一気に介護度は上がってしまいました。

でも、自分で食べる意欲は失われず。お誕生日会のときには立派な挨拶もされました。

“生きる力が強い人”なんだと実感しました。

ボケゆえの、子ども時代に戻るときもあれば、“いま、ここ”が思わぬ遠い場所や設定になったりすることもありますけれど、

食堂でも寝てばかりでまったく食べないときもあれば、ふとスイッチが入って「わ、食べられてる!」と思うときもあります。「こんなのいらん!介助なんていらん!」と手を振りあげることもあり、ちょっとビックリするときもあります。いろんな「面」を見せてくださるIさん。まだまだ生きられそうです。

とまあ、いろいろ。

利用者さんひとりひとり、いろいろ。

いろんな人生を歩んでこられているのだから当然のこと。

しかもまだ戦争を経験されている方も多い世代なのでなおさらでしょう。

お話を聞かせてもらいたい。いい横顔を写真に撮っていきたい。

そして、六車さんのような「聞き書き」に取り組んでみたい。

ワタシは私のできることを、時間のなかで、やっていきたい。

介護という仕事を、フェーズ2へ。そう考えている1月半ばです。

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