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PASSION~旅の開始 ペルーへ~

いきなりのハプニング。食事がのどを通らない

 日本を出国して23時間後、現地時間9月13日深夜、リマ・ホルヘチャベス国際空港に到着した。
 到着ロビーを出て、迎えに来てくれていた大森さんと対面する。メガネをかけ、茶色のコートを羽織った中年の男性が大森さんだ。私は緊張して言葉がうまく出てこない。
 「初めまして、大森です。車はあっちに止めてあるので行きましょう」
 南半球は春。外はうっすら冷たい風が吹いていた。大森さんの車に乗って下宿先へ向かう。リマには二週間ほど滞在する予定でいて、その間は大森さんが友人の家を下宿先として紹介してくることになっていたのだ。  
 車窓をのぞく。見慣れないスペイン語の横文字が並び、赤、黄、緑といった派手なネオンサインが街を照らす。ビーッ、ビーッ。クラクションの音が絶えない。道端にはゴミが散らばり、犬もうろついていた。  
 信号で止まれば深夜にもかかわらず、少年たちが逆立ちの芸をしながらチップを要求する。ホームレスのような年老いた男性が大森さんの車を勝手に拭き始める。これもまた、チップの要求だ。こんなところでこれから先、果たしてやっていけるのだろうか。海外ひとり旅は初めてな私、不安がどんどん募っていった。
 30分後、大森さんが紹介してくれていた下宿先のマンションに到着した。お世話になるのはペルー人のOさんと日本人のTさん夫婦。
 玄関というものはなく、靴を履いたままマンションのなかへ。トイレットペーパーは水に流さず、屑かごに捨てる。日本とはまったく異なる環境だった。
 荷物を下ろし、緑茶をもらいながら歓談していた。TさんもOさんも、気さくな人で安心する。リマで行動していくためには欠かせない、コンビという乗合バスの乗り方などを、Tさんが翌日教えてくれることになった。
 私は、小さなイスとベッドが置かれている3畳ほどの部屋を使わせてもらうことになった。宿泊代は一日10ドル。
 顔だけ洗ってベッドに入った。

 翌朝、Tさんの案内で、ペルーの日本人移民80周年を記念して建てられた日秘文化会館(通称・日秘)へ向かった。日秘とはペルーの日系人が集う中核的な場所で、日本人移住資料館や図書室、日本食レストランなどが入っている。
 リマでの移動手段は専らコンビ。電車はない。タクシーは強盗や誘拐の可能性があるからひとりで乗らないほうが良いとのこと。マンションの脇の道で待つこと5分くらい。その間にタクシーやコンビが何台も通り過ぎていった。コンビは路線が非常に複雑なようで、地元の人も把握できていないという。フロントガラスや車体に書かれた行き先を瞬時に判断しなければならないのだ。高い壁に早くも心が折れそうになる。
 日秘の前を通るというコンビが来た。ミニバンだ。Tさんが人差し指を立てて乗る合図をする。
 サッと乗り込み、空いている席に座った。乗合バスとはいえ、日本のそれとは比較にならないほど古い。ドアはかろうじてついている感じで、電気コードは剥きだしである。
 「緑と赤色のラインが入ったコンビを拾えば日秘に行けるよ。明日から一人で動くのだから周りの風景をよく覚えておいてね」
 明日はひとり…大丈夫だろうか。
 信号や渋滞で停車すれば、飲み物、お菓子、おもちゃ、サングラス等々の物売りが、あちこちから出現する。コンビにも物売りが乗ることがある。
日秘に到着した。「CENTRO CULTURAL PERUANO JAPONES」と書かれた8階建てての大きな建物だ。入口には金属探知機、施設内には警備員がいるので危険はなさそうだ。エレベーターで8階の図書室へ向かった。


 図書室ではTさんの知り合いである添田さん(77)がスタッフとして働いていて、Tさんが私を紹介してくれた。日本食レストラン・ナカチでコーヒーを添田さんにごちそうになったあと、日秘のすぐ近くにあるATMへ。まだペルーのお金を持っていない私。お金がなければ何もすることができない。
 ATMに国際キャッシュカードを入れる。このATMは日本語表示が選択できる機械だった。慎重に操作していく。ペルーの物価がわからず、いくら下ろすかを入力する画面で迷ってしまった。
 少し考えて、100ソル下ろすことにした。ボタンを押す。
 間が空いた。
 〈このカードは安全のためお預かりします〉
 信じられない文字が表示される。
 お金が出てこないばかりか、カードが戻ってこない。頭の中が真っ白になった。Tさんはスペイン語を話せるので近くの銀行のスタッフにかけあってくれるが、ATMはその銀行の管轄ではなかった。唯一出てきたレシートに表示された問い合わせ先にTさんが電話をかけてくれるものの、対応にはまだ時間がかかりそうとのことだ。
 この時の私の全財産は 500ドルの現金とクレジットカード二枚。うち一枚がキャッシング機能の付いたカードだが、このカードが使えなかったとしたら…。500ドルでは底をつきるのも時間の問題だ。
 仕方なく、近くにいた両替商人に100ドルをソルにしてもらった。
 「お金はすぐに財布にしまって。どこで見られているかわからないから。スリもいるから大金は持ち歩いちゃダメだよ。お昼を食べたら銀行に電話するしかないね。スーパーで買い物して、いったん家に戻ろう」
 日秘のある通りの向かい側にあるスーパーマーケットに寄る。買い物かごを持つが、何を買っていいのかわからない。買い方もわからない。とりあえず、コーヒー、紅茶、パスタ、カット野菜のパックだけカゴに入れた。Tさんに何でもお世話になるわけにはいかない。食事は自分で作らなければ。
アパートに戻ると、Tさんが昼食を作ってくれた。朝食を食べておらず、空腹なはずなのに、食事がのどを通らない。
 カードを食われたショックで胸がいっぱいだった。ますます今後への不安が募っていく。国境越え、ひとりでできるのか。移住地にひとりで行くなんてことができるわけがない。「アマゾン河をフェリーで旅したい」となんて思っていたけど、無理だ。

 …だけど、帰国は半年後、ブラジルから飛ぶフライトチケットを予約ししてしまっている…。帰国日は変更可能はチケットだけど。

 旅に出るまでの数ヵ月間、多少なりともスペイン語の教本を毎日読んで、単語も必要最低限は覚えたはずだった。だが、いざ話そうと思うと頭がパニックになってしまう。私の目には、街中のスペイン語が恐ろしく映っていた。
 昼食は半分をやっと食べ、半分は残して冷蔵庫に閉まった。

 「半年ももたず、すぐに帰国」。

 脳裏によぎった。



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