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相生ルポ 前編 “リアカーでの移動販売”を知る その“存在に、惚れる”

   10月8日木曜日、私は兵庫県の南西部に位置する、人口およそ28,000人のまち・相生市を訪ねました。目的地はさくらホーム(福山市)が運営する「おおの家」。
 相生市はかつて、造船業がとても盛んでした。造船に従事する人たちの社宅、幼稚園、商店街、病院、劇場などが計画的につくられていった経緯があり、今もその面影を残しています。「おおの家」があるのは相生湾の奥地にあたる漁村集落だったところ。

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   相生駅からバスで10分ほど。“相生港”でバスを降りました。あたりは細い路地が入り組み、古い造住宅が密集していました。魚屋さんがあり、横を過ぎると魚の匂いがフッと漂います。緩やかな坂道を歩いていくと、やがて「さくらホーム おおの家」と大きな表札のかかった建物がありました。 

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    (おおの家外観。晴れた日の写真を使用しています)

 呼び鈴を鳴らし、渡部政弘さんに会う約束をしている旨を伝えます。
 「渡部さんは、あちらのデイに…」とお聞きし、デイのドアを開こうとすると背後から「おはようございまーす!」と大きな声。渡部さんでした。

   相生市の隣・たつの市で活動しているNPO法人いねいぶるの取材を続けているなか、同市御津町でSUPを通したまちづくりなどの活動をしている黒川友輝さんから「福祉関係の取材をしているなら、相生に面白いヤツがいますよ。リアカー使った移動販売をしていて…」と紹介してもらっていたのです。(黒川さんのお話は後々、いねいぶるに関する文章で紹介します)

憂いの天候だけれども。 

 リアカーを使った移動販売をしているのは毎週木曜日とのことで、この日の訪問となったのですが、数日前に台風が発生した影響であいにくの雨。
 「降ったりやんだりはカッパ着用。完全な雨天は車で回ります。中止にはならないのですが…」と渡部さんからメッセージを頂いていました。渡部さんと対面した時点では止みそうな気配もある弱い雨。リアカーで出発できそうです。

さくらホームの「根幹」-地域へ。地域と。

   “さくらホーム”の本拠地は福山市鞆の浦。3年前の夏“鞆の浦まちづくり塾2017”というイベントが開かれた際、鞆の浦へ行っていた私。そのなかで「介護が育てる地域の力」と題した、さくらホーム代表の羽田冨美江さんの講義を聞き、当時所属していた新聞社の記事で私は次のように書いていました。

 羽田施設長は、参加者に「地域とは何か、その人らしい暮らしとはどういうことか」等と問いかけながら「何かあったら支え合える範囲を地域というし、その関係性が地域とも言えます。これからの介護はその人の生活、人生、くらしを中心に行っていくべき」と指摘。地域や医療との連携で利用者の満足度を高めた事例を紹介しながら、職員・利用者・地域の地域化といったさくらホームの実践について説明。「専門職が専門職としてのみ動くのではなく、地域やコミュニティとつながること、医療・福祉の枠を超えてつながることで、地域共生社会ができるのではないでしょうか」と話した。

 「地域化」。さくらホームの実践を理解するのに欠かせない視点でしょう。福祉とまちづくり…この二つ、切り離すことができないものだと常々私は感じているのですが、羽田さんの語る”地域化”、本当に大切なことだと改めて思いながら綴っています。

 さて、このイベントの時に、鞆の浦・さくらホームやさくらホームが運営する他の事業所も見学させてもらいました。どーんと人を受け止めてくれるような懐の大きさとあたたかみがホーム全体に漂っていました。その感触は今でも思い出すことができます。「おおの家」も同様。建物の外見からして私は「場のチカラ」があることを感じ取ります。

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(3年前に撮影した、鞆の浦にある「さくらホーム」と関連事業所)

 移動販売の前に、渡部さんが事業所の説明を一通りしてくださいました。聞けばここは、代表・羽田さんの生まれ育った土地。だから、さくらホームが相生にあるんですね。

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(おおの家内部)

    “おおの家”は小規模多機能、居宅、デイサービスで構成されています。 
羽田さんの実家は、魚屋でした。魚屋だった部分が現在は「おばんざい まめさや」になっています。相生地区にはスーパーがありません。

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(おばんざい まめさや)


  「少し前までは食堂が一軒あったんですけど、“もう歳やから”とお店を閉めてしまって。行政から高齢者向けに“配食券(※1)”が支給されているんですけど、それも使えなくなってしまいました」
 そこで、元々お惣菜を販売をしていた「まめさや」に、行政から配食券も使えるお弁当を作ってもらえないかと相談があり、始まったといいます。
 「大きいパックが200円、小さいパックが100円なんですけど、食の細い高齢者の方々には喜ばれています」
   栄養士監修の、栄養バランスが整ったお惣菜、お弁当が並びます。

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上記写真:まめさやにて。お惣菜が並びつつ…調理中のところでした。

(※1…条件を満たす65歳の高齢者のみの世帯等に1食につき200円×20回)

  「おおの家」からほど近い場所には「高齢者賃貸住宅・もくれんの家」があります。認知症の人などが、さくらホームのスタッフや地域の人たちに見守られながら“自分の暮らし”をしているといいます。

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  「洗濯物も自分で干されますし、僕らは本人の苦手なところをそっと手伝うだけです」
    ここで入居者の女性が帰ってきました。
  「○○さーん、お帰りなさい」。渡部さんが声をかけます。
 玄関ではなく、庭に面した窓口から入る女性。そのさり気ない動きが、“その人なりの暮らし”であることを物語っていました。
   そして、「もくれんの家」を囲む塀がとても低いことに気づきます。 ある意味“丸見え”。
  「ここを買ったときに、『高い塀はダメ』と取っ払ったんですよ」
 塀の低さは敷居の低さ。こうした“開き”は地域の目が届くということ。見守ることができるということ。“地域化”というものの具現化の一つでもあるのでしょう。
 細い道路を挟んだ向かいには理容室がありました。
 「ここの店主、キーマンなんですよ。最初は我々のことを警戒したと思いますが、さくらホームの利用者さんのことをよく気にかけてくれている。見守ってくれています」
 おおの家向かいにある羽田さん所有の建物は職員のロッカーを備えた近隣の人たちの“フリースペース”だそう。
 「事業所として登録していないので、単なる“物件”。気軽に自由に使える場所なのです」

 さて、さくらホームでの渡部さんの肩書は「理学療法士」および「まちづくり渉外担当」。
 移動販売の準備をしながら渡部さんが今までの経緯を話してくださいました。

 もともと僕は、奈良県にある訪問リハビリのスタッフとして働いていたんです。そこでは福祉職のネットワークづくりにも取り組んでいて、そういった横のつながりは意義があると感じていました。相生市では西播磨地域というくくりでの福祉職が集う機会はあったものの、フラットなネットワークというものがなかった。その頃僕は、相生市内にある病院でPTとして勤めていたんですけど、傍らで独自の名刺を作り、任意のボランティアグループ「ええで!あいおい相生市地域医療福祉ネットワーク」を立ち上げ活動してきたんです。
そのまちにはどういう課題があって、どういう意見があるのかを吸い上げたうえで、じゃあ○○があったらもっといいよね、よくなるよねという方向へ持っていくようなワークショップをしてきました。「つながる!あいおい未来カフェ」と名付けた活動です。
それを相生地区で開催すると、魚屋さんはあっても、スーパーは離れている。個人宅配もあるけれど、“新鮮な野菜とパン屋さんのパンが食べたい”といった声が聞こえてきました。

 主体不在なら“やらない”選択

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 相生地区は高齢化率55%と相生市のなかで断トツです。若い人がおらず、何かしたいと思っても手を挙げる人がいない。でもある時、おおの家の利用者さんで若年認知症の女性が「人の役に立ちたい」と思っていることがわかりました。彼女を店長に、移動販売をしたらいいのではと思いついたんです。ある高齢の農家さんからリアカーを譲り受けることができました。おおの家でこの移動販売に賛同してくれた利用者さんとリアカーを組み立てて、2018年8月に移動販売が始まりました。
 彼女の認知症状が進んでしまい、グループホームへの入所が決まったところで移動販売をいったんお休みしました。昨年10月ですね。僕らはあくまで介護事業者。地域の課題は地域の人らで補完して欲しいと思っているからです。関わるにしても、利用者さんが主体。利用者さんがいてこそなので、いったんお休み。その2か月後、行政から「引きこもりの青年がいる。移動販売は就労訓練の一環になるかもしれない」と相談があったのと、地域の50代と70代の男性が「手伝おうか」と言ってくれ、再開することができました。僕は後方支援の立場で、その三人を中心にこれまで活動してきたんです。が、今年に入って青年の就職が決まったこと、50代の男性が入院したことで、現在は70代の男性と僕で活動しています。
その70代の男性はパートの仕事をされていて、仕事とかぶらなければ来てくれますが今日は仕事とのことで。僕と向田さんで出発しましょう。

 そんな話を聞きながら準備を進めていると、近くに住む女性がやって来ました。
 「ちょっと見せて」
 「これから出発。買うてー」と渡部さん。
 女性は、パンと野菜をひとつずつ購入していきました。
 移動販売に乗せている「山本ベーカリー」のパン。山本ベーカリーは市内にある昭和27年創業の老舗。学校給食などにも卸している、地域に愛されてきたパン屋さん。相生市の人たちにとってはなじみの店、なじみの味。

誰かが来てくれる。誰かを待っている。
“○○さんに会う”そのものが“暮し”のひとつを担っているのだろう…。

 時間は10時30分過ぎたところ。雨がポツポツと降り始めてきてしまいました。カッパを着込む渡部さん。私は傘を広げました。
リアカーにパンと地元で採れた新鮮野菜、生花を載せます。音楽のスイッチをオンにして、来たことを鳴らす呼び鈴を持って出発です。

 販売ルートは2つ。週によって替えているといいます。

移動式プチサロン

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 「僕自身がリアカーを引き始めて良かったこともありました。地域の情報が直接入ってくるので、必要であれば地域包括支援センターなどにつなげることが出来るんですよね。でもやはり、地域の力を奪っていることにもなっている。僕たち事業者が出てしまうと、地域の人は離れます。『あの人たちに任せてよう』ってなるので。
 何でもかんでも社会保障で担うのではなく、地域の力を補完する在り方がいいと僕らは考えているんです。今は僕が直接こうして関わっていますけど最終的にどう在ればいいのかということを考えています。“ながいき屋”はなくなっても人は死なないんですよ。でもこれがあることで“よりいい”に繋がったらって思うんですよね。
 あ、ちょっと待ってくださいね。ここは96歳の一人暮らしの方がおられ、今日は公民館の脳トレに行っているんですが『仏壇用の花を置いといて』と言われているんです」

 花を置いて戻って来た渡部さん。

 「移動販売を始めて言われてとても嬉しかった言葉のひとつが『地域の人と顔を合わせられるようになった。あんたに会えて良かった』って。自宅からデイサービスに通う場合、送迎があるのでdoor to doorで行けますけど、単なる移動。一方で、移動販売は人が外に出て、顏を出す。自然に近隣の人と話すようになりますから。今日は脳トレもあってそこに出かけていたり、雨なので外に出てこられませんが、晴れていれば近隣の人たちが寄ってきて“だべりだす”んですね。移動式プチサロンだなって思います」

ながいき屋の由来

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 「ながいき屋っていう屋号なんですけど、これは再開後、50代の男性がつけてくれたんです。『この地域の人に長生きしてほしいって思うから』って。“おおの家”とどこかに入ってしまうと事業所が先立ってしまいますし、いいネーミングだなぁって思うんですよね」
 続いて呼び鈴を鳴らした家の住人は、重度の認知症がある人です。「夜な夜な外に買い物へ出かけてしまう」との地域からの情報で、関わるようになったといいます。
 ピンポーン!
 呼び鈴を鳴らしますが出かけている様子。
 「今までは窓も開いていて、音楽が聞こえてきたらみなさん外に出てくるんですけど、今日はあれ?出かけているかな…」
 ピンポーン!「おはようございまーす!!」
 次のお宅にはご夫婦がおられ、奥さんが財布を持って現れました。

数値では、見えないモノ

 「女性たちは井戸端会議も得意ですし、デイサービスなどでもわりと活動的なんですよね。男性が行きやすい、過ごしやすい場があればいいということで始まった『紳士達の夜の集い場』というものがあるんです。コロナ以前はご近所さんも、利用者さんも、おおの家スタッフも、美味しい料理とお酒でワイワイできる、月に一度の集い場をしていたんです。地域のお豆腐屋さん、お肉屋さんの食材を仕入れて賑やかに行っていたんです。あ、ちょっとここにリアカー停めますね」
 そのお宅の前ではこれからデイサービスに行くというご夫婦が椅子に座っていたところでした。そして渡部さんが「あそこは僕の畑の師匠で…」というお宅の呼び鈴も鳴らしにいきました。
 雨降る中でも、渡部さんの元気な「おはようございまーす!」が聞こえてきます。そして互いに会話を交わしながら好みのものを選ぶ地域の人たちの姿。雨は少し強くなってしまいましたが、傘の花が咲きました。

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 「雨だけど、元気渡せたでしょ!」
 渡部さんが地域の人にかけた声。
 「いつもご苦労さま!!」
 そう頭を深々と下げた女性がいました。渡部さんと冗談を交わしながら…。
 「会いに来てくれてありがとねー」「笑わせてくれて嬉しくなるわ」と。

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 別のお宅では「ここはいつもお仏壇のお花とジャムパンとあんパンを届けているんです」
 現れたのは94歳の一人暮らしNさん。洗濯物が軒下に干されていて濡れてしまいそうなことを渡部さんが伝えると、Nさんはひっかけ棒のようなものを取り出して、竿をひょいと内側へズラしました。腰が丸いにも関わらず、その動作はとてもスムーズ。
 こうして渡部さんと相生地区をまわってみて、一人暮らしの多さに気づかされました。でもみなさん“生活が出来ている”んですよね。それは、ひとりでも、高齢でも、暮らせる理由がそこにあるということ。だから相生地区の高齢化率の高さを「よくないもの」なんて見てはいけないと気づきました。高齢化率という数値の認識だけでは見えないものがありました。

”お互い”の関係性

 この100年で16,000人から1500人にまで激減したという相生地区の住民。それでも現在、密集した住宅地に現役の理容室、美容室が幾つもあるのが印象的だったのですが、それはかつての人口の多さを物語るとともに、“今でもなじみ”の理容室・美容室があって、そこに通い続ける人たちがいるということ。
 2年ほど前に出来たというロハン美容室は「他の地区から移住された夫婦が営んでいるんですが、地域の事情をよくわかっていて、スロープを設置したり、送迎をしてくれたりするんですよ」(渡部さん)とのこと。
 こうしたお店―“地域資源”の在り方しだいで、高齢者でも自宅で暮らし続けることが可能になる。子どもの見守り活動をはじめ、子どもと一緒に遊ぶことだって、高齢でも、認知症でも“できること”。補い合う関係性が地域にあれば、みんなが「孤立せずに地域で暮らしていける」に結びつく。そんな実感を伴った、渡部さんとの移動販売の時間なのでした。

 天候が良ければ、地域の人たちの「だべり」もにぎわったことでしょう。でも、雨でも中止にせず、渡部さんは声を出し、いつもの人と顔を合わせ、モノを届け続ける。それはとても尊いことだと思います。

線引きできない人の暮らし

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 渡部さんは小規模多機能というケアの形態に可能性を感じ、「おおの家」での仕事を始めたといいます。

 「(小多機は)“出来るのはここまで”と断らなくていいんですよね。線引きがない。本人の思いやニーズに対して“じゃあこうしよう”と言えるのが小多機だと思うんです」
 おおの家に出会う前までは、訪問看護事業所を開設しようと動いていたという渡部さん。
「僕は徳島出身で、奥さんは赤穂市出身なんです。訪問看護部門のある病院に勤務しながら僕は地域の活動もしていて、家には寝に帰るだけという状態。奈良県で訪問リハをしていた流れで、訪問をやりたい思いが強かった。病院では新人教育や実習生指導の役になっていて、訪問看護部門への異動がなかなか決まらなかったんです」
 そこで独立しようと動いていたところ、「こんなヤツがいて、こういうことをしたいと言っている」と、代表の羽田さんに渡部さんの存在が知らされます。おおの家では、介護職は募集していても、リハビリ職は募集していませんでしたが、「地域のことをしたいと思ったらこっちに来て勉強しぃや」と言ってくれたという羽田さん。渡部さんが羽田さんに「好きにしていいですか」と伝えたところ「ええが。おかしなことしてたら“おかしい”と言うし」。おおの家への転職が決まりました。
 「『なぜそんなに地域のことで熱くなれるの?』って聞かれることが多いんですが、自分のためにやっているんです。自分が年を取っても暮らし続けることのできるまちがいいよなって。でもね、僕は相生から離れたところで暮らしていて、税金はそこに収めていた。『言うこととやっていることが違う』と思い、昨年の夏、住まいを相生市内に移しました」
 渡部さんは、相生地区で実現したいことのプランを進めながら、相生の人たちの暮らしに力添えをしています。渡部さんが動き続ける日々は、これからもずっと続いていくのだろうな…と話を伺っていると、代表の羽田さんがフッと現れました。聞けば午後から会議があるとのこと。なんという巡り合わせだったのでしょう(笑)。

 この日、13時から相生駅近くで別の取材を入れていました。時計を見ると12時過ぎ。相生駅へ向かうバスは12時台に一本ありました。これに乗ろう。
 その前に「まめさや」でお昼ご飯にと、お弁当を購入していると、羽田さんから「駅のほうに用事があるので、車に乗りませんか?」。結局私は、羽田さんが運転する車で相生駅まで送り届けてもらったのでした。近々、地域密着型を運営する人たち向けにオンラインでの講義をするという羽田さん。「何を話したらいいかしら」と相談された私。いやいや、そのままで。ぶれない羽田さんの姿勢をみなさんに伝えてください!と。車中、羽田さんはこんな言葉を仰いました。

 「まちなんよね。認知症でも暮らせるのは。地域密着の役割って、まちづくりなんよね」。

 翌週私は、再び相生地区を訪ねます。

 相生ルポ、後編へ。快晴の相生地区、たっぷり一日滞在して…。

 後編ー「尊さ」と「真」




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