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NAHAマラソンを走る理由ー沖縄が大好きなワケ

これまでの話…

人生初のフルマラソンは大好きな沖縄で。2024.12.1。

なぜ沖縄で?というと…

20歳、人生初ひとり旅が初沖縄でした。

沖縄というものに憧れを抱いたのは、そもそもが確か、高校に入学する春のこと。

中学生の時、吹奏楽部に所属していました。受験勉強の傍ら、『タッチ』の再放送をみて、タッチが面白くなり、兄が持っていた漫画本を読み更けて。
で、実際の甲子園・高校野球中継をテレビで見て。

センバツに出場していた、沖縄尚学のアルプススタンドを見たんです。

沖縄の応援が印象的だったんですよね。満員で、妙に盛り上がってるし。

高校ではもちろん吹奏楽部に入部。野球応援にみごとハマった私。
高校野球が大好きになりました。

んで、「なんで高校野球、甲子園はこんなに盛り上がるんだろう」という疑問を抱き、大学の卒論題材を高校3年次には決めていたのです(笑)

高校3年の夏休み、武蔵大学に見学に行った際、「社会学部なら『タッチ』を社会学できるんですよ」と先輩に教えられ、「よし!武蔵大学社会学部に入ろう」と思うのでした。

だがしかし。

あっさり不合格。
浪人する勇気がなく、「編入・転入学」という別ルートがあることを知り、
唯一合格した大学にとりあえず入り、大学2年次を終えたあと、武蔵大学社会学部に2年次に転入学したのでした。←3年次はカリキュラム上入れないらしかった。ということで2年生を2回やった私。両親に感謝。

転入学した年の6月、初めての沖縄へ。
(おじいちゃんが、たまたま沖縄北谷にあるリゾートホテルの1泊分の宿泊券を1名分だけくじか何かで当てて、それをもらったことが沖縄行を後押しした。)

『るるぶ』を見て、にやにやし、2泊3日の初沖縄を楽しんだ私。
沖縄そば、国際通り、青い海、三線の音…すべてがキラキラしていました。もう沖縄が大好きに。

カベルナリア吉田さんの著書も大好きでした。

その年の夏休みには「長く沖縄に滞在するにはヘルパーになればいいのね」と知り、今帰仁村にある民宿でヘルパーを。そのおこづかいで三線を購入。「HY」や「やなわらばー」という石垣島出身の女性ユニットのファンになり、私の心は沖縄でいっぱいの日々。

いよいよ大学3年生の秋。卒論の準備を始める時期に。
ビッグニュースが飛び込んできます。
沖縄・石垣島の八重山商工がセンバツ出場確実だと。
おーーー!!!
実際に取材しながら書ける!!!

ということで、翌春、甲子園のアルプススタンドで取材をしたり、県人会のひとのところに行ったり、八重山に関する文献をいろいろ読み込んだり。


春夏連続出場という偉業に、さらに卒論への熱はヒートアップ。
夏も甲子園へ行ってフィールドワーク&応援。
9月、初めての石垣島へ。
2週間民宿に滞在しながら、現地でフィールドワーク。
だって、縁に導かれ、当時の校長先生、石垣市長にまでインタビューさせてもらってしまったのだから。
思い出せば…本当に濃密で楽しかった卒論執筆。


4万字でいいところ、7万字も書いてしまったのだから(笑)

すべては縁。

転入して、年がズレたおかげで八重山商工の甲子園出場と重なったこと。
(現役で武蔵大学に入っていたら一年早かったという話に)
フィールドワークしていたときに滞在していた石垣島の民宿で今の夫と出会うのだから。まさかその数年後に結婚するなんてねぇ。
しかも今、夫婦で同じ介護士(笑)…これはまたどこかで書きます。
いろいろ面白いんです、成り行きが。
海なし県(埼玉県)で育った私が、瀬戸内海に囲まれた香川に来るなんて。

人生、いろいろあるけども、
おもしろいもんです。

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