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暮らし、だから。「忘れられない言葉」―倉敷・ぶどうの家―


 「岡山にある、ぶどうの家っていいらしいよ」。

 訪問のきっかけはそんな知人の一言。ですが、ホームページがあるわけではなく、ほとんど調べようがありませんでした。ひとまず電話番号だけ調べ、アポイントを取って訪ねたのが2017年11月のこと。10年近くの間、私がこれまで訪問したケアの現場でも、とても印象的だったところの一つ。まずはそこから振り返ります。

(※一部加筆修正していますが、肩書きなどは2017年当時)

 ハードとソフトの“一致”

 倉敷市船穂にある、ぶどうの家とは三喜(倉敷市)が運営する小規模多機能型ホーム・グループホームです。1996年、民家での”宅老所”のような場から、同じ病院で働いていた3人で立ち上げたのが始まりです。
 ぶどうの家は穏やかな住宅地のなかにあって、到着すると利用者と職員が一緒に洗濯ものを干している風景がありました。外観はダークなトーンをした木造の平屋づくり。重厚感があり温もりが感じられ、内部は畳のある純和風の造りです。バリアフリーとは離れた構造。

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 玄関は段差があり、浴槽も一般家庭にあるようなもの。オープンキッチンでは職員が食事の準備をしていて、居間からはその様子、音や匂いも直に感じられます。襖を閉めれば幾つもの「居室」に変化するのは設えの工夫。居間では利用者が畳に座り、お茶を飲んだりしながら一息ついている姿がありました。

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 管理者の岩井由紀子さんが「日常の動きのなかでリハビリとなるように、玄関には段差もありますし、普通タイプの浴槽を導入しています。トイレも2か所ありますが、あえて居間からは遠いトイレに誘導し、体を動かしてもらうようにしています。利用者に調理や洗い物などの一部を手伝ってもらうことも日常的です」と教えてくれました。
 小規模多機能ホームとしての泊まり専用の部屋は設けていないというところも特徴的。これは、襖を閉めれば居室となるためで、「襖は体を支えてくれる手すり代わりにもなる」と語るのが総合施設長の武田直樹さんです。
 「襖は面なので、手を置く場所も選ばない。休息したいなどの利用者がいれば襖を閉めて個室にして落ち着いてもらうこともできる。襖は便利なんですよ」(以下の会話はすべて武田さん)
 「利用者の状態によっては椅子とテーブルに腰掛けますが、基本的には畳に座る。椅子に頼ってばかりだと、体幹が弱るのです。畳からの立ち上がりの動作には時間がかかりますが、足腰を鍛えることになります」
 60代の若年認知症の女性は立ち上がり動作ができなくなっていたそうですが、ぶどうの家に通うようになって、それができるようになったといいます。

 「畳は立ち上がり動作が難しい人でも”いざれる”。移動ができる。襖は閉められる、外せる。どうにでもなるんです」

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 設えの工夫は他にも幾つもあるのですが、ぶどうの家が、ソフトのことで大切にしているのは「日常」です。特別なアクティビティはなく、ぬり絵等に取り組むのでもありません。洗濯物を干したり、食事作りを一緒に行ったり。天気が良ければ散歩に出かけ、乾いた洗濯物を畳んで…。そんな風にその日一日が過ぎていくのです。

 「小規模多機能は自宅での暮らしがあってこそ。ここで過ごすのが一番にならないように」

スロープレスという考え方

サ付き住宅 車椅子で上がりやすい階段 (花帽子)

 ぶどうの家の隣には、サービス付き高齢者向け住宅「ぶどうの家 花帽子」があります。
 一階の居室にはすべて専用玄関が設けられており、すべての居室の入り口がドアではなく襖なのがとにかく特徴的。

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 「生活の音、匂い、人が動く気配が襖だと聞こえてくるし、感じられる。ここを大切にしたいがために襖を活用しているのです」


 さて、花帽子の入り口にはスロープがついていますが、段差のある玄関には、車椅子で上がるための専用の階段が設けられています。

工夫された階段(スロープレスという在り方)


 「スロープがあることで玄関に入るまでの直線距離が長くなりますし、雨や雪の時には滑って危険なこともあるのです。また、スロープを通るとは車椅子をずっと押さなければいけないため女性職員には力のいる動作。車椅子専用の階段は、車椅子を階段に乗せるその瞬間には力を使いますが、それ以外はとてもスムーズな動きで階段を上がることができるんです。職員もその一瞬に緊張するためかえって安全。実際に階段のほうがいいと職員は言っています」
 玄関のドアを開けて靴を脱ぎ、フロアに上がるところは、バリアフリー。しかし、このバリアフリーの状態を、武田さん実は残念がっているのです。
 「市からの指示によるもので…。バリアフリーになっていることで、せっかく玄関まで上がり、いざ住まいのなかへと意識が向かっているところを、靴を履いたまま入ってしまう入居者がいるのです。“家のなかに入った”と認知できていないのですね。段差を付けたかったのですが、市の担当者に何度説明しても受け入れてもらえなかったのです」
 そのほか、廊下の幅、手すりの配置など、市による設計上の制限が多く、思っていたように出来なかったところがあるといいます。

人の暮らしに、立ち入るからこそ

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 花帽子内全体は、オレンジ色の明かりで、ほんのり暗め。各居室に、予め照明は備えつけないのだそう。
 「照明は自分の家にあったものを持ってきてもらうようにしています。家の照明は見ないようで実は見慣れているもの。寝るときに知っている照明がある光景は安心できる。人が移り住むということは、リロケーションダメージを受けることにもなるんです。認知症の人にとって目から入る情報が多いとは、余計に混乱のもととなると思っていて。照明が少なく、暗いということは視野が狭くなるので、そのぶん情報もキャッチしづらくなる。オレンジ色の落ち着いたトーンは高齢者には合っているんじゃないかと」

   驚いたのが、各居室にあるトイレのドアが一部がくり貫かれていて、鍵もついているということでした。

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 「普通の自宅だとトイレには鍵がついていますよね。だからです。ドアの一部をくり抜いたのはトイレから出られなくなってしまうことがあるから。ここ(くり抜いた部分)から職員が手を伸ばせば鍵を開けられます。また、職員に堂々と排泄の状態を見られるのは気持ちの良いことではないですが、こうなっていれば排泄の状態もそっと確認することができるのです」

 ドアの一部分をくり抜いた…

 これはもちろん後からのこと。そういう規格のドアなどありません。

ぶどうの家のこうした “ふつうの暮らし”に寄り添った、何一つ妥協のない姿勢、徹底した設えへの工夫に私は驚くばかりなのでした。

 そして、武田さんが発した一言に胸を突かれるのです。

「入居者と職員が歩み寄って、その人のテリトリーに入ることを許してもらえる最大公約数を、いつも探しているんです」

 地縁の復活

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 現在の「ぶどうの家」が建つ前に使用していた建物は現在も残っています。そこは、日常は駄菓子屋として、月に2回は地域の食事処として開放されているそうです。

※駄菓子屋はその後移動しました。現在、この建物は食事処専用になっています。

駄菓子屋


 駄菓子屋の店番を利用者が務めることもあるといい、地元の幼稚園児や小学生が買い物にやって来ます。
 「食事処は様々な人が訪ねてきますね。地域住民が気軽に集ってもらえる場としたかったので、利用者が利用することも当然ありますが、『認知症カフェ』と謳うことはありません。そう謳うことで、利用することに対する『壁』ができてしまうのも避けたかったのです」


 食事処の運営をしているのは法人内のNPO法人わたぼうし。武田さんが代表理事を務めていて、有償運送や買い物支援といった事業を行っているそうです。必要な物品を宅配する形ではなくて、一人で買い物に行くことが難しい人を車に乗せて、一緒にスーパーなどに行き、自ら買い物をしてもらうという支援の仕方。
 「サービスを利用したい人は『待ったなし』。有償運送は365日いつでも利用可能で、7人の運転手がいるんです」


 有償運送は「ご近所の起爆剤になればと思いやっていること」だといいいます。利用者のことを説明し、地域住民に見守りの依頼、変化があれば連絡してほしいなどと伝えているそうです。
 「地域に車を走らせることで、疎遠になっていた人同士がまた仲良くなることもあるのです。近所の様子もよく見えてくる。食事処の利用での送迎をしていれば、話のなかで、利用者が過去によく会っていたり、ここで友達になって様子も教えてくれることも。お互いが気にかけるようになるんですね」
 それはつまるところ、地縁が復活した、とも言えるのではないでしょうか。

 「うちはコレです」と、ありのまま。

 ぶどうの家は、もう一か所あるのです。隣町・真備に。これは需要があったためで、需要がなくなるとは考えにくいのでしょうが、武田さんは「需要がなくなれば閉じても良いんです」と話します。私は、ホームページをつくっていない理由を尋ねてみました。
「利用者のためになることがあれば良いのですが、何か作られたものになってしまうのも避けたかったんですよね」
 法人で、居宅支援事業所を設けていないのも、外からの目を大切にしているため。サ付き住宅の花帽子にデイサービスも併設されていません。花帽子の利用者で、法人内の小規模多機能を利用しているのは一名のみ。他の入居者はみな外部サービスを利用しているのだそう。
 「居宅を持つと、『自分たちのサービスを』となってしまい閉鎖的になりがち。ここでは外部からケアマネジャーが10人ほど行き来することが多いのですが、“見られる”ことで外からの風通しも良くなるでしょうから」

 だからいつでも見学可能。
 いつ訪れてもいい。ありのままを見てもらいたいから。
 武田さんは言い切ります。

 「『うちはコレです』とありのまま」。


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