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「もれる」を肯定しないと…―我が家のコロナ騒動“総括編”
2月14日、バレンタインデー。
小1の娘・ひびきは6時すぎに起きて『鬼滅の刃 遊郭編 最終話』を見て、卵かけご飯をスッと食べて、3週間ぶりに登校した。
1月25日に夫のコロナ感染が判明。27日から夫はホテル療養へ。26日、ひびきのみPCR検査。陰性だった。ところが29日に38℃の発熱。31日にひびきが二度目、私も初めてのPCR。2月1日、ひびき陽性、私は陰性の結果が伝えられる。
ひびきとは、チューだの、ペッ。寝るときはギュー。
もう、120%超濃厚接触の私。
ひびきに「隔離」なんてことができるわけがない。
“ひびきと私は運命共同体”
覚悟を決めた。
ひびきは10日間の自宅療養。
発熱は一日のみで、他の症状はまったくなく、ずっと元気だった。
このまま特に問題がなければ、2月8日から登校可能とのことだった。
一方で、濃厚接触者の私は、8日から7日間の自宅待機を求められることとなった。
私はPCRを受けたくとも受けられず、県の無料検査は「濃厚接触者は対象外」。
そして、ひびきが療養解除直前に胃腸炎を患ったことで、療養解除が13日に延長。
私も、自宅待機解除が、2月15日から20日まで延長されてしまった。
なんの体調不良もないのに、濃厚接触者扱いのまま、ほぼ一か月もの期間、自宅待機なんて…。
この事実を思うと、どんどん腹が立ってくるけども、
それよりも、大切なことを綴りたいと思う。
人に触れることがタブーとされる日々のなかで、いろんな感情を味わった。いろんなことに気づいた。
少なくとも…
感染者が何人といった“数字”から暮らしは見えない。苦しみは想像できないということ。
陽性者、濃厚接触者といった名詞には、温度がなくて、冷たくて、名詞で語られる分だけ、傷つきやすくなるということ。
テレビニュースの映像や、ツイッターの文字から知りえることは、ほんのわずか。表層でしかない。
人それぞれの暮らしの、深いところに、もっとずっと、もうどうしようもないくらいに切なくて、愛しくて、悲しいものも存在しているんだと思う。
コロナ感染症の一番つらいのは、人に触れられないこと。心がほっとするような支援を得られないことだ。
『鬼滅の刃』の丹治郎のセリフー“人は心が原動力だから…”って真実だなって思った。
健康だけど、出られない。
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自宅は田舎にある一軒家。家のなかでも、おにごっこをしたり、縄跳びだってできる。小さな庭だが、泥遊びもできる。誰もいない時間を狙って、海で散歩くらいはできた。
これが都会の、マンションの一室で長期に及ぶ自宅療養や自宅待機だったら、発狂するかもしれなかった。
そう考えると、環境的には恵まれていた。
とはいえ、娘と二人きりの自宅にこもる生活はしんどかった。
療養解除日を指折り数える日々。 なんとか一日一日を過ごしていく。
節分もあって、ひびきと2日間かけて鬼のお面をつくったり。
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書初めしたり。
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市場での仕事先の社長が、どっさり食料を届けてくれて、心底嬉しかったり。
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夫が恨めしい
一方、先に療養解除となり、仕事復帰をした夫を恨めしく感じてもいた。
介護職ということもあり、ホテル療養が終わっても(“陽性者のいる自宅には帰るな”という職場の声もあって)自宅には帰らず、実家で過ごしていた夫だった。
ホテル療養なら一人やんか。私だったらもうゆっくりじっくり読書したいよ…いいよねぇとブラックモードに入る”私”もいた。
状況一変 堕ちる「母」としての私
あと2日で療養解除!!の2月6日、
しまっていた学校の制服を風にあて、日々心配して、電話をくださったり、プリントを届けてくれていた担任の先生にお礼の手紙も書いたり、登校する準備を進めていた。
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午後、ひびきがつぶやく。
「お腹痛い」
嫌な予感がした。
2月7日、発熱。SMSで届くHER-SYS(感染者等情報管理システム)に体温を入力していた。
「お腹痛い」
腹痛自体は弱いものらしく、たまに少し痛くなるもの。食欲は常に変わらなかったため、それほど心配はしていなかった。
が、午後、38℃を超えてしまった。
「今日は体温が高いようですが…」と保健所から電話がかかってくる。
「療養解除はまだできません」と告知される。
私は堕ちた。
もう、声をあげて泣いた。ぼろぼろ泣いた。
夕方、洗濯物を取り込まなければいけないのに、その欲がわかない。
食欲だってぜんぜんない。
完全に、心が乾ききってしまっていた。
夫に「もう限界」であることを伝え、自宅に帰ってきてもらう。
2月8日、早朝、私はもう一度泣いた。
ひびきの熱は下がり、体調に問題はなさそうだった。
この日、夫は仕事休みだったため、私はひとりの時間を過ごし、ようやく心が静まった。
波に飲まれている最中だと、灯りを見出そうとできない。
私は抱いた感情を細かくノートにメモしたり、SNSで発信したりすることで、多少のストレス発散ができたし、友達や知人のあたたかい励ましを得て、堕ちきらず、青空のまぶしさを再び感じられたけど、トンネルの出口が見えない人々があちらこちらにいることが想像されるのは、こういう身になったために容易なことだった。
暗闇のなかにあって人は、もろくて崩れやすい存在になる。
健やかな暮らしは、“孤”では維持できない。
2月9日、再びの高熱に下痢。39℃にも達しているにもかかわらず“コロナ陽性者”という枠で、小児科受診ができず、保健所と結びついている地元の病院の受診枠も“枠がいっぱい”ということで、病院受診が叶わなかった。
“ひびき、重大なものに患っているんじゃ…”
本当に困っているのに、他のだれかに相談できない。どうしようもない状況。四面楚歌。
そもそも、病院や保健所と交わす言葉は「陽性者」だの「濃厚接触者」だの「枠」だの、名詞ばかり。
温度が感じられない言葉だらけだった。
夫は夜勤入りの日で、娘のこの状況を職場に説明し、休暇をもらえたから良かったものの、夫が家に帰ってこないままで、娘と二人きりだったとしたら、もうどうなっていただろうかって思う。
幸い、娘は症状が改善を見せたため、夫と「あ~、良かった…」と胸をなでおろしていたけれど、同じ空間に話し相手がいなかったら…。
一人でいてはだめなんだと切に実感していた。
”もれる”を肯定したいー人類学的思考
人類学者・松村圭一郎さんの『くらしのアナキズム』(ミシマ社)にこうある。
―ささいな日常のコミュニケーションに政治と経済がある
(日本では)他者の困難を知りえない状況こそが、政治や経済を暮らしから遠ざけてしまっている。社会の問題が、いつも他人事にとどまるのだ。
(中略)
目をみてあいさつを交わすような、人が人として対面する状況では、他人の問題がたんなる他人事では済まされなくなる。そこでいやおうなく生じる感情が、人をなんらかの行為へと導く。嫌悪感やうしろめたさも含め、つねに感情的な交わりの回路が維持されていることが、ともに困難に対処するきっかけになりうる。
歴史家の藤原辰史は『縁食論』のなかで、安藤昌益の「もれる」という概念に注目している。他人の問題がつねにもれでている。だから、それぞれが手にした富を独り占めすることも難しくなり、必要な人へともれだしていく。富が独占されず、他人の困難が共有されるためには、問題が個人や家庭だけに押しつけられ、閉じ込められてはいけない。くらしのアナキズムには、きっとその「もれ」をうながし、うまく「すくいとる」技法がいる。
コロナという感染症を広げないためには「もらす」ことはタブーだ。だけど、「もれる」を肯定することで、ようやく、すくわれることに気づく。
ひとりじゃないって、感じられるのだ。
2月10 日にようやく病院受診が叶った。
ひびきは「免疫低下による胃腸炎」との診断で、熱は下がり、下痢も回復してきたため、療養解除日は2月13 日に決まった。
濃厚接触者が一番つらい、すくわれない
結局のところ、陰性の濃厚接触者が一番、長くつらい思いをすることになる。
陽性であれば、保険もおりる。健康。保険の傷病手当金も支払われる。有給もある。が、今回の私のケースは(市場での仕事)、パートなので、働いていない期間は給与がもらえない。保険金の類も一切ない。
なんの支援もない。
ま、マジで…?
だったら、「いっそ、コロナになったほうが良かった」って話になるやんっ!!
都内なら、“みなし陽性”になれたよね…私。
こ、これ、仮に母子家庭で、子どもが感染して、お母さんがパートでの勤務で濃厚接触者のケースだったらとんでもない話じゃないの。
アクセスできない問題
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“濃厚接触者も「新型コロナウイルス感染症対応 休業支援金・給付金」に申請できるらしい”。
いろいろ調べて、時間をかけてようやく申請できることが分かったけど、「濃厚接触者で働けなかった人も対象…」といった類の記述はすぐに発見できなかった。
私はこれから申請するが、その申請だって煩わしさがある。
なんでもかんでも、「クリック」していかないと詳細に辿りつけない。
アクセスできない人はどれだけ存在しているのだろう…。
濃厚接触者 給与 支援…といった検索キーをあてて「あてはまる!!」と理解できたのは、高知県のサイト「新型コロナウイルス感染症に関する休業手当等の支援について」のなかー中小事業主に雇用されている労働者の方へというところの、注釈欄に「濃厚接触者となり、事業主の同意により休業し、休業手当の支給がない場合も含まれます」との記述を発見したからだ。この記述を発見するまでに、かなりの時間を要した。調べるのも、辛い。“もういいや…”ともう少しで、あきらめる寸前だった。
“濃厚接触者も対象”との記述を、もっとわかりやすくしてほしい。
私は物書きでもあるため、調べることが得意だからいい。
そうでない人は、アクセスできない。
確認のため、フリーダイヤルに問い合わせをした。
“どうせ混雑していて、なかなかつながらないんだろうな…”と思いきや3コールと鳴らさずに、電話はつながった。書類の書き方についても、丁寧に対応してくださるので、みなさんぜひ申請してください!と伝えたい。
ワクチンで解決できるものって、どこまであるの?
専門家でもないし、あくまで「事例」の話ではあるけれど、夫の職場、勤める法人では、利用者に「3回目のワクチン接種」が始まっている。
夫がもらす。
「ワクチン打ちだすと、死ぬんだよね」
「もともと弱くなっているところ、ワクチンがとどめになってるように思う」
ワクチンを打つ月は、利用者さんが亡くなる数が増える。
この事実はどう捉えたらよいのだろう。
私も10月に二度ワクチンを接種した。二度目の接種後、かなりしんどい思いをした。
副反応―身体が受け付けないワクチンはやっぱりおかしいんじゃないかって思う。
一時的には感染予防になるのだろうけど、その場しのぎでしかない。コロナのワクチンについては、人体実験のまっただなかだ。
何年後か、遺伝子レベルでか影響が出るかもしれない。
と考えたら、これから子どもを産む娘に、私はワクチンを打たせたくはない。
とはいうものの、私はあれだけ、コロナに感染したひびきと超濃厚接触しても、体調不良は起きなかった。感染したものの、無症状のままだったのかもしれないし、感染しなかったのかはわからない。
もし感染していて、無症状だったとするなら、(本当はワクチンは打ちたくなかったのだが、ワクチンパスポートなどと騒がれ始めたことと、もともとあちこち取材に行く身を考えて接種を決めた)ワクチンを打ってまださほど時間が経過していないため抗体があった、とも考えることができる。
(ちなみに夫は、昨年夏の時点でワクチン接種は完了していた)
だから、ワクチンがどうのこうのとはやっぱり言えないような気もする。
春よ、来い
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私が「自由になれる」まで、まだあと数日かかる。
“濃厚接触者”という言葉が私を縛っている。
未だ、精神的な負担がかかりっぱなしだ。
娘の療養期間中、毎日SMSが届き、HER-SYSへの入力を促される。
はっきり言って負担だった。
保健所からちょこちょこ電話もかかってきていて、正直、「もう、ほっといてよ…」だった。
と綴ったところで、2月14日の13時すぎ、学校から電話がかかってきた。
「しんどいって言っていて、体温を計ったら37.1℃あるんです~」
久しぶりの登校で疲れたのかも。早退することになった。
13時半すぎ、帰って来て、宿題をして、おやつを食べてご機嫌だったのだが、16時前、ほっぺたが真っ赤になっていた。
39℃を超えている。
ひびきの身体は、何と闘っているのだろう…。
もう、何が何だかわからない。
解熱剤を投与し、19時すぎには就寝。
2月15日、6時すぎまでぐっすりだった。
36.5℃!
胸をなでおろした。元気である。
「しんどかったら帰っておいで」
通常通り、登校した。
というわけで、3週間以上、日々、いろんな感情を味わいまくっている。今も、スマホをパソコンの脇に置いている。学校から電話がかかってくるかもしれないから。
後遺症とは思いたくないけど、後遺症なのかもしれない。コロナには感染しないほうがいいのは間違いない。
除菌、除菌と騒ぎ立てるCMにはうんざりしているし、それよりも、腸内環境を整えていくほうがいい。免疫力や自然治癒力を高めるような生活をしたいと思う。
善玉菌と悪玉菌のように、善いも悪いも、常に同居しているのだから。
人間の心だって、あっちいったりこっちいったりするんだから。
ひびきには、もう少し、日にち薬が必要なのかもしれない。
春よ、来い。
切に願う。