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惚れてしまう空間・場ーわくわくデザイン八木さんに聞く 後編
八木さんのお話の続きです。
朋―埼玉県鶴ヶ島市・看多機
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どこに建てるか 立地
(八木さん)設計を担当した朋(とも)という施設があるんです。
ここは土地探しから始めました。立地によって、福祉施設は形が全然違うものになりますね。
私は大学では、東京理科大学の大月研究室にいたのですが、その先生の本にしたら「お年寄りの一番の居場所は、子どもたちの登下校が見えるベランダだった」と書いてあって。一番楽しいというか、そういう気持ちになるところ。地域のなかに立つんだったら、子どもたちの声が聞こえるところがいいと、朋は小学校の隣の土地を探してきて、そこでやらせてもらったんです。学校がそばにあって、登下校の様子はもちろん、桜並木が見えます。学童もあって、子どもたちが遊んでいる姿も見える。コロナ禍にあって…まだ巻き込めてはいないんですけども、この先、施設と子どもたちが仲良くなったら行ったり来たりできたらいいねって。そしたらもう、新も栗林荘もそうなんですけど、人を巻き込もうと思って、わざとバスケットコート作ったりするんですけども、いやいやここに小学校あって、いつも子どもたちが遊んでいるじゃないかと。作る必要がないじゃないかと。うまくはまりこんでいって、小学校にもお年寄りがいて、ときに子どもたちに昔話などをして。そういうことが起こっていけば、まちや学校の考え方も変わってくるんじゃないか。そういう意味で、立地はとても重要だと考えています。
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朋の和室の設えも、古い建具を建具屋さんで買ってきました。新でも古い家具を入れていますけど、やっぱり空間のなじみが全然違いますね。
―そうなんですよね。今まで訪れた施設で、絶対的に心地よさが感じられるところにはこうした古い家具がある。平屋で、コの字型で、ぼんぼりの照明があって、木造で、格子があって…。これらは一体何なのでしょうね。日本人のDNAをくすぐるのか。ずっとその理由を考えているんですけども。
心地よさの背景
こうしたものは日本人の肌感や気質との相性がすごくいいんだろうなとは思いますね。真っ白なんかは新しくて清潔だというアピールをするにはいいですが、自然界にはあまりない色ですよね。やっぱり馴染みづらいんじゃないでしょうか。
空間は、いろんな形をしていたほうが、いろんな居心地というか…平らな天井があってもいいと思うんですけど、リズミカルに木が見えても気持ちがいい。
朋のあとも、福井や千葉などでデイサービスの増築などの設計をさせてもらいました。定員が20人くらいで、サイズは小さいほうが、やっぱりオーナーさんのキャラも立つ。それぞれの土地に即した、全然違うものができる。規模がある程度大きいと、どうしてもシステマチックになってキャラが立たないというか。
福井県越前市で設計させてもらったいっしょ家さんという共生型のデイサービスでは、こどもたちを遊ばせたい!という話だから滑り台や寝っ転がると遠くの山が見えるアスレチックネット、大きなボルダリングがあります。皆が居場所がちゃんとありながら一体感も有るような形を目指して設計しました。(PCを見ながら)ここは坂戸にある…
デイサービスmoi(埼玉県坂戸市)
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―なんですか、この天井(笑)
40年くらい経っているRC造の古いビルを改修したデイサービスがmoiです。ちょっと面白いでしょ(笑)。佐久のパンフレットの写真撮影の時、利用者さんがティッシュでつくったひまわりなどが壁についていました。それらをいったん外して撮影してもらったんです。新では、ある介護事業者さんを案内しているとき似たようなことがあり「こうして飾ってほしくないという設計者の方もいますよね、どう思いますか?」と質問されました。私は外したいとは全く思わないんです。それらは利用者さん同士、職員さんと利用者さんとのコミニケーションの現れだから盛んにやっていただきたいと。ただ、設計者側が考えておいたほうが良いと思うのが、貼ったときに様(サマ)になるというか、かっこよく貼れるようにデザインしておいたほうがいいということ。それが甘いから、違和感があるんだろうなと思っています。
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完璧さを求めない
出来上がった時に完璧で、使い込むとだんだんダサくなるのではなく、出来上がった時は中途半端でも、使い込むとだんだん愛着が増して、より自分たちのものになる作り方ができないかなと。ふつうは新築になると、石膏ボード貼るでしょ、クロスも貼るでしょ…どうしてもピカピカになっちゃうんですよね。moiは解体していくと中途半端な表情のコンクリートがむき出しになりました。そこにやっぱりまた石膏ボード貼ってクロス貼ってピカピカにして利用者さんに渡したほうがいいのか、このままがいいのかって考えて…。いまのままの中途半端でいい。職員さんや利用者さんがこれから楽しめる状態で渡したほうが良いかなと考えました。手出しができない完璧さよりも中途半端な状態のほうがとっかかりがいい。でも、何もしないとあまりに殺風景だったので穴がいっぱい開いている木材で天井を組んだりして。物をひっかけてすぐイベントできるようにしました。
スタンバイOK 気軽にやろう
設計にあたり「スタンバイOK」という考え方を大切にしています。佐久では、U字溝をひっくり返したバーべキューのコンロが庭の真ん中に置いてあります。バーベキューセットを倉庫にしまいこんでいると、出すのが“面倒だから”となかなかやらないんですよ。出しっぱなしにできるんだったら「あ、今日天気良いね」「おいしい鶏肉があるよ」「じゃ、焼こうか」って、すぐに行動できるんです。距離が近くて、やりやすいという状況。そうでないと、日常のふり幅が小さくなってしまう。いろんな楽しいことがすぐできる、思い立ったらできる。それが積み重なっていくことが、現場に染みつく楽しさになっていくかなと思います。できるだけ、やれることのハードルを下げているんです。
変化は豊かさ
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新には、利用者さんが子どもと一緒に料理するキッチンがあります。有料老人ホームでは基本的に上げ膳、下げ膳で、当時は「お年寄りは料理をしない」という気持ちがあって。でも、お年寄りが料理をするときってどんな時だろうかと。子どもが遊びに来て、料理を教える時だよねって。そこで対面キッチンをつくったんです。佐久の場合は、利用者さんにもっと料理してもらいたいと思ってふつうに座って使えるテーブルにIHを段差なく内蔵しています。そうするとデイに来たおばあちゃんも、そこで野菜を洗ってちぎってIHの鍋に放り込むだけであれば「なんだ、私、もう料理できないと思っていたのに、まだ料理できるじゃない」と。できないのはおばあちゃんが悪いんじゃなくて、”台所の設計に問題があったのか”と思ってほしいんです。そしてまだまだ自分はやれるって自信。そういう意味からしたらハードルを下げていろいろな人がやりやすい環境、参加しやすい環境が大切だと思います。調理をするのがいつも同じスタッフじゃなくて、いろんな方が参加して、いろんな変化があること自体を楽しめたらいい。
先ほどの撮影の話で、佐久の撮影の時、あるおばあちゃんが稲荷寿司を握っていました。撮影が終わってから「ひとつ食べ」と頂いたんです。そしたら、味つけ忘れてるでしょ(笑)って。でもそれは全然いい。“おばあちゃん、味付け忘れてたよ”って。単純に笑い話でしかないんです。
あのおばあちゃんは味付けを忘れてしまうようだから、次作るときは誰かが気を付ければいい話。それが「失敗するかもしれない」って、おばあちゃんを料理から遠ざけてしまうと何も起こりません。日々何か、喜劇じゃないですけど楽しんで過ごしていただければいいかなと思いますね。
時期折々 見逃さない
佐久では、オープンしてしばらくして「日々何をしたらいいんだろう」ってなったそうです。その時に青山さんが話していたのが、一年通して地域の暮らしに、周りに何か起こってないかということ。お誕生日もそうですし職員さんの何かもそう。ちゃんと見ればやることはたくさんあるんです。1月になったら豊作を祈って、例えば地域ではこうしてたよ。春になって山菜が出てきた、ふき味噌でもつくろうか。天候がよくなったから外出よう。草むしりしよう。梅雨の時期はお裁縫して…と、季節ごとにやることが実はある。“レクしてる場合じゃないでしょ”。レクだとそもそも職員さんが考えて「こないだこれしたし」って。レクが苦手な職員さんもいる。そうではなくて、お年寄りがやりたいことをただそこで、日々の変化のなかで見つけて「じゃあ一緒にやりましょう」って。送迎のとき、車のなかで何かの花が咲いているのを見ていて「昔あれ、天ぷらにして食べたんだよね」「じゃあ摘んできて今日、お昼に天ぷらにしてみんなで食べて昔話を聞かせてください」って、そういうことを積み上げていくとみんな楽しいし、色んなことを、見たことをお年寄りも話してくれる。そんなことがサポートできる建物づくりができたらと思うんです。
―日本の暦は実はとても豊かですよね。手仕事がたくさんある。一年のなかでそれをしていたら”レク”に頼らなくていい。「今月レクの担当だ。そろそろ準備しなきゃ」と言っていること自体が義務、業務になってしまっているということ。職員にとっては負担。そもそもお年寄りが「やりたい」って言ったのかどうか。日々を回す、こなすのに必死。目的がずれてしまっているようにも感じます。
moiの周りがなにもない。何もないというのはまちなかにあって畑も山もない。じゃあどうする?まちをよくするために自分たちでできることがあるんじゃないか?って考えて。小学校入学の時期になったらお母さんたちを呼んでミシンをいっしょに使いましょう、だとか、夏休みになったら自由研究を子どもたちと一緒に、秋に落ち葉がいっぱい落ちていれば、掃きに行きましょう。地域をみれば実はやることはあるんですよね。それを「施設から出ない」というのを前提にいつも決まった人たちのなかだけで完結させようとするからどうしてもマンネリ化するし、嫌と言う人をどうやってやってもらうかと、話が難しくなる。それよりも、いろんな人がハマれる面白いことを、取り込みやすい建物の形にしておけば、ふつうに楽しんでいるだけですよねというところに持っていける。料理するのでも、忘れっぽかったら、そこをお手伝いすればいい。職員さんじゃなくても、ほかのおばあちゃんが「お砂糖入れるの、忘れてるよ」って言ってくれればいいのであって。
―そうですよね。忘れないようにする促し方、手を添えるべきところは職員、専門職の出番。一方、空間がそれを助けることもできる。高さや物の配置の工夫もそう。そこがうまく噛み合ったら、固定化されてしまっている仕事内容だとか、施設の形といったものを崩すことができる。いいなぁ…
ほんとうまく解きほぐしていけるといいですよね。
―医療と介護の連携といった話でも、医療側がどうしても“上”の立場になってしまって、介護側は「医者から言われたから」ってそれ以上言えないし、思考停止の状態。お互いがいろんなものを交わしていければ、お互いの質が向上できていいのに。介護職のほうが、医者よりも圧倒的に接する時間が長く、しかも日常レベルの目線を持っているわけで…。
介護職さんのそういう面、プロ意識…たとえば横木さん(横木淳平さん:新の元施設長、現在独立して「介護3.0」を広げる活動を展開)はそれをしようとしていると思うんですけど、そこをちゃんと伝えていけば。そこがスタート地点だから。そうじゃないところでぐちゃぐちゃになってしまってますよね。
―がんじがらめの状態をいかにブレイクアウトするか。
そうなんですよね。設計側も伝えていかないとと思います。
佐久は、実はあんまりテクニカルなことはしていなくて普通に作ってあるんですよ。なぜ普通に作ったかというと真似してもらいやすいように。新の時はそんなことは考えていませんでした(笑)。佐久は普通の木造で、普通の建て方で、でも空間のつなぎ方だとか、ひとつひとつを利用者目線で作っていくとこんな風になる、ってやりたいなと。
―そこはクライアント側もそう思っていたというか、「こんなものを」と思っていたのでしょうか。
んー、説明はさせていただきますが、まだないものを理解していただくってなかなか難しくて。どちらかというと信頼していただいたという方が正しいかもしれません。
―佐久のSNSを見ると、建物を使いこなしているような気がします。
うまく特性を読んで、もう一度使い方を考えていただいたんだと思っています。
―老人ホームとはこういうもの、と固定化されていますものね。
特養の設計に取り組んだとき「難しい」と感じたのが、皆さんがよく知っている特養の形態以外は想像も難しいし、あまり好感を持たれないことが多いんですよね。そしてあたり前ではありますがその使われる方の状況、とりまく状況とちゃんと響くつくりかたをしないとうまくいきません。剣で戦うのが得意な人に私達がすごくいい弓をつくってもしょうがないみたいな。予算が限られる中でいい盾を持っていっても欲しいものはこれいじゃないみたいな。新は門がありませんが、それを活かす管理者とそれを迷惑に思う管理者の方がいると思います。いい悪いではなくて考え方の違いだと思います。
設計中断➖調査する
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栗林荘の設計に取り組んでいた最中に気づきがありました。設計をかなり終えていた時期だったんですけど、新のランドスケープの設計者の愛知県立芸術大学の水津功先生が「老人ホームって面白いね」と。栗林荘で、職員さんの気持ちがどう働いているかを調査して論文を書かれたんです。「施設長にも言っていないようなことをもとに職員さんは動いている」と。たとえば、ひとつは人の好き嫌いの関係。男女の恋愛関係も含めてで、対利用者さんに対してもそういう思いのうえで接している。けれど施設側は、平均化してみんな動いていると思っていると。
―仕事だから当たり前ですものね。
だけど、実はそういうことによって相当のことが決まっていると。
そういう話があって、(法人理事の)篠崎さんとも「今までそういうことを無意識のうちに設計していたけれど、調査したらもっと面白いことが出るかもしれないね」って。設計がかなり進んでいたものを「一回止めますか」。実際止めて、小山高専にいらっしゃった永峰先生、宇都宮大学の古賀先生と栗林荘で追跡調査をしたんです。どういう風に職員さんがついて利用者さんがどう動いているのかを調査したり、職員さんがどこで何をどうしゃべり、どうぐるぐる動いているかを考えたり…
行動の分岐点➖トイレ
ここで気がついたことの一つは、トイレが行動の分岐点になっていることでした。特養って(利用者さんが)席を立って他の場所にいくことがなかなか難しかったりします。きっかけもなかったり。席から立つときはトイレに行くとき。トイレから2か所の居場所が見えると「あ、あっちに誰かいるから私あっちに行きたい」って席の移動ができるんですよ。それが食堂があってその傍にトイレがあるだけだと、トイレから戻ってきた時には元の場所に戻されてしまう。2択、3択ある状態だと居場所をチェンジしていける。そういう施設設計って面白いんだって気づきました。
いろんな居場所を頑張って設計しても、居場所が変わりづらいことが悩みでした。そのあたり、職員さんと利用者さんの行動を読み解いていなかったですね。
―単なる居場所だけつくっても、ってことですよね。人間関係や個による好みなどがあってっていう…。
栗林荘での食事の様子を、既存の多床室の食堂と改修後の多床室の食堂で、それぞれどんなふうに食事をとり何分で食べ終わっているのかビデオを撮らせて貰って分析しました。調査前にはたぶんどっちも、食事にかかっている時間変わらないだろうっていう話だったのですが、実際にはユニットのほうがよりゆっくり食事をとっていました。
(同席された、わくわくデザインの宮下さん)既存のほうは、よくあるタイプですよね。大食堂にみんなが集まって温冷配膳車で運ばれて配られます。配られた人から食べ始め、ばらばらに食べ終わるような。食べ終えた人から席を立つことはない。むしろ職員さんが「ちょっと待ってて」とか言ってしまう。食べる速度はみんなそれぞれですが、ずっと席で待っていないといけない。だからみんなが、本当は個々人で違うのに、俯瞰して食堂全体でみるとみんな一緒なんですよね。居続ける。
(八木さん)改修後の食堂では利用者さんへの対応が個別に行われていたように見えました。その大きな理由は温冷配膳車がなく一品一品コミニケーションを取りながら食事を配っていたことだと思います。それによって利用者各々に対して接せられる時間的余裕が生じていたように思われました。利用者によって食事を早々に済ませて食後の居場所であるランドリーへ向かう方、ゆっくりゆっくり自分のペースで食事をされる方、 食事介助を行いながらその傍らで自身の昼食をとる職員さんなど、利用者のリズムに合わせた様子が様々に見られました。
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栗林荘では、特養の新しい形が提示できたらいいなと思って設計しています。そしてまた揺り戻しで、ユニットの設計ができたら面白いかもしれません。
―ユニットケアがあることでより暮らしに近づいたというか…そういうのが出てきたわけですもんね。みんなでご飯をつくるだとか。あの形だからこその可能性もありますし。
はい。ご飯をみんなでつくっている施設ってすごく実は少ないんですよね。今まではマンパワーと建築空間がリンクしていなかったんですよね。「ホントはできたらいいよね」って言いながら「いやそんなのできるわけないじゃん」て言っている現場がたくさんあって。だけど(RX組の)青山さんがアドバイザーに入っている特養で、うまくいっている施設がある。すごいなと。
そこでされていることって何かというと、ユニットというそれぞれのところがありながらも、それぞれの持ち味を融通しあって結局全体的に力を合わせて乗り越えているし楽しいことを引き起こしているんですよね。
まちの活力が届かない
―規模やサイズ感も大事ですよね。
10人のデイサービスとか小規模であればであればそんなに無理しなくても周りとの関係はできやすいと思います。それが30人、100人、200人となると状況が全く変わるんですよね。建ち方も、栗林荘に取り組んでいてすごく難しいのが、平屋ということ。
特養で高層階ってすごく微妙なところがあると感じるんですけど、例えばサ高住なら、3階、4階って積んでしまった方が1階が小さい分だけまちとの接点が増える。町の人が入りやすい。それが平面的にわーって広がった時、その真ん中まではまちの活力が届かないわけです。
―“まちの活力が届かない”。なるほど。
だから、あまり大きくしちゃダメなんだと思います。栗林荘も、140人の入居者にデイサービスがあって平屋となると相当大きいんですけども、ここの設計でありがたかったのは、昔の施設だったので、わりとわかりやすい。変に凝ってないつくりというか。病棟みたいな平面なんですよね。
―いじりやすい。
そうです。素の状態に近いというか。変に味付けしてあると、何かやろうとしたときにすぐにハードルになる。だから今のユニット型の個室を改修するほうが難しいですね。
―結局、分けるってことじゃダメなんですね。多様性、そのままがいい。そこで融通しあうという…。
ここは食堂、ここは地域交流室、とはっきり区切ってしまうとそれ以外何も発生しないですしね。
―ネーミングで動いてしまっているところがあるような気がします。ユニットケアがいい。〇〇ケアがいい。じゃあ取り入れよう。取り入れて、その枠のなかで縛られてしまう。福祉制度という決められたなかで動く。そのなかで、どう動いて豊かなものにしていくか…
逆に名前がないほうがいいんでしょうね。ただ、南向きのみんなでいられる場所があったり、北向きのゆっくりできる場所があるだとか。南向きの部屋では、いつもご飯食べているけど、春になったし、今日は野菜の種の植え付けの準備でもするか、とか適当に使えるじゃないですか。居心地の良い部屋がちゃんと状況に合わせてあったほうが良い気がしますね。ただそれを突き詰めていくと、一人あたり3平米だとか…いやいや何をもって3平米なの?って。
多様に使える食堂が単なる食堂になってしまうのはもったいない。豊かさは食堂そのものじゃないところにけっこうある。食事の前後だとか。
―作る過程…プロセスですもんね。
おもしろいことが起きていれば…。
それが抜け落ちて、ただ食事をするだけ、休憩するだけの場所になると、もう場がみんなちぎられちゃってバラバラになる。すると面白いこと何も起こらないんですよね。老人ホームというのは面白いことが起きていればそれ以上はない場所。
―人生何十年と生きて来た人たちがいるんだから、面白くないわけがない。
衛生が、死角が、職員さんの疲労が、というのも大事だとは思いますが、それらはあくまでも目的ではなくて手段ですよね。手段のために目的が見失わられてはしょうがない。目的は何十年も生きてきた人たちが持ち味を生かして職員さんと掛け合い、ご家族、地域の人を巻き込んで日々が充実して面白いことだと思います。
―そうですよね。結局そこにたどり着く。目指したい状態は、とてもシンプル。決まったものでなくていい。ハマらなくていい。そのようにしてうまくいっている施設や事業所があるというのを私も伝えたいと思っています。
視点の持ち方だと思うんですよね、何を重視して設計するかでできてくるものが違ってくる。ふつうに元気に充実して生きて頂くだけでいいような気がしていて。
その手がかりって何なんですかね。それぞれのおばあちゃんやおじいちゃんたちの気持ちはどうしても私にはわからない。マンションとかでもなんでもそうなんですけど、住む人の気持ちはわからない。誰かの家を設計してくださいって、その人に聞けばわかりますけど。なかなかそこがポイントとしてはあって。でも、そのなかで何を核にするかというと一つは子ども。子どもがいると全然違いますから。あとはやっぱり食事。すごく本能的なところですよね。食事なんてね。
―なんでもそうですけど、この世の中、本能的な部分から遠ざけられてるんですよね。手を介さずに済むというか。コインランドリーの急増もそう。洗濯、しないの?そんなに忙しいの?って。私は粉石けんで洗濯しているんです。残り湯を使って大きなバケツのなかに粉石けんを溶かして、木の棒でグルグル回して、洗濯機に入れる。周りから見たらかなり手間でしょうけど(笑)。でも、柔軟剤はいらないし、気持ちがいい。最先端の洗濯機はいらない。むしろ、昔使われていた二層式洗濯機が欲しい。粉石けんの洗濯に変えて、柔軟剤や香りつきのトイレットペーパーに耐えられなくなってしまったんです。香害なんて言葉もありますけども。暮らしの要素をシンプルなところに戻したり、あるいは突き詰めていくと、経済一点張りの構造に気づいてしまったり、いろんな問題も透けてきます。
昔のやり方って良かったんじゃないの?っていうものが結構ありますよね。
―はい。イベントっていらないかも。旧暦を頼りに生きればいい…とは言いすぎかもしれませんが。
イベントとしてのイベントじゃなくて、日常的にでも、活力がいるとは思います。だから日常化したいというか、日常を豊かにしたいんですよね。新のフラワーフェスティバルなんか面白いですよね。やり方が。自分たちでやらない。
―たしかに!新は「みなさんどうぞ」って、場を提供している。福祉施設だからこそできることだし、広がりの可能性がある。
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そう。なかなかないですよね。どうぞ使ってくださいって言える施設は。でも福祉施設の駐車場はだいたい広いですし、使えるものをちゃんと使いたい人に届ければ…少なくとも、今よりもっと幸せになることはいっぱいある気がします。
ランドスケープ
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/66900177/picture_pc_48adeb81883f7442b8d4383aac35078c.jpg?width=1200)
―お聞きしてみたかったのがランドスケープについてどうお考えであるかです。新の、緑いっぱいの環境はすごかったですから。
愛知県立芸術大学の水津功先生にお願いしました。新をやるときにぜひと思ってお声がけしたんです。建築も大事ですけど、すごい威力です。外はホントに。もうみんな建築よりランドスケープがすごいと言いますね(笑)。
―西村佳哲さんによる『ひとの居場所をつくる』という本があるんですね。ランドスケープデザイナーの田瀬理夫さんについて主に書かれた本で、そのなかに「関われる空間」というのが出てくるんです。“ランドスケープをデザインするというのは緑をきれいに配置するのではなく、人々がパブリックマインドを獲得するきっかけづくりに繋がっていないと面白くないと思う”というフレーズがあって印象的でした。
まさにそうですね。ランドスケープはそのポテンシャルがもっと理解されて欲しいです。
以前、水津先生と話をしていたときに、今の畑は同じものをつくっていますよね。全部キャベツとか。山もここは杉林とか。それ自体が豊かじゃない。日本の風景をもう一回変えるにはどうしたらいいかという話をしていて。林だって自然の林じゃない。作り物になってしまっている。
そこの根本的な豊かさ。建築よりも、形が、目的が不明瞭で、だたあるものなので、より感覚がある人じゃないと(ランドスケープの)設計は難しいだろうなって思いますね。少ないんじゃないですか?日本でそういうことができる人は。
―新の圧倒的な心地よさ。私が訪問したのが、7月の晴れた日で緑がとてもきれいな時期。時期も良かったのかもしれませんが、新の、光り輝いていた光景がバーンって今でも残っているんですよね。忘れられない。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/66900206/picture_pc_d869c9ae199938913471e87d63878a25.jpg?width=1200)
(理事の)篠崎さんもよく言われますけど、あれがアスファルトだったらすべて終わりです(笑)。
だけど、手間もかかるし、管理もどうやっていくかという話。本当は地域の人たちと持ちつ持たれつで楽しみながら苦労も分かち合いながらやれる環境がいいと思うんですよね。そうでないと、その辺の街路樹と同じように、秋になる前に、紅葉が綺麗になる前にみんな切ってしまうじゃないですか。落ち葉のクレームがあるからって。そういう話ばかりになっちゃう。だけど紅葉を楽しみにしている人もいる。声を出さないだけなので、だからそういうことをしていかないと良かったねってならない。
―今日こうしてお話を伺っていると、高齢者施設に関わっていくたびに、八木さんの考えも変わっていったことが分かります。
相当変わりました。
―こういうものを作りたいとかいう思い、憧れの建築、原体験があるなど、そのあたりのお話を最後に少しお聞きしたいです。
基本的に建築に興味があるというよりも、人に興味があるんですよね。人の活性が高い状態というか、その生き生きしている、輝いている状態が、建築だけに限らず、どういう状態で豊かさになるのか、興味ですね。
老人ホームは難しい。でも、やったほうがいい。私は今よく街で見かける老人ホームには入りたくないと思ってしまっているので。
―多々ある既存の古い施設、どうなっていくのでしょう。これからの世代は、ますます「入りたい」とは思えないでしょうから。でも、従来型の施設はある意味いじりやすいってことでもあるんですよね。
けれど、あんまり楽しくいじっている例は見たことがないんですよね。
―で、いじっているのが栗林荘。
はい、笑。ほかの方も言ってるんですけど「できるじゃん」ということを…
―見せるときですね。
そうですね。それが誰かに響いたら嬉しいなって思っています。
ある時から、小学校の建築がけっこう変わったんですよ。私が学生くらいのときに。
昔は、効率よく教育するためにただ教室だけが並んでいる。それがもっと子供たちの気持ちを考えて居場所をたくさん作ったり、ちょっと隠れられる場所があったり。するともっと活発に声が出たりだとか。そういうことって建築ってできるんじゃないのって。福祉施設もそういう風に変わることができると思うんです。
建築が寄与できること
日本建築学会中に福祉起点型共生コミュニティを考えていらっしゃる先生がいらっしゃるんです。福祉施設が地域づくりの拠点になる可能性があると思っている方が。たとえば、CCRCもそうですし、団地の活性化もそうですし、佐久もそうですけど、地域が過疎化してしまい、子どもがいない。地域の集落の住民が1000人だとして、老人ホームが一軒、40人の利用者、職員さんも40人いて、ご家族、関係者含めると知っている方はすぐに200人、300人行くんですよね。そういう場所でその人たちが時間を持て余している。そういうところで「何やったらいいかわからないからレクするか」。そのようなことを言う場所ではもはやなくて、どうやって力を合わせて生きていくかということのなかで、施設というのはすごいポテンシャルを持っているはずなんですよ。そこに建築が寄与して、地域にいろんなことを振りまいて。例えば地域の暮らしを伝承するだとか、役に立つことだとかをしたりして、プラスの発信をしていくと地域が変わると思うんですよね。
たぶんそういうことが起こり得る時期でしょうし、はっぴーの家ろっけんさんは、あれだけ建築が何もないなかであれだけのことができている。そこに建築が寄与したら、より加速度がつくと思っています。設計者としては。
―はっぴーの家、建築的に考えると何もないですよね(笑)。だけど内部でやっていることが本質をつきまくっていて、代表の首藤さんに話を伺うと「あ、ホントだな」って。
そう。でもあれであれだけできるんですからね。「何もできねぇ」とは言わせないぞ、みたいな感じですからね。でも、地域のニーズはきちんと聞いている。
―確かに。まずワークショップをやって、地域に何が必要かを周りに聞いているわけですよね。結果、お年寄りが多く暮らす多世代のシェアハウスになっただけで。施設類型というものには当てはまらない。
そうですね。次の段階というか、そういうことをやっていけたらいいなって思いますね。“老人ホーム”ってあまり考えずに、地域の暮らしづくりという…。
―八木さんが建築に進まれた理由を知りたいなと。
もともとは医者になりたかったんですけど、頭が悪かった(笑)。医者になりたかったのは、自分の中の世界に興味があったから。建築は自分の外の世界がどうできているか。そこに興味があって。ある意味似ているんですよ、表と裏みたく。たまたま建築に進んで、福祉施設をたまたま。福祉に熱い思いがあるなんて言えません。だから、福祉施設も、福祉施設と思って設計してはいないです。
―福祉って圧倒的にひと目線、ヒューマンレベルの話じゃないと始まらないですよね。
もともと設計ってそういうものだと思います。変にシステマティックになっているために、みんなそれをやればいいんだと思ってしまう。
佐久(あたり前の暮らしサポートセンター)の理事長室が離れの建物にあるんですよ。ふつう理事長室って偉そうなところにあるじゃないですか。奥のほうにあって、もう入るだけで緊張しちゃう感じで。ここは理事長室の掃き出し窓にみんなが行けるようにしたんですよ。そうすると、デイサービスのおばあちゃんが「けんちゃん、けんちゃん」てドンドンドンドン!その人は昔からよく知っているものだから、理事長とか関係ないですよね。地域の地元のよく知っているひとが「一緒にしょう」「こっちが始まったから」と理事長さんを呼びに来る。理事長さんとしては嬉しいですよね。理事長になったから遠ざけられてしまうところを。でもね、理事長さんも、「〇〇の誰々さんが来ているんだったら自分がこれしようか」って。お蕎麦を打てる方なので、みんなにそば食べてもらおうかって。すばらしいなと。役職じゃない役が回るというか。そういう風通しの良い場所をちゃんと作ったほうがよくて。
―社会福祉法人〇〇理事長って言葉を抜いただけで変わることも多いでしょうね。ただ、社会福祉法人が存在することで、お金のない高齢者が過ごせる場所が確保されている。従来型の多床室の運用も、社福だからできること。社福の存在意義を思うと難しいですけど…。
どうやったら変わるのかなと思って。それこそ青山さんとも話をさせていただくのですが現場の方で素敵なことをやりたいと思っている人は多いのに、でもそれが着地してうまく進むケースはけっこう稀。でも、建築の場合は乱暴な言い方をするとやってしまうと勝手に起こる。いろいろ説明する前にそういうさっきの、理事長室を先に作ってしまって…
―空間やモノが人を動かすとも言えますね。
大学時代の恩師の大月先生に以前、言われたのが「建築は突破力があるからなぁ」と。全部が一つ一つの絡み合って大きな問題として目の前にあるわけですけど、建築はいきなりそれを希望を持って飛躍させられるじゃないですか。今の凝り固まったものを、できてみたらひっくりかえっちゃってたみたいなことができるポテンシャルを持っているんですね、建築は。そこが建築をやっていくうえで、モチベーションですよね。
最後に
「建築には突破力がある」。
含蓄のある言葉でした。
福祉施設、高齢者の暮らしの場、終の棲家…。
「暮らしの場」であることはいずれにしても変わりません。暮らしとは、生きることそのものでもあって。
だから、それをつくること、建築することって本当に深い行為。
まだまだ探求していきたいと思います。
栗林荘の工事は半ば。どんな風になっていくのか、折を見てぜひ訪ねたいと思います。
八木さん、たっぷりとお話を聴かせてくださって本当にありがとうございました!!
写真提供 クレジット
●記事トップ写真(栗林荘) ©ナカサアンドパートナーズ Nacasa & Partners(中道 淳)
●その他、合同会社わくわくデザイン (wkd.jp)より、八木さん提供
●看多機 朋およびデイサービスmoi 山口真さん
●新の写真は、ケアスタディ代表・間瀬樹省さん提供 carestudy.jp
●新の元施設長 横木淳平さん 介護3.0 (kaigo3.net)
●RX組 青山幸広さん rx-gumi.com