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学びの超・道中、少しずつでいい。「good介護」へ。



介護士2年目の「いま」

 介護士として仕事を始めて早1年半以上が経過しました。現場にはすっかり慣れました。朝8時に出勤したら、食事介助、オムツ交換、入浴介助、口腔ケア体操、昼食介助、合間に利用者さんとのおしゃべり…が、これって専門職のしごと?と言われると「いや、誰でもできるよね」と感じてしまいます。

レクとはほぼ無縁な施設。サ高住だからと言ってしまえばそれまでなのだけど。
利用者さんが買い物に行けるのは週に一度。雨だったら中止。振替はありません。

悪く言ってしまえば、絶望的な縦型のハード設計。設計上、面白くもなんともない施設です。

 パート勤務なので、時間内では精一杯仕事をしているのだけど、まだまだ経験不足で、日々学びや反省もたくさんなのだけど…

 『介護3.0』の横木さんの活動に触れるたび、触発される。 少しでも「いいケアへ」と。

 このnoteでもちょこちょこ最近upしているランニングの話。
人生初のフルマラソンが近づきつつあって、仕事には集中しつつも、マラソンへの意識のほうが強いのが現状です。

 だけど、聞いて良かった!!と心底感じたものが2つあったので、書いておこうと思います。

仕事をしていて、同じ時間が流れるならば、ただ過ぎるだけでなく、何かをつかんでおきたい。感じていたい。

お金を稼ぐことはもちろんだけど、それだけじゃ面白くないもんね。 

 □『福祉と建築』2024.9.7 アーカイブ参加

『福祉と建築』は福祉事業者と建築家が出会い、共同することで明日の建築を良いものにすることを目指すことを目的にした団体です。2019年に第1回を行い、今年で4回目になります。
 本イベントでは、福祉専門職や経営者そして建築家などのクリエイティブ職の基調講演、トークセッション、模型展示等を行い、多様な対話を産んでいきます。

「福祉と建築」(イベント紹介記事より抜粋)

…元高齢者住宅新聞記者として、全国あちこちの施設を取材させていただいてきた身として、ハードがいかに大切かを実感しています。

絶対的に、建築は重要!!…「建築は第三の肌」という言葉を聞いて以来、ホント、建築。

「介護3.0」の横木さんが施設長を務めていた「有料老人ホーム 新(あらた)」の設計(もう、ここ日本一好き!な介護施設です)をした建築家の八木さん、理事の篠崎さんが2022年の同イベントに登壇されたこともありました。

□特別養護老人ホームゆずの家 オープン記念講演会「これからの特別養護老人ホームに求めるもの」10.6(オンライン参加)

広島で、おもしろい取り組み、いい施設をつくっているのが「ゆず」です。トップの川原奨二さんと、NHKプロフェッショナルの出演等々で今や超人気の「おたがいさん」(神奈川)の加藤忠相さん。お二人は仲が良いこともあり、念願の特養オープンさせた川原さんのもとで加藤さんが講演されるというスペシャルイベントがありました。

 ゆずの施設、取材させてもらってます!!懐かしや~

「おたがいさん」は私が超新人記者だったときに取材させてもらいました。12年も前になります。記憶を辿ればそれは2012年2月。おたがいさんへの訪問は、その後の私の”介護施設への認識”に深く影響を与えてくれましたから。たっぷりお話を聞かせてもらい、ものすごい衝撃を受けました。
すっごく面白かった!!!!!
今でもよく覚えています。

加藤さんからですね、漫画『ヘルプマン』を教えてもらったのも。

そんな加藤さんの記念講演のことはまた後日記事にしてアップする予定です。まずは「福祉と建築」から。 

基調講演1「福祉建築がもたらすケアのクリエイティビティ」
飯田大輔(介護福祉士 / 社会福祉法人福祉楽団理事長 / 千葉大学非常勤講師)

飯田大輔さんの講演では「good介護とは何か」との問いかけが。

 例えば、「頭が痛い」も回復過程として捉える。人間にはvital powerが備わっている。そもそも備わっている力を発揮できるようにするのが介護。そのために”人間のこころとからだのしくみを理解しよう”と話されました。

私たち介護士は、きちんと生理学を学び、理解し、知識として備わっているかということですね。

「生命を活かす生活の在り方を考える」

「認識(こころ)は生活を通して変化する」。

(生活が乱れれば、心も身体も乱れる)

 飯田さんのお話で最も印象的だったのが、

「人間の細胞には半透膜がある。細胞は閉じたら死ぬ。だから半透性なんです。施設も閉じたら死ぬ。どうしたら外とつながっておけるのか」

という言葉。

飯田さんは換気の重要性を訴えていました。新鮮な空気がそこに流れるか。

「半透膜をつくるのが建築の仕事、力をつける(圧をかける)のが介護なのではないか」と話します。

人間は60兆の細胞から成り、それを生かしているのは生活だと。 

基調講演2「福祉建築が社会に果たす役割の現在」大月敏雄(東京大学教授)

さすが大学教授の大月さん。話が深い、深い!きちんと歴史を踏んで読み解き話されるので、すごい納得感でした。

大月さんの話を超要約するならば…

医療、福祉、貧困…みんな縦割り。住宅政策から居住政策、福祉政策は戦前までは一緒だったのになぜ分離してしまったのか。そもそも一緒だったことすらみんな知らない。

…というのは、昔は“住宅をつくるだけ”ではなかったと。一帯的に”まちをつくっていた”と。

1923年に関東大震災が起きて、24年には同潤会ができた。国の管轄で100年前は職業相談所、訪問診療、入浴場…なんでもあった。「小商いしながら復興してね」と、国は生活全般を支援していた。

大月さんは言います。

「100年前の先輩、賢くない?今の私たち、退化していませんか?」と。いま、国は家しかつくっていないと。

 阪神大震災では復興住宅ー”住宅だけ”しか作らず、孤立死が相次いだことから、3.11の東日本大震災ではいろんな住環境をつくりだす運動が行われました。ケアゾーン、サポートセンター…

「町のあちこちにそれぞれの人に合った居場所があること。居場所で住まいと町をつなぐんです」(大月さん)。

さらに「 憲法25条も大事だけど、13条に移行しよう。Well-beingは福祉の置き換えじゃない。その人なりの生きやすさを」と言います。

憲法25条とは…健康で文化的な生活を営む生存権を保障する
憲法13条とは…個人の尊厳原理に立脚し、幸福追求権について最大の尊重を求める

考えさせられますよね。
大月さんが「横浜にあった“どや”が僕は一番好き」とおっしゃっていたのには嬉しくなりました。

いろんな人がいる。ごちゃまぜを愛すということだから。

最近は行ってないけれど、かつて私は大阪・釜ヶ崎の安宿をよく利用していました。甲子園で高校野球を観るために。大学生だった私は、東京ー大阪を夜行バスで往復、宿は釜ヶ崎と、なるべく費用を安く抑えるべく。
釜ヶ崎で夕ご飯を食べに入ったカフェでおっちゃんが言ったんですよ。
「ここはカオスやろ」って。
人間くささが好きでした。

 生活、ひとの暮らしとは何か。これがちゃんと分かっていれば、今の介護施設の設計がどれだけつまらないものであるか、みんな分かるはずなんだけどなぁ…。経営、運営効率とかが入ってくるとどうしようもないんやろか…。

クロストーク1「ケアの科学とクリエイティビティの間で」
飯田大輔 大月敏雄
村瀬孝生(よりあい統括所長:社会福祉法人福岡ひかり福祉会理事)

「この方のお話、聞いてみたい!!」と思っていた“よりあい”の村瀬さん、3人のトークです。

 『おばあちゃんがぼけた』『ぼけと利他』面白かったですもん。

ていねいに目の前の人のケアに取り組んでいる場所が村瀬さんの「よりあい」なんですよね。村瀬さんの筆致にはそれがすごく伝わってくる。

この日、村瀬さんのお話に以下のようなものがありました。

「デイサービスに喜んで行くひとなんていない。いいかげんな嘘はつかない。まじのウソ。ケアって努力の全力じゃないですか。こちらの都合なんてほとんど通じません。なんとかあと5分、10分…。ここに来て管理されて、じゃなくて、ここに居ても来てもいいよって。行き慣れた床屋みたいな。これまでのその人の失われた習慣に、我々の存在がある。ともにもう一度生活をつくりなおす」

 村瀬さんの言葉にホント、頷きます。介護って、正解なんて存在しない。
とにかく目の前の人と「今をともに生きる」。
これしかないんですよね。

関係性をなんとか育んでいこうと必死にもがいて、それでも忘れられたり、傷ついたり、でもときにすごく嬉しくなったり。反省なんてしょっちゅう。それが介護の仕事。
大変だけど、不謹慎とも言えるけど、生身の、コロコロ心も変わる人間同士の、人間相手の仕事だから介護の仕事は面白いのだと。

村瀬さんは言いました。

それでも一緒に歩く。 何度も何度もつきあう。習慣化。帰ると言わなくなる。ケアしてたのにケアされる。

飯田さんは、「村瀬さんの『シンクロと自由』が“めっちゃ面白いんです」と話しました。図書館で借りて読んでます!

たしかに面白い~!!

「はじめに」のなかで次のようにあります。

徘徊するお年寄りにつき合う”ぼく”に

「君はどこに行きたいのかね?」と心配します。そのような気遣いにぼくたちの社会は気がついていません。時と場の移り変わりがあまりに速すぎて「見えない」のだと思います。そのことが常態化して「見ようとしなくなった」のではないでしょうか。認知症の症状ばかりがよく見えて、その人が見えなくなったようです。
そのように考えると、人としての時と場を失ってしまったのは、認知症のお年寄りではなく我々であるように思えてきます。我々が積極的に「見ている」のは言葉や数値で可視化された「分かりやすくてコントロールしやすいモノ」ばかりです。そして今、社会はもっと効率を上げて介護せよと求めます。

『シンクロと自由』p4-5 

飯田さんは話します。

「科学的介護」と言われていて、実証性、再現性、客観性が求められますが、この3つと相性が悪いんですよね。介護って偶然性があるものだから。”どうせ風呂なんて入るわけないだろうな”って、でも声をかけるとそんなときに限って”入る”と言われたり。

あるある、ですよね。

村瀬さんが続きます。

生活って主観。こっちが客観でいってもダメで、主観的で出会ったところに関係ができて身体に入っていく。だから実証できるものでもない。因果は言えないんですよね。
国の人らが忘れているのは”人生”。
そこに人生がついてない。どう生きてきたかでその人の身体は作られている。
キャラメル50個で生きてる人がいるんです。その特異性。
生理学は誰にでも通じやすいけど、とはいえ100%じゃない。
 科学は発見の喜び。
介護と科学が合うところはその発見の喜びでしょうね、みんな腑に落ちるところがある。

 大月さんー空間の刺激

 エレベーターって会話が止まりますよね。緊張度が高い。いろんな居方、居場所があること、縦型よりひらべったい団地の方が人間にはいいと確信しています。ほがらかな方がいいんですよ。

 飯田さんが「人の育成について2人にお聞きしたい」と質問しました。 
大月さんは答えます。

絶対的にいい空間てないんです。いつもアンビバレント。”えいや”で決めなきゃいけないですけど、科学よりも技術。社会的技術というカテゴリーがあるんです。このボタン押すとうまくいくかも、解けるかも、というような。技としての。「これはいいプランだけど、こんなことが起きるかも。注意しておこう」って。「こんな可能性があるから注意しておこう」。そんなことを言い合える。そこに育成はあるかもしれません。
 

村瀬さん。

 この業界で37年くらいですが、振り返って考えると、技術を高めるのは職場の集団で、育てるのはお年寄りかなって思います。どうお年寄りから育ててもらえる環境を整えるかということに僕は管理者なので考えています。

朝の申し送り、これは大切だなと思いますね。

夜勤はいろいろあったと思います。
“このクソじじい!!”とか思ったはずなんですよ。でも倫理があるので丁寧に語られますけれど、昨日起こったことは君にしか語れません。”私”という感情、悲しいこと、腹立ったこと、負の感情を正直に出し合う。対応してうまくいかなかったことを話す。自分の感じたことをまっすぐ話す。それを周りは策を講じるのではなく、ただ聞き入れる。自然と“なんとなく”を共有していることが重要だなって。肉声がちゃんと飛び交う場で人が育つのかもしれません。

まったく。
大切なのはこっちなのでしょうね。

形式的な申し送りを記す用紙、事故報告書じゃないところに「本当は…」があって、そこに本質はあるんだよねって思うこと、めちゃくちゃありますよね。

 大月さんも分かっておられますね。

QOLを上げる建築をしないと。しゃべらない空間じゃなく、いろんな人と出会う可能性のある建築。ここと経済重視の建築の合わなささを、もうみんなが共有しないといけないよね。

飯田さん

 大月さんが「25条から13条への移行へ」と話されましたけど、25条すら保障されていないのがこの国の実態だと感じます。現場は底が抜けてます。ここを見ないと怖いなと思います。

【クロストーク 地域を読み解き福祉を行う 馬場卓也 伊藤孝仁 猪瀬浩平】

馬場卓也さん…社会福祉法人愛川舜寿会の理事長

伊藤孝仁さん…建築家、AMP/PAM(アンパン)
「ケアされる側よりケアする側にまわりこむと人は元気になるんですよね」
「CASACOは”する・されるが反転される(固定されない)場づくり”をしました」
「弱い者を強化するじゃない。否定しない。人と人がつながる契機は弱さのなかにあると思います。手間がかかる、弱いって相対的に変わっていくものですよね。それをちゃんと発見してく。能動性、主体性をケアのなかでどうつくるか。それをやっていきたいと思います」

猪瀬浩平さん…文化人類学者


馬場さんの施設、ケアの拠点、すごく気になっています!!行きたいなぁ…

猪瀬さん、さすが文化人類学者!お話が面白い!

いま、暑いですよね。
ストレスのない空間、環境でしか活動しなくなっていますけど、肉体労働者は絶対になくならない。要るもの。それを我々の中に入れておかないとヤバいと思います。外はクーラーなんて利きません。不要不急の外出は控えてと言われながら、肉体労働をしている人はいるわけです。断熱材のようなものって罪じゃないかと思いますね。リノケーションダメージ。みんな毛穴がふさがってしまっている。だから外出たらヤバいですよね。

今まで、体積あるハコ=空間単位で考えられてきました。
抽象的ってそれこそデータ、数字の世界です。一方で、周囲には朽ちたハコや資源があります。個性ある人、スキルをもった人の身体がある。具体的なほうが、協働などが起きやすいんです。建築はゼロからつくる時代じゃない。カタチがあるものが崩れていく。まちが綻んでくるところをどうケアしていくか。そう考えると、建築と福祉って同じ営みに見える平面があるなと思います。

 

 


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