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10人で42.195km@仙台リレーマラソン♯1

11月9日ー11日と、2泊3日で香川ー神戸経由ー仙台へ。
これまでにない、濃かった3日間、学んだ3日間でした。

震災ボランティア仲間と、南米旅で出会った友達と。


そもそも「仙台リレーマラソン」に出場することになった理由は…

3.11のこと

2011年3月11日の東日本大震災。その震災ボランティアで仙台に行ったのです。あの頃、私は都内の渋谷区のアパートで友達とシェア暮らしをしていて、新橋のビルの7階だか、で仕事をしていました。

高層ビルだったからそれはもう揺れて、倒れるかも…と本当に恐怖を感じたのを覚えています。高速道路関連の会社だったので、すぐに社内のテレビがONになり、津波の様子などをまじまじと目にしました。

当日、2時間くらい歩いたのでしょう。アパートに着いたんですよね。
その日、ルームシェアしていた親友は家で仕事をしていて、神奈川出身で震災への意識が高く、私が帰宅すると浴槽に水を張ってくれていたんですよ。
夕食も一緒に食べて、怖さが和らぎます。ほんと、一人暮らしだったらどれだけ心細かったか。
(さすがに埼玉の実家までは歩いて帰れる距離ではなくて)

その後、もう衝動的に「ボランティアに行きたい。現地を見たい。手伝いたい」という思いで、受け入れ先を探しました。

で、「ここに行かせてもらおう」と発見したのがエマオというキリスト系「東北教区センター」です。(私は無宗教で、たまたま宿泊もできるとのことだったのでここにお世話になったのです)
そのエマオが被災者支援センターを立ち上げたのでした。

いま、検索すると…

効率性より被災者との信頼関係、「スローワーク」と祈りを重視するとの姿勢を貫いてきた同センターは、ボランティアワーカー同士で思いを分かち合う「シェアリング」の機会も設けてきた。2011年の立ち上げ以来、支援活動に参加したボランティアは9千人以上に上り、教派を超えて様々なつながりが生まれた。

2019年5月1日 被災者支援センター・エマオ「感謝する会」で8年の働きに幕
(キリスト新聞)

と書かれているのを見つけましたが、本当にそう。
ワタシがボランティア活動をしたのは2011年のGWとわずかな数日だったのですが、もう…

ブログに記録を残していました。
いやいや、今読むと懐かしいと同時に、読み返せるようにこうしてブログにしていて良かった!!!

ボランティア活動を終えたあとも、東京で再会の飲み会があったり、
なんやかんや繋がっていて。
コロナ禍突入後、zoom飲み会が流行っていた頃、それに乗じて「エマオzoom飲み会」も開催され、すごく久しぶりに何人かとお話したり。

んで、Facebookで繋がっていた北海道のボランティア仲間・Nさんは、ちょこちょこ私の投稿にもコメントくれたりと、お互いの近況はどことなく知っています。
Nさんは、ランニングが趣味でして、東北・みやぎ復興マラソンや、昨年の仙台リレーマラソンにも出場していたのでした。
で、私がランニングを始め、Nさんの昨年のリレーマラソンの投稿を見て「私も参加したい」的なコメントをしたんです。
なので今年のマラソンエントリー開始時に直接メッセージをもらいました。

「仙台リレーマラソンは11月10日です。出場しますか?」と。

実は、ボランティア仲間でも「ランニング部」というグループがあって、それに入れてもらい、チームを結成すべく仲間を集い始めました。

が、マラソンシーズンとあって、他の大会と被っていたり、調整時期だったり「参加したいけどごめーん!!」が多く、思うように集いません。

が、ひとり、私は思い出します。

パラグアイで…

2009年9月からの半年の南米旅で、パラグアイにある日本人のイグアス移住区で出会ったTくん!!

仙台在住やんか。フットサルしてるから、体力あるし、出てくれるんちゃう?!
メッセージ送ると快諾。ありがとー!!
再会、楽しみやん!!!!

その後、結果的に11人集まって、チームが結成されました。「エマオと愉快な仲間たち」とのチーム名を持って。

(うち1名が直前に会社の隣の同僚がコロナに感染してしまったとのことで万一を考慮し、残念ながら参加ならず)

私は、仙台に行く手段を色々検索します。
香川から高速バスで神戸へ。
スカイマークで仙台に飛ぶ。
だけど、なるべく安い運賃で飛びたいので、9日は17時半発のフライトで。神戸には、行きたいところがありました。そこへ行こう。

つづく。

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