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相生ルポ 後編 ー「尊さ」と「真」

 10月15日木曜日。一度目の訪問から7日後、私は再び相生市相生(おお)地区へ向かっていました。渡部さんの活動や思いについてもう少し知りたかったのと、雨ではない時の移動販売の雰囲気を味わってみたかったのです。

 前編はこちら。


    前日、天気予報を調べると曇り時々晴れ。移動販売がある午前中は曇り予報ですが、雨の心配はなさそう。
    15日早朝。曇り予報も外れ、「雲がないじゃないか」という快晴でした。

地元の匂いを浴びながらレンタサイクル。 

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 前回は駅からバスで相生地区に向かいましたが、この日はレンタサイクルで。8時過ぎ、相生駅に隣接している「あいおい情報ラウンジ」の女性スタッフにレンタサイクルをしたい旨を伝えます。相生のゆるキャラ「ど根性大根 大ちゃん」が生まれた所以を聞き、地図を片手に「こう行ったら…」と道も丁寧に教えてくれました。
「お気を付けていってらっしゃいませ!」
 気持ちのいいスタートです。

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(船のお祭り・ペーロン祭が有名です)

   自転車って取材に便利。時計とにらめっこしなくていい。バスや車では見えない景色が見え、小回りも効く。通りたい道を通ることができるので、発見が多いんです。
 まず「道の駅あいおい白龍城」へ。道の駅はそのまちの匂いが感じられるから、あったら寄ってみる。
 地元産のいちじくなどを購入し、相生地区へ入りました。
 相生市文化会館に自転車を止めようと車線を変えようとした矢先、「おはようございまーす!」。この声は…。

    左を向くと“さくらホーム”のロゴの入った車と渡部さんの姿!送迎の最中だったよう。おはようございます!と私。振り向く渡部さん。自転車に乗っている私の姿、ハテナですよね。まさか自転車で現れるなんて…(笑)。
 相生市文化会館に自転車を停めさせてもらい、おおの家へは歩いて向かいました。

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(相生地区には神社が幾つも…)

 前回はスルーしてしまった、気になっていた神社の前を通ったり、周辺をゆっくり散策しながら…。

当たり前の「共生」

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 さくらホームが運営する「もくれんの家」のすぐ目の前にある“西川理容室”。渡部さんが、キーマンだと話していたのを思い出します。      

   この時、 西川夫妻がちょうど外に立っておられたので、挨拶して立ち話。聞けば、12月で開業95年になるといいます。
 「僕は2代目。おやじが大正時代に始めてな、戦争に行って帰ってきて丁稚奉公して。散髪の免許を持ってたからここに店開いたの。僕ももう、50年になるよ。昔はなぁ、あそこ一帯(理容室の前、もくれんの家の横の道に並ぶ住宅)は社宅で、賑わっとった。繁華街だったんで相生地区は。昔のバスは小さいからバスも通ってたしな…」
 「そういえば、車椅子のお客さんのために入口に板を置いたって渡部さんがSNSで挙げておられましたが…」と話を振ると、お父さんがその板を出してきてくれました。

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 「おおの家の人も利用してくれるから、入りやすいようにってな。今日ももうすぐ来るんや」
 10時。スタッフに支えられ、おおの家の利用者さんが散髪にやって来ました。

   前編でも触れましたが、おおの家の少し手前にある「ロハン美容室」は2年前にお店を開いたそうです。入口には手すりがついて、高齢者に配慮していることが分かります。お金をもらわずに自宅まで送迎することもあるといいます。ここで暮らす人に沿ったものを、あたりまえに提供し、商いをする。西川さんの、板をつくって置いた行為も、ロハン美容室のその行為も、地域に合わせた“当たり前の共生”のカタチだと言えるのでしょう。

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 移動販売で販売する“野瀬の野菜”を取りに行っていた渡部さんが戻ってきました。

   相生地区の隣・野瀬地域では野菜の生産が盛んです。
 出発する準備をしていると、西川理容室の奥さんが財布をもってやって来ました。その後も「クリームパンあるん?」と買い物へ来た女性。「ありますよー!」「買う、買う!ここの好きなんや」。女性はお目当てのパンと野菜を買っていかれました。

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さてこの日は、相生地区からは離れたサービス付き高齢者向け住宅に住みながら、おおの家のサービスを使っているUさんも一緒に歩きます。Uさんは相生地区で生まれ育ちました。認知症が進んでしまっているものの、足腰は元気。おおの家のケアマネジャー・木虎さんが傍につき、Uさんと渡部さんと私の4人で歩き始めます。移動販売を手伝っている、70代のボランティアの男性は、残念ながらこの日も仕事でお休みだそう。
 鐘をもつUさん。BGMはおおの家の運営母体がある広島県福山市、鞆の浦サロンの方と地元小学生が一緒に作った『ひとりぼっちにならないで』。移動販売の際は常に流れていて、元気になれるいい歌です。

   先週とは逆回りのルートにて「ながいき屋」、始まりました。

 動くサロン 会話の花 「あなたに会いに」

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 「おはようございまーす!」
 渡部さんが呼び鈴を鳴らし、玄関のドアを開け、“いつものお宅”を次々と訪問していきます。
「外に出な、あかんよー」
「わたしゃ、外に出なけりゃ色が白くてキレイやろ」
「あっはっは」
 渡部さんと“いつもの人”との間には冗談が飛び交います。
「○○さんじゃなーい!久しぶりやねぇ!元気やった?」
 木虎さんはおおの家の古株スタッフ。相生地区の人たちとも顔なじみなのでした。
 前回、笑顔がとても印象的だったKさんのお宅。Kさんは今日も「ご苦労さま!」と素敵な笑顔。
 近隣のお宅からも人が出てきて、会話に花が咲き始めました。Uさんを見て「どしたん?元気かぁ?」とも。Uさんはその人のことを忘れてしまっていても、みなさん笑顔。いい光景です。
   Kさんは「会いに来てくれてありがとねー」「会話で笑うんがいいんよね」。
 挨拶以上の会話を交わすことがなかった近所の人たちが、ながいき屋をきっかけに互いの距離が近くなりました。お互いが気に掛けるようになりました。

 「会いに来ましたよぉ~!!」 

    渡部さんはそう言いながら高齢者の方々に声掛けしていました。が、移動販売を待つ人たちは、渡部さんに「会いに」も来ておられるんだろうなって感じていました。渡部さんに会って、元気をもらっているんだろうなと。

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    別の箇所では3、4人が集まって、買い物をする光景がありました。
 「私は一人やけん。この枝豆はゆがいて冷凍してカレーに入れたりチャーハンの具にしたり。ひとり暮らしも気ままでいいわよ~。自由に出かけられるしね。ほんと、気ままよ」と話す女性。
   歩いている途中「よぉ!」と手を降る男性が。男性が近づいてきて「なんでもよーするね。似合とるわ!」と渡部さんに声をかけていきました。
 その先のお宅・Mさん夫妻は理容室を経営されています。旦那さんは三味線奏者。何やら紙を手にしています。それを渡部さんに見せ「来週のもくれん市な、渡部さんとワシとで三線で『安里屋ゆんた』『十九の春』『娘ジントヨー』をやるのはどうやろか」。「えー?僕何も聞いとらんですけど、笑!僕で良いなら喜んで」と渡部さん。

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 (もくれん市の様子)

“もくれん市”とはさくらホームの「もくれんの家」で行われている市場のこと。毎月第四木曜日に開催されていて、翌週は5周年にあたる日だとか。なるほど、それで。
 来週のもくれん市に向け、準備は着々と進められている様子でした。

 次のお宅は留守でしたが、やがて奥さんが買い物袋をぶら下げて戻ってきました。おおの家が運営している「おばんざい まめさや」でおかずを買って戻って来たのです。
 「夜のおかずにね」と奥さん。
 続いて呼び鈴を鳴らしたMさんのお宅。Mさんの向かいに住むKさんも「食パンちょうだいー」と出てきました。
 「おばちゃん(Mさん)はどれ買うん?」とさりげないKさんの配慮。
 「KさんがよくMさんを呼んできてくださるんですよ。これもまた見守りですよね」(渡部さん)
 移動販売も終盤へ。地域の民生委員の男性に会い、続けて「夜会、まだ開けんの?」と言う男性にも会いました。

    12時前、おおの家のすぐ隣にある「ナカオ美容室」にパンを届けて移動販売は終了です。
 一巡りして、パンが売れ残っていた場合、デイサービスの利用者さんやおおの家のスタッフが買うなどするそう。

 移動販売のルートは、相生地区全体をカバーしているわけではありません。緩やかな坂道もあり、身体の大きな渡部さんでも、リアカーを引くのは体力を要します。
 「あの道を上がったところにも移動販売の需要はあるんです」
 需要はあっても、時間と人手が足りていないという実状。
 渡部さんは移動販売の意義と意味について、次のように話を聞かせてくれました。

誰が担えばいいのだろう

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ながいき屋も、今日の午後に行う100歳体操も、僕ら介護事業所が前面に出てやるというのは違うんですよね。「あそこがやってくれるから」では、地域の力を奪うことになってしまう。今は僕がリアカーを引っ張っていますけど、地元の人でなくてもいいから「ながいき屋のにーちゃん」的に、巻き込まれてやってくれる人がいたらいいなと思っているんです。
   ただね、その時に出てくるのが保障という問題。賃金が時給900円なり1000円なりが求められます。この移動販売でのリアルな純利益はほんの僅か。給与なんて出せるものではないんです。例えば今120円で売っているパンが150円になったとしたら、利用者さんは減るでしょうね。でも、利用者さんが本当に困るわけではない。パンは食べんでも死なんから。パンは嗜好品です。
    買物をする場所がないとは言え、コープの個配もある。ただ、人と人とのつながりをつくれるのはやはりこの形。リアカーでの移動販売なんです。今日見てもらったように、移動販売の意義や面白さは充分にあります。が、どうしても担い手がいない。相生市と隣のたつの市では民間業者の移動販売があるんですよ。でも、相生地区には来ない。ニーズはあっても、住民の数から売上を考えると採算が合わないからです。たつの市で移動販売を担当している人自身は相生市出身なのでここを回りたいと言ってくれているんですけど、会社から「給与出えへんで」って言われてしまうんです。

 このような話を伺うと“現実”という壁を感じてしまいますが、でもだからこそ、地域密着で福祉サービスを行う事業者が地域に合わせたことを実践する意味が、ー相生地区ではリアカーでの移動販売をする意味があるのでしょう。営利企業ではないために、地域の実状に添った活動ができる。細やかなことが配慮もできる。一方で、行政の支援なり、国の保証なりも本当に必要。“ボランティア”では限界があります。
 ただそこで、社会保障サービスとして何かしらの制度にあてはめようとするのであれば、「奪う」ものが出てきてしまう。地域の力を、人の力を削いでしまいかねないということを、忘れてはいけないんですよね。
    暮らしとは、尊いものだから。その人自身のものだから。一方的な評価とか判断とかでは量ることができないものから。

 未来を紡いでいくために

 渡部さんは「エリアをマネジメントする組織」の必要性を話します。

    相生市文化会館では数百人から最高1500人ほど集まることができるんですけど、敷地内に喫茶店があるだけ。“イベントがあるからその前にご飯を食べよう”と言ったって、飲食店がないから「たつの市へ行こかー」ってなるんです。だから空き家を活用して就労支援を絡めたカフェをするとか、まめさやでも、咀嚼機能が落ちた方でも食べられるソフト食を出せたら“優しい”ですよね。     今はもう、介護事業者が介護事業だけやる時代は終わっているんです。そのエリア全体を見て、それぞれのニーズを補完しつつ、トータルで利益を上げられるような、マネジメントができる組織が必要だと思っています。全体のマネジメントをしながら、ポイントポイントで移動販売もすることができたらいいなと。
事業所として、というよりも、民泊とか銭湯とか、色んなところに色んな人が関わって、いろんな利用者がいるのがいいですよね。きれいな言葉で言ったらユニバーサルということになるんでしょうけど。
   相生地区のひとって、おせっかいなんです。そのおせっかいを活かしたい。
   …あ、お昼どうします?僕はこれから利用者さんのお昼の準備があって。13時過ぎに公民館で体操の準備を始めますが、始まったら手は空いているのでまたそこで。外食だったら、ファミリーマートの近くにある水産物市場で美味しいものが食べられますよ。

 相生市立水産物市場は平日にもかかわらず盛況で、海鮮丼は絶品でした!

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 「おおの家があるから安心や」

 13時半から始まる「100歳体操」の会場の公民館には、獅子舞のお祭りのポスターと写真が掲示されていました。
 「この時期はいつもなら毎晩獅子舞の練習をしていて、賑やかなんですけどね」と渡部さん。
 聞けばこの獅子舞、250年前の文献に記載があるほど古くから続いているお祭りなのだそう。相生地区のなかで地区別に組が存在し、それぞれが持ち回りで舞うといいます。

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(渡部さん)「青年団が祭りの準備などを進めていくんですけど、相生地区に暮らしている人は殆どいません。でも、祭りの時期は戻ってくる。祭りを守ろうとしている人たちとつながって、何か出来たらいいなと思っています。必ずしも“常にいる住民”でなくていい。僕も祭りに参加しているんです」 

    公民館の2階には祭りで使われる神輿や道具一切が大切に保管されています。古い写真も展示されていて、それぞれの地域に存続する“祭りの意味”の深さを思います。    

    体操の参加者が集い始めました。

 「100歳体操は取りまとめる人は僕ではないんですね。午前中はお坊さん、午後からはおおの家でパート職員、そして相生生まれの相生育ち、生粋の地元民の江見さんという方。数年前、江見さんのお父様をおおの家で看取らせていただきました。その縁で、お父さんが亡くなられたあと、おおの家を手伝って下さっています。今日は江見さんがお参りで都合が悪いから僕が代わりに。体操の継続ができているか、体操をやりにくい人がいたら、PTとしてアドバイスしたりはするんですけど。

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 体操に参加する人同士、馴染みの関係があれば、みな気にかけて『今日あの人がいないんやけど…』などと連絡をくれたりしますが、『あの人、デイサービスに行くようになったらしいで』『じゃあ声かけんでもいいか』となってしまったら、社会保障が地域を引き裂くことになってしまうんですよね。“地域を繋ぐ”とはさくらホームの理念。だから僕もこうして“地域に出ていく”ことをしているんです」

 13時半。体操開始の時間です。10名ほどの高齢者の方々が集いました。DVDをセットして、それに倣って。後ろのほうで渡部さんが見守るなか、声を小さくしながら話を聴きました。

地域に出る、とは


○もくれん市
○いきいき100歳体操
○いきいきサロン
○リアカー移動販売
○相生小学校との交流会(総合学習など)
 この5つで僕は地域と関わりをもちながら活動しています。行政が「もっと100歳体操のグループを広げたい、地域のつながりの場をもっと増やしたい」と思っていました。そこでおおの家から「こんなんあるけど、やってみーへん?」と相生地区の人に声をかけたんです。文化会館に近い“あいあい広場”で体操は始まったんですけど、そこが遠く感じる人がいる。20人、30人と集まる時があり、それでは人数が多すぎて…。そこで公民館でも始めることになったんです。
 「もくれん市」の運営は“港の女性会”という仲良しグループが主です。仲間づくり、健康づくりが目的で。この女性会に「やってみませんか」と声をかけ、もくれん市は始まったんです。おおの家の関わりは場の提供と片付け。そして利用者さんとつながらせてもらっているという部分。2014年10月から開いています。
 「いきいきサロン」は、民生委員の方がリーダーで、地域の高齢者、一人暮らしのおおの家の利用者数名、おおの家スタッフ、そして僕がたまに講師となって話をさせてもらったりしているものです。脳トレとか、ミニ健康講座をしたり。
 「相生小学校との交流会」についてなんですけど、4年生は「福祉の学習」というものがあるんです。買い物が不便な地域の課題解決へというテーマで、こどもたちから「移動販売を手伝わせてほしい」と声が挙がったんですね。僕がSNSで「助けてほしい」と発信したところ、あるお子さんのお母さんがそれを見て子どもが手紙をくれたんです。「どうしたらこの移動販売がもっとよくなるのだろう?」って考えてくれました。子どもたちは販売する野菜を使ったレシピを作り、野菜を買ってくれた人にレシピを渡していったんですよ。嬉しいですよね。僕も「自分らで守っていくんやで。このまち、好きやろ」って言いました、笑。
 『紳士達の夜の集い場』ですか?

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(紳士達の夜の集い場の様子)


 あれは2018年10月に始まっていたと思います。「地域に酒ばっかり飲んで引きこもっている人がおるんよ」って。「デイサービスは行きたくない」「酒飲む場所あれば出てくると思うんやけど…」と聞いていて。実際会って「酒飲むの好きなんですか?」「おう」って。それで“やってみようか”と始まったんです。その人だけでなく、奥さんが亡くなってひきこもりになってしまった人も参加するようになったり。この集い場、開催して良かったです。
 ながいき屋でボランティアをしてくれている人と、おおの家の利用者さんが同級生だったとか、そういうことも判明したり、集い場で出会って「今度、飯食いに行くかー」とか。地域をつなぐ、男同士のコミュニティが出来ていますね。(夜の集い場に子どもも来ている写真を見ながら) こうやってね、子どもも来るときがあるんです。もちろん18時から20時までと健全な時間内での開催ですよ。子どもが来る場合は「親御さんと必ず来てね」って言っているんですけど、子どもだけで来るときもあって…。話を聞いてみたら、お母さんは仕事で帰りが夜の7時過ぎだとか。お母さんが帰るまで、一人で家にいるんです。ここに映っている人は、朝子どもの通学を見守るボランティアをしている人で「朝寝坊すんなよ、何時に寝とるんか」って色々世話を焼いてくれるんです。子ども食堂じゃないけれども、地域に見守られているということになっています。このあたりは家賃が安いですからシングルの人も暮らしています。こういう場をすることで、地域の実状が見えてくるんですよね。そうそう、リアカーのボランティアのFさん、子どもたちに手品をやったりもしてくれるんですよ。
 今の時期、炭火を熾してカキを焼いたり、新酒を飲んだり、楽しい時期になるんですけどね…。

 
 相生市社協・元佐さん登場 元佐さんからみた「おおの家」

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 「こんにちはー!」

 体操も終盤になりかけた頃、元気な男性の声がして、入ってきました。
 「あ!あの人は相生の社協の人なんです…何しに来たんやろ」

 現れたのは相生市社会福祉協議会、社会福祉士、ケアマネの資格をもつ元佐朋亨(がんさともゆき)さん。10月に入り、たて続けに高齢者の早朝の死亡事故が起きているために注意を呼び掛けるべく警察から渡されたチラシと、市から渡されたチラシを配布しにやって来たのでした。
 元佐さんが参加者の前でチラシを手に話をします。その話の仕方が、またユニークで伝わりやすくて。
 名刺交換をしたところで、元佐さんはバーッと語ります。

 いやぁ、おおの家はすごいですよ。“あそこがあるから安心や”ってみんな言い張りますもん。渡部さんもそうですけど、それだけ地域に出とる、馴染んどるってことなんです。運営推進会議にも小学校、幼稚園、保育所の先生が来るんですよ。保育所や幼稚園の先生は女の先生が多いですから。何かあったら助けに来てねって。お互いさまですよね。そんなとこ、おおの家だけです。
 小学生にとって、おおの家の利用者さんたちは将来の自分の姿。人生の先輩。それをね、見せてる。すごいことをされよるんです。おおの家は。僕は社協の人間ですけど、渡部さんの活動が“地域福祉の専門職すぎて”来にくいですもん!じゃあまた!失礼しまーす!!

渡部さんのお話に戻ります。

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 「おおの家でも(今はしていませんが)以前はお祭りのようなイベントがあったそうです。でもそこで人を『巻き込む』ってあまり好きではないんです。その地域にはその地域なりの文化や歴史、もともとあるものですよね。そもそも介護事業者はだいたいが新参者。地域からしたら不自然でしょう。地域は地域で支え合ってきたところに、社会保障での介護サービスが入ってきたわけで。人口減少で致し方ないとはいえ、本来不自然。だから『巻き込まれる』ってことのほうがいい」

 体操が終わり、テーブルの位置を変えてお茶の時間。みんなでおしゃべりを楽しみます。
   おおの家に戻ると15時少し前。渡部さんは利用者さんを送迎する時間でした。
 「ちょ、ちょっと!!わっはっは!!!ヤバい…笑いが…」
    何が起きたんだろうと思ったら、利用者さんの一人がなんと運転席に。その光景にみんなが笑い転げました。
 「旦那さんのとこ、まだ逝かんでいいのにー」「みんなで逝くの?」などと冗談が飛び交い、笑いが止まらぬまま送迎へ。車は相生地区を離れ、かつて造船所が切り開いた地域へ入っていきました。
 
 -相生地区から離れた場所にお住まいの方でもおおの家を利用していらっしゃるんですね。

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   おおの家としては、相生地区の人、あるいは離れていても、相生地区になじみのあった人に利用してほしいんです。地域密着というのはその市町村に住所がある人が対象となっていますが、市ひとつとってもエリアが広すぎるんです。
 デイサービスに通っているのを知られたくないために地元から離れた事業者を利用している人もいるでしょうけど、そうなると暮らしは社会保障で固めていかないと成り立たなくなってしまいますよね。“こんな姿見られたくない”ではなく、お互いに「助けて」と言えるようなまちがいいと思うんです。おせっかいな人が組み合わさることでそのような関係性、まちができるのではないかと考えています。困ったから社会保障を使うということ自体は、今の社会では自然な流れですけど、本来「おたがいさま」で暮らしだとか生活というものは成り立っているんですよね。この地図を見て下さい。

相生地区全体の地図に、おおの家との関わりがある箇所が幾つもマークされ、それらが結ばれています。

 相生地区内で100歳体操は2か所行われていますが、それによって、カバーできる箇所が広がるんです。そんな活動が大事なんですね。
 そうそう、この地図にファミリーマートがあるでしょう。ファミマにも存在意義があるんです。というのも、イートインスペースがあって、男性たちは朝ここでコーヒーを飲んだりしている。今日移動販売の最中に会ったあの人もそうですよ。僕は嫁さんに「途中で買い食いすんな」って言われてますけど、僕も寄る。ファミマに情報が集まるから。キーマンに出会えるんです。 

   リアカーに対してもそうですが、何か言ってくれる人はキーマンになる。新しいことをやるにしても、人とつながっていないと活動はできません。関係性を築いていくんです。キーマンたちから意見を聞いたらそれに対してきちんと動き、どうなったかを報告する。迅速に対応することでその先に「助けて」が言える。ぼやを起こしかけた人がいるって言われたとき、消防署と連絡を取り合ったんです。すぐに対応、対処することで「あの人は…」と、何かあるごとに話をしてくれるんです。話をすることで知らぬ間に地域を見守っていることになるんですよね。だから僕らは在宅に責任を持ちます。

地域を視て、地域を知る

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 みな「関わり方がわからない」って言うんです。認知症にはなりたくないって。そりゃそうですよね。テレビでもそういう風にしか伝わらないから。(認知症は)なってはいけないものだ、と。おおの家ができて、様々に活動しているうちに、地域から認知症の人を、危なっかしい人を排除するのではなく、共に地域で暮らしている人へと、少しずつ意識変容が起こりました。「私らもいつ認知症になるかわからないものね」になっていった。
    地域の人たちと元気なころから馴染みの関係があるって、とっても大事なことだと思います。介護事業者と利用者さんは、利用者さんが生活のしにくさや、認知症などを抱えた状態で関係性が生まれます。ケアマネのもとに諸々の情報が紙ベースで伝えられ、ある程度の情報はつかめたとしても、“人となり”まではわかりません。紙ベースには載らない、もっとローカルなところ、人となりが大事。同じ地域で暮らしながら、サービスを使うようになって「はじめまして」ではなく、「コーラスの先生で、ボランティア活動をされていた〇〇さん、お久しぶりです!」みたいな。だから僕らも市民として、市民のような、地域住民としての関係、スタンスでやることが大切な気がしているんです。
 リアカーを貸して欲しいと依頼を受けたこともありました。同じようなことをしたいって。でも、違うんです。その地域の歴史があって、困っている実状があって、それに応えようとした結果、リアカーでの移動販売がハマっただけ。

―渡部さんの話を伺っていると“関係性”というものをとても重視しておられるなと思うんです。もともと奈良でもネットワークづくりをされていた。何か機転となるような経験などがあったのでしょうか。

原点

 奈良で病院勤務をしていたとき、精神科とか回復期病棟とかを経験していましたけど、所属していた法人がサテライトで訪問看護事業所をやるというので管理者になったんです。サテライトということで距離的にも他の事業所と離れていて、どういう関係性を築いていったらよいのだろうと考えていました。他の事業所とは、担当者会議の時に顔を合わす程度。それでは…と「つなぐあすか」というネーミングで、何人かのケアマネさんや包括支援センター、社協の方と横のつながりを作っていったんです。
 訪問リハを始めて、あるお坊さんの担当になったんです。住職ではなく、あるお寺に属しながら活動している男性。家の近くにあるバス停からバスに乗ってお寺に行き、そこで拝んでという活動をされていました。その人がある時、とうとう歩けなくなってしまったんです。パーキンソン病だったんですけど、その診断は出ていなかった。僕からしたら「パーキンソン病なんじゃない?」。主治医に相談し、試しにパーキンソン病用の薬を飲んだら効果覿面で、実はもっと動くことができた。リハビリをするなかで「家の近くを歩く」を目標にしていたのを、ーもっと遠くまで。ーバス停まで歩いていく。ーバスに乗る。ーお寺の本堂まで行く…というように一連の動作を目標立てていったんですね。

   でも彼にとって、バスに乗ろうとしたときに運転手から「そんな荷物持って…。はよう乗ってくれんか」って急かされた経験が尾を引いていたんです。それ以来「バスは…」って。でも目標があったから、僕がバス会社にアポイントをとり、バスの乗車口の奥行とか環境を計測しに行ったんです。その日はバス会社の職員さんがみんながその様子を見に来て、何してるんやろ?って感じで。そのデータをもとに、一か月くらいバスに乗る練習をして、「いついつ乗りに行きます」とバス会社に連絡。その日は付き添いで僕もバスに乗りました。    次の日曜日、「奥さんと一緒に(お寺に)行ってくる」って連絡があったんです。その時、バスのドライバーが「手伝うことあれば言うてな」と言ってくれたと聞きました。「ゆっくりでいいから」って。すなわちそれは「助けて」って言えるってこと。

    務めていたお寺も、身体の不自由な人にも対応できるような椅子を導入してくれたり、手すりをつけてくれたりしたんですよ。こういうところに上りにくさがあるって気づく。そういう人が“近くに居る”ことに、その存在に気づく。地域の意識変容を体感したんです。それまでは、訪問リハの担当者と患者という関係で止まっていたんですけど、外に出てみたらどんどん優しい街になるっていう感覚を僕は見つけたんです。
 みんながつながる。産業や肩書なども超え、まち全体でつながっていけばいいんだと。この経験が“もっと地域に出ないかん”と思った僕の原点です。

どんな姿勢で?

 理学療法、作業療法…リハビリテーションとは、全人間的復権のための手段だと言われています。僕はひとりひとりにPTとして関わってきました。もちろんそれも大切です。でも、もっとそうなる前に、そうなってからも、それぞれに役割があって役割を担えるようなまち、そんな資源をつくっていけないかって。それもリハビリテーションなんです。「その人らしく暮らせるを追求する」がリハビリテーションでもあると思う。
 地域らしさ、歴史ってとても大切ですよね。この地域、おおの家があるから、未来のことも考えてしまう。高齢化率は進んでいくわけで、防ぎようがない。いま見守ってくださっている方々もいつかは誰かの助けが必要になり、いつかは亡くなる。次の世代がほとんど居ないこの地域で、地域を繋ぐという理念に基づいたおおの家の事業は続けて行けるのか?でも、この地域の特殊性、しがらみの強さ。まちづくりへの大事な要素があるように思うんです。究極、外国人でもいい。この先も、外からでも見守ってくれる人がいて、エリアマネジメントをきちんとしていけるように。ただ、地域の住民であるという姿勢はとっても大切。僕のやっていることも、やろうとしていることにも答えはないですけど。現在も、その最中にいます。

真(シン)

 時計をみたら16時20分になろうとしていました。一日たっぷり相生地区に滞在し、渡部さんと行動を共にして気づいた“真”というもの。

   仕事をしていて、何かに気づいてそれが面白くて「こう在ったらいいんじゃないか」って取り組み続けること。渡部さんは言っていました。「僕の肩書はPTだから、こうした活動を部分的に見たら“もうあいつはPTじゃない”って思う人もいるかもしれません」と。けれど、二度にわたって滞在した相生地区で私は、ここで暮らし続ける人たちに触れ、相生の人たちの表情が真だ、って感じていました。いい表情、笑い声は真。この場所にいいものを感じ、また来たい、相生地区の人たちにまた会いたいと思い、連続して訪ねたわけで。

    前編のタイトルを「……、その存在に惚れる」としたのも、ここ。
 誰かの暮らしに関わる活動に、解はないんですよね。だから”常に求め続ける”という在り方。

 渡部さんと別れ、私は自転車に乗り相生駅へ向かいます。途中、前回バスで通り過ぎ、その佇まいに惹かれていた「観世の珈琲」へ。

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(お客さんの”雰囲気”でカップを決めるという大森さん)

 店主の大森早苗さんは四国にも行ったことがあるそうで話が弾みました。コロナの影響で「高齢のお客さんは怖がって来ないから」と客足は戻っていないと話します。でも「またぜひ来てね!」と、「観世の湯けむり珈琲めぐり」とネーミングされたカードを渡してくれました。
 その日飲んだ珈琲と日付を記入してくださるんですね。

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 お店を出るとほとんど日は沈み、幻想的な街の灯りと空の色合いです。あいおい情報プラザに戻ってきました。朝対応してくれたスタッフの女性は電話中。他のスタッフに自転車の鍵を返却し、トイレへ。トイレから戻ると「お帰りなさいませー!どうでしたかぁ?」と朝対応してくれた女性。返却予定時間より過ぎていたので少し心配してくれていたようです。

 「ありがとうございました!お気を付けてお帰りくださいませ!!」。

 福山市鞆の浦で「さくらホーム」に初めて触れた3年前の夏。「相生で面白いことをやっている人が…」と紹介されて来てみたら、代表・羽田さんに偶然再会。尊いものに触れ、思いを巡らせることになりました。3年前の夏の縁に、こうして“続き”が紡がれました。

 同時に、私には何ができるんだろうって考えながら筆をとっていたんです。

 地域社会と福祉、福祉とまちづくりというものを考え続け、話を聴いて、それをこうして綴っていくことは、私の命題なのかもしれません。

 いまこの記事を読んでくださっている方に、何かしらの気づきがあったならば嬉しく思います。

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