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PASSION ユバ滞在記 良き日々、善き人、忘れない時間

驚きの連続

 この旅を始めてちょうど100日目、12月21日早朝6時すぎ、ブラジル・ミランドポリスに到着した。まだ辺りは暗く、木々につけられたイルミネーションがぼんやり光る。
 ここからは、6時半に出発するローカルバスに乗ればユバ農場の入口まで行けるはずだ。
「ユバに行かれるんですか?父の車が来るので一緒にどうぞ」
 ローカルバスが到着し、乗車口に向かおうとすると、若い女性が話しかけてきた。ユバ生まれのアヤさん(34)だ。クリスマスに合わせて帰省してきたところで、私も車に乗せてもらえることになった。
 「おはようございます。よろしくお願いします」
 小さな乗用車がミランドポリスのまちを走り抜けて行った。
 住宅や商店が集まっている地区を過ぎると、一面が農村地帯になった。緑の海から大きな太陽が顔を出し、早朝の爽やかな風が車内を吹き抜けていく。
 20分くらい走っただろうか。一本道から外れて細い坂道を下る。赤土の道をガタガタ走ると広場に着いた。そこがユバ農場だった。
 車を降りる。吹き抜けの重厚感ある木造づくりの建物が食堂だ。左には大型キッチン、中央には分厚い木の長テーブルと長いすが並べられている。奥にはピアノやテレビもあった。やや高齢の男性や女性が数人いた程度で、食堂内は静まっている。
 「ごはんあるから好きに食べて」
 アヤさんはそう言って消えた。挨拶をきちんとしたいが人がいない。昨晩、ほとんど何も食べずにバスに乗ってしまったため、空腹だった。
ここでの食事は、並んでいる品を各自取っていくというバイキング形式。炒めごはんにフェイジョン(ブラジル料理で豆の煮込んだもの)とコーヒーを頂いた。


 一息ついたところで食堂にいた人に話しかけてみる。移民と野球のことを調べに来たと伝えると、マリアンという女性(53)を紹介してくれた。マリアンは松井の大ファンだそうで、当時の所属チームだったニューヨークヤンキースの帽子をかぶっている。
 「野球好きがここにはいるからあとで紹介してあげるね」
 エプロン、長靴、ヤンキースの帽子からのぞく長い髪のみつあみが、キュートに揺れていた。
 「あんた、マンゴー食べる?」
 振り向くと、マンゴー畑で一仕事終えたという男性・強七さん(59)がおり、食べきれないほどマンゴーをむいてくれた。
「僕が作ったの。どう?」
にっこり聞かれて、私もにっこり「おいしいです」と答えた。
 食器を洗ったり、食堂の掃除をしたり、みんな忙しそうだ。来訪者の存在に気付いているのだろうか…。
「何か手伝うことはありますか」
 じっとしていても仕方ない。手伝いをしたかったのだが、どこに何があるのかわからない状態ではかえってじゃまものになってしまう。
「今あちこちで大掃除しているのよ。あとであなたの部屋が決まると思うけど、ごめんね!待っててね」
 仕方がない、待とう。私は食堂で日記を書いていた。小さな男の子と女の子が私に気づき笑みを投げる。女の子はひなたちゃん。ひなたちゃんが資料館を案内してくれると言うのでついていった。
 資料館では、数人が窓ふきをしたり、床掃除をしたり、大掃除の最中だった。ユバ農場を訪ねる前にメールで連絡をとっていた矢崎正勝さん(64)がいた。ここには移住関係の書籍やユバ農場の貴重な資料が大切に保管されている。管理人が矢崎さんなのだ。
 「少し手伝ってもらっていい?」
 「はい、もちろん」
 矢崎さんの手伝いをすることにした。クリスマス講演で配るというユバ農場の概要が書かれた資料づくりだ。
 ブオーン…
 「12時だ。お昼だよ」
 角笛の深い低音が鳴り響いた。昔からこの音が食事の合図となっているのだ。
 食堂へ。朝とは違い、賑わっている。
 お皿を持って次々と好みの料理を取っていく人たち。挨拶をする余裕なんてない。ユバの住人にとって、見知らぬ人がいるのは当たり前。聞けばいくらでも教えてくれるし、面倒も見てくれるのだが、自分たちから特に話しかけることはない。その雰囲気に圧倒され、少し寂しくも感じるが、時間が経てば話す機会もできるだろう。
 私もお皿に料理を盛っていった。オクラの花の漬物、モロヘイヤのお浸し、おしんこなどの漬物。野菜が豊富で10品はくだらない。味噌汁もあった。
 食後、ようやく部屋に案内された。ハンモックで本を呼んでいる女性は旅人の淳子さん。ここに来て3日目だという淳子さんと話をしていると
 「こんにちは!旅人の方?」
 ユバ滞在は二回目だという女性・リカさんが現れた。前回は半年間もユバにいたという。
 リカさんは、淳子さんや私のような訪問者の面倒をみるお姉さん的存在で、ユバで滞在するにあたっての注意点や過ごし方などをリカさんが細かく教えてくれた。
 14時半、再び掃除の手伝い開始だ。資料室の床をホウキで掃き、そのあとの床拭きも丁寧に行った。他の女性たちが丁寧に掃除をしているものだから、手を抜けないし気も抜けない。資料室の隣にある白い建物は図書館で、幼児向けの絵本から現代物小説や科学書まで一万冊もの蔵書があるそうだ。
 「ジュース飲む?」
 アヤさんがウォータージャグに入っていた飲み物をコップに注いでくれる。ジュースの中身はアイスコーヒー。砂糖がたっぷり入っていて甘い。よく冷えていて、一息つくにはちょうど良かった。
 「疲れているのに、着いた早々手伝わせちゃってゴメンねー。もうあがっていいよ。休んでて」
 アヤさんが気づかってくれる。
 そう言ってもらえたが、帰省して早々手伝っているアヤさんのほうがすごい。私は「共同体」としての意識の強さを感じ取った。
 18時、夕食である。主食はきのこの炊きこみご飯だった。南米に来て、炊きこみご飯が食べられるとは思っておらず、食が進む。
 食後、リカさんにフジコさん(68)の家に連れて行ってもらい、農業の仕事に欠かせない麦わら帽子や労働着を借りる。シャワーを浴びて部屋でくつろいでいると、外からはフルートやトランペット、サックスの音色が聞こえてきた。クリスマス講演に向けた練習の追い込みをしているのだろう。
畑のまわりに、草っ原のなかに、食堂も各家族の住居もある。ありのままの自然のなかで生活しているユバの人たち。毎日農作業をして働いて、自分たちで育てた野菜や肉、栄養バランスの良い食事をとる。夜はバレエや楽器の練習などの芸術活動。心身ともに健やかだ。
私は滞在一日目にして、ユバが「満ちていること」を感じ取った。

 ブオーン…ブオーン…
 まだ暗い6時過ぎ、朝食を知らせる角笛の音。
 淳子さんと食堂へ行くと“祈り”が始まったところだった。ユバでは全員が黙とうをしてから食事をする。住人や訪問者にもそれぞれの宗教や習慣があるということで、祈り方に決まりはない。感謝の気持ちをおのおのの心で祈るのである。
 朝食には、採れたて卵、ミルク、自家製パン、チーズ、ジャムが並んだ。もちろん白米もあり、好きなほうを選べば良い。
 食事を終えたらサッと着替えだ。ジーンズ、Tシャツを着て、その上に男性物の長袖ワイシャツを羽織る。首には手ぬぐい、頭には麦わら帽子、手には軍手、足は長靴。準備万端。
 リカさん、淳子さんらと食堂で待機すること数分。現在のユバの代表者・弓場恒雄さん(54)と農業専門家のブラジル人がトラクターに乗って、私たちを迎えに来た。トラクターの荷台によじ上り、畑へ向かう。犬もしっぽを振りながらついてくる。赤土の坂道をガタゴト、ガタゴト揺られていく。畑と森に囲まれた壮大な風景は、まるで大海原のようだ。雲間から太陽がゆっくり顔を出し、空が燃えていた。


            農家であり、芸術家であり…

 訪問者が主に手伝うのは、収穫が比較的簡単なキャボ(オクラ)の収穫とパック詰めである。
トラクターが止まった先には、背丈が2mくらいあるキャボ畑が広がっていた。緑が生い茂り、黄色い花も咲かせている。バケツを持って、リカさんに収穫時の注意点を受けた。
「今日の収穫の長さはこれくらいね。これより短いのは成長途中だから取らないで。細すぎるのも良くないからね。大きくてゴワゴワしたやつは固くて食べられないから捨てていいよ」
収穫すべきキャボの見本を見せてもらう。



 「一本の木に何個も実がなっているから、よーく見て。見逃さないようにキャボは一日で数センチ成長しちゃうからね。それを逃すと売り物にならないよ。ゆっくりやっていいから確実に!」
 緊張しながらキャボ畑に足を踏み入れる。一人一列ずつ担当し、終わったら人の入っていない列に入るという作業になった。
 リカさんは慣れた手つきで収穫していく。あっという間に差が出てしまったが、焦りは禁物。収穫すべきキャボを見逃さないよう、ゆっくりやろう。
時間の経過とともに太陽も高い位置に上がってきて、日がジリジリと照りつけるようになった。手ぬぐいで汗をぬぐう。
 11時すぎ、収穫を終えて食堂へ戻る。次はキャボのパック詰めの作業である。作業場のテーブルに収穫したキャボをズラッと並べて作業開始。ここでもキャボの大きさや固さなどをしっかりチェックし選別していく。ユバで食べる用、近くのレストランに配布する用、出荷用、先が折れていたり固いものはブタの餌になる。
 高校生、大学生くらいの女子たちも手伝いに来た。幼い時からやっているから手慣れたものだ。スピーディにキャボをパックに詰めていく。
 私はキャボの選別に苦しんでいた。初めてだから仕方ないにしても、大きさや柔らかさを見分けるのは難しすぎる。パックに詰められると思われたキャボをリカさんに見せると
 「これはダメ。固すぎるよ」
 どれがいいのかパニック状態。
 昼食をはさんで17時半すぎに、今日の作業がようやく終わった。肉体的にも精神的にもクタクタだ。
 夕食後、21時を過ぎたところで淳子さんとユバ内にある劇場へ行ってみる。木造だが、間口10m、奥行きは12mあるという本格的な劇場だ。クリスマス講演で披露するお芝居のリハーサルが続けられていた。
 農作業をしていた人たちが夜は芸術家に変身する。早朝から深夜まで休むことがない。彼らのバイタリティ、ポテンシャルに驚かされていた。

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