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本当の才能の見つけ方

自分が気付く自分の強みなんて、たいして強い部分じゃない
それに初めて気がついたのは、中学受験した全ての学校に落ちた時だった。

小学校までは学年1位か2位の成績で、当時住んでいた片田舎では珍しく4年生から塾に通わせてもらっていた私は、自分は勉強ができると思いこんでいた。
自分で希望したのか親から進められるままだったのか、成績も良いし中学受験してもいいのでは、という空気のままふんわり受験したら、見事に全て落ちた。
公立の中学に進み、家から遠い私立の高校に進学し、成長するにつれて「勉強ができる」というアイデンティティは少しずつ壊れていった。大学受験をする頃には偏差値ではなく、自分の興味のある研究をしている教授がいるという基準で受験する学科を選んだ。

お勉強ができるとか、頭が良いなどといったことは、私にとっては強みでも何でもなかったのだった。

勉強以外にも「文章力がある」とか「愛嬌がある」とか「マルチタスクができる」みたいなことが強みだと思っていたけれど、どの部分も上には上がいて、それが強みだと思っていたのは自分だけだった。

代わりに評価されるのは、自分では弱みだと思っていた部分だった。
弱みだと思っていたのは、誰かに批判されたり陰口を言われたり叩かれたり、つまりその性質で嫌な思いをしたことがあるから「自分はここがダメな部分なのだ」と思っていた部分、ということ。

例えば私は「コミュニケーションが下手だ」とずっと思っていた。

これは小学生の時に起こった仲間はずれ事件から、親に「あなたはコミュニケーションが上手くないから」と言われ続けていたことからそう思っていたのだけど、下手だと思い続けていたから、人と話すときはとても注意深くなった。
不器用な私をなぜかとても気に入ってくれる友人がいたのも幸いし、相手の話をよく聴くようになり、心理学をかじり、言葉を発する前に一息入れるよう練習を繰り返した結果、今ではPRやブランディングという、コミュニケーションの仕事をするようになっている。
コミュニケーションが下手だったからこそ、うまく伝えられない人の気持ちもわかるようになれたと思う

コミュニケーションに関連するところだと「すぐ感情的になる」のも弱みだと思っていた。

子供のころは感情のコントロールがうまくできなかったので、言い方がキツかったり怒りをそのままぶつけたりしていた。よく言えば素直だけど、豪速球の球を投げられた方はたまったものではない。感情的だ、すぐ怒る、どこでスイッチが入るかわからないなどと親友や恋人に言われ続けた。

これは感情が爆発しそうになったら、「これが悪意ではないとしたら、どういう意図があるのか?」と思考の練習だと思って一歩下がって別の視点を探してみることで、徐々に静かになっていった。その結果、今では現実と感情を分けて認識できるようになり、めったに怒らないので心が広いなどと褒められることも多い。
これも、感情の波が激しい人は愛情深い人と知っているので、自分の波も他人の波も受け入れられるようになった結果だ


この話は、努力した部分でご褒美がもらえるよ、という話ではない。
強みとは本当は、人より上手くできる部分ではなく「自分で弱いと思っているからこそ、楽しい努力を続けられるところ」だという話だ

もともと強みだと思っていた、勉強ができるとか文章力があるなんていうのは、大した努力をしなくてもある程度できるから、手を抜く。あまり努力もしないからちょっと上手くいかなくなったら「私はできるはずなのに」とか何とか言って、できないことを認めようともせずに、適当な言い訳で見なくなる。

けれど、弱みだと思っている部分は誰かに指摘されるから、悲しいし悔しいし直せるものなら直したいと思う。その結果自分にとって最適な努力をして、努力は再現性があるから別のものにも応用ができて、それが組み合わさって突出した自分だけの才能になっていく

弱い部分というのは、そもそも愛される部分でもある。
実はそれこそが、それぞれが持つ独自性だと思うのだ。

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