標準語と方言の関係について
皆さん、久しぶり。元気してたかい?ここから来た人は初めまして。最近はある小説にハマってたり仕事で忙しかったりで全然手をつけられんでした。なので更新が遅くなった感じです。もしかしたら期間が開いたことにより今までの駄文さがさらに磨きがかかってるかも知れません。そう感じたらどうか高評価ボタンとTwitterやってたらURLツイートをして批判してください。お願い致します。()
今時分、しばしば標準語と方言は対象関係にされている。
しかし、標準語とは何なのかと聞かれた際上手くちゃんとした答えを出せる人は少ないだろう。なぜ方言と対象なのか方言オタクである僕ですら答えを出せたことは無いと思っている。
今回は方言と標準語についての話だ。
標準語と方言の関係
一般人の感性では、方言と標準語には全くの関係性を感じず両者には深い溝があるように感じるだろう。
しかしながら、僕のような方言オタクからすると、どちらも言語としてほぼ同じ性質のものであるとしか思わないのである。(見方に寄ります。)
理由は様々ではあるが、まず方言オタクなら誰もが知ってるあの言葉、「言語とは、軍隊を持つ方言のことである」が挙げられる。
これはとある言語学者が発した言葉で言語と方言の違いを定義した言葉である。
軍隊を持つということは国家が関わってくる。国家には首都、つまり中央政府が存在する事になる。これについて言語の話と結び付けると必然的に「国語」ないし「標準語」または「公用語」について想起されるはずだ。
この公用語が国で正式に使われる言葉として使われるが、これが軍隊を持つ方言の正体である。
東京都の方言
これをもう少し掘り下げたい。そもそも公用語がどのように決まるのか?結論から言えば首都圏の方言を基準にしている。例として日本で言うと厳密には違うのだが、少なくとも首都として機能する東京がその例で所謂標準語は東京の方言が基準にされている。
これを説明するためにまずは無駄な情報は忘れて今から記述することを簡単に考えて欲しい。
一般人からは考えられない者もいると思われるが東京都には土着的な方言があった。例として、「江戸弁」や「山手方言」、「多摩弁」などが挙げられる。特に山手方言は今の標準語に大きな影響を与えている。つまり、これらの東京の言葉が今の標準語の元祖たるものになるのだがこのことから標準語とは始まりは少なくとも1つの土着的な方言であったと言える。
大阪弁や津軽弁など数ある土着的方言の中から東京の言葉が選ばれたのである。元を辿れば同じ方言なのにも関わらず、特別視をされる標準語にはどこか既視感は無いだろうか?
標準語への特別視
例えば僕自身が耳にするのは動物、即ち生き物、生物と人間を対照的に分け、人間を特別視することである。人間も生物にも関わらず、まるで別の概念のように一般人の間では語られるだろう。これを言語と方言や標準語と方言に置き換えても同じ事が言えるのである。
極端な例えだが、複数の種類のケーキがあり、モンブランやロールケーキなどが並んでる中ショートケーキに大きなイチゴが乗っていたとする。大きなイチゴが乗っているからケーキの代表例として扱われ、ケーキと言うと、ショートケーキを指す。これを、言語や生物に行っているのだ。
まとめ
・方言と標準語の関係は国家や首都など政治や行政と密接に関連している
・標準語は首都圏の方言を基準にしており、日本の場合は東京都の主に山の手言葉を基準にしている
・標準語も方言の1つであるが、言語の代表値としていっぱから特別視されやすい
以上、今回も拝読ありがとうございました。また、読んだ方も方言について考えて欲しい。
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