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沖縄のサバイバルゲームと同好会を取り巻く環境(前編)

まず始めに

この『別冊沖縄ディフェンダーガゼット』の
位置付けは、沖縄県で活動するサバイバルゲーム
の同好会『近接戦闘研究会』の、機関紙本編では
掲載しきれない内容を、"個人の視点"から整理し、
公開された記録として残すものです。

この『別冊沖縄ディフェンダーガゼット』は同好会
メンバーの、編集長役が"個人"が作成している
ブログです。
このブログは、特定の職業、組織、役職、とは関係がありません。

本編は
沖縄県那覇市にあるミリタリーショップ
『SPTベース』

同じく那覇市にあるシューティングバー
『ワイルドギース』

以上のお店で掲示して頂いています
是非ご覧下さい。

編集長が所属する同好会の活動地域である、
沖縄のサバイバルゲームの歴史について
お話したいと思います。

沖縄県におけるサバイバルゲームの歴史

インターネットを調べても、県内の図書館にも、
沖縄のサバイバルゲームの始まりが、はっきりと
分かる文献などは発見出来ませんでした。

沖縄は、アメリカの統治下で戦後が始まり、
1972年に本土復帰するなど、他の都道府県
とは異なる戦後の歴史を歩んでいます。

昭和から平成を経てもなお、駐留している米軍
による、事件及び事故が起こり、県民と米軍及び
日本の中央政府との間には、大規模な地上戦から
今に至るまでの、感情的に納得の出来ない怒りが
蓄積されていく事になります。
(米国統治下にあった沖縄と、高度経済成長期に
あった本土では、経済的な格差が大きかった事も
背景にある。)

特に1995年に起きた米軍人による少女暴行事件
が起きた際は、宜野座市で行われた県民大集会に
万単位の人が集まりました。
これは、隠しようのない住民感情が発露した
結果だと思われます。
(基地問題に関する沖縄県の記録は、下記HP参照)


以上の歴史的、情勢的な理由により、ミリタリー
に関する趣味は、決して日向になるような状況では
なかったのかもしれません。
【ここから先は様々な沖縄県のミリタリー愛好家
から聞き取りをした内容と、インターネットから
収集した内容になります。】

しかし、米軍基地があるという事は、内地に比べ
米軍装備の放出品が潤沢に、かつ手に入りやすい
環境である事も事実
1990年代には、ベトナム戦争時の米軍装備の
愛好家が、野外で撮影会をするなど、マイナーでは
あるものの、沖縄県でもしっかりとミリタリー趣味
が根付いていました。
2000年代に入り、サバイバルゲームの
プレーヤーが集まり、整備された場所でない、
いわゆる"野良"サバイバルゲームが沖縄県中部で
行われるようになりました。
2000年7月に行われた九州・沖縄サミットの
際に建てられた、管理用の建物はサミット終了後
に無人になり、その建物でサバイバルゲームが
開催されていたようです。

沖縄県に整備された有料フィールドが生まれるまで
の間、言うならば沖縄県のサバイバルゲームの
黎明期を支えたプレーヤー達は、そのコミュニティ
の中で情報交換を行い、地道に趣味を楽しむ環境を見つけていたのです。

既に2000年〜2010年の間には、沖縄県に
複数のサバイバルゲームチームが、存在して
いました。
この人達が、沖縄県で有料フィールドが出来る
前後の、サバイバルゲームシーンを牽引する原動力となったのです。

長くなりましたので、中編へ続きます。