沖縄のサバイバルゲームと同好会を取り巻く環境(中編)
この『別冊沖縄ディフェンダーガゼット』は同好会
メンバーの、編集長役が"個人"が作成している
ブログです。
このブログは、特定の職業、組織、役職、とは関係がありません。
前編の内容
前編では、沖縄県の歴史・情勢から、サバイバル
ゲーム黎明期のお話をしました。
沖縄が本土復帰した1972年といえば、
映画ではダーティーハリー、フレンチ・コネ
クション、ゴットファーザーが上映されました。
1960年代のウェスタン映画のブームが落ち着き
モデルガンにおいてもMGC S&W44オートが販売
されました。
この次の年にMGCからM16A1のモデルガンが販売
されています。
過去のカタログや雑誌のアーカイブから読み解くと
この頃には第2次世界大戦で使用された米独の火器
は販売されていますし、大体今現在電動ガンやガス
ガンで販売されているラインナップに近い
モデルガンが販売されている事が分かります。
このように、昔からモデルガンを始め、エアソフト
ガン愛好家はその時勢のトレンドや、入手できる
アイテムで楽しんでいました。
サバイバルゲームも同様に、有料フィールドこそ
なかったものの、個人やチーム単位で場所を見つけ
行っていたのです。
2000年代以降の沖縄県のサバイバルゲーム
注)個人主催のイベントや貸切ゲームについては
考察の範囲から省いています。
2000年代に入ってから、沖縄県でのサバイバル
ゲームシーンは更に加速していきます。
2007年5月25日に、OKINAWA Team-Ordnanceのブログが初投稿されています。
このブログの記事から、沖縄の有名な装備品
メーカー、『ORDNANCE OKINAWA』の関係者
が主催しているチームであると分かります。
ここで注目して頂きたい点は、既に軍装チームとし
て完成されている点です。
つまり、軍装品を入手する為の手段、情報、共に
楽しむ仲間、そしてミリタリー・サバイバルゲーム
のマーケットが成り立っている事を示しています。
そして、軍装を着て集合写真を撮影している事は
サバイバルゲームを楽しむインフラが既に整って
いた事を示唆しています。
その次の年、2008年5月には沖縄県では
恐らく初となる、整備された有料サバイバルゲーム
フィールドが誕生します。
(オープンソース上確認出来た範囲による。)
そして、このオープニングイベントである、
『オペレーション沖縄』はその後、沖縄県の
サバイバルゲームシーンを牽引する一大イベント
へ成長していく事になります。
2008年が、沖縄県のサバイバルゲームシーン
における革命の年と言ってもよいでしょう。
残念ながら、サバイバルゲームフィールド『スナイプ』は、2009年12月に閉鎖されました。
2年に満たない期間ながらも、このフィールドと
イベントの主催団体である沖縄エアソフトスポーツ
連盟は、沖縄県における、サバイバルゲームの未来
を発展させる礎となったと言っても、過言ではあり
ません。
関東では千葉でデザートユニオンのオープンなど、
ユニオングループが勢力を広げ、軽井沢ではASCS2008が開催されました。
有料フィールドの開業と発展という点では、確かに
時期は遅かったものの、沖縄県のサバイバルゲーム
シーンは着実に歩み始めたのです。
2009年にスナイプが閉鎖した後の、2011年には
オキナワエアソフトパークが存在しています。
2010年の動向は確認出来ませんでしたが、何とか
して有料フィールドの存在と意義を存続させよう
としている先人達の努力と、文化を継続させている様子が分かります。
そして2014年4月6日
全国でも珍しい、特設フィールドによるイベント
『Operation Okinawa 2014』が開催されるのです。
2008年に沖縄初のサバイバルゲームフィールド
『スナイプ』のオープニングイベントである、
オペレーション沖縄から始まった、沖縄県の
サバイバルゲームシーンが、6年の時を経て
確固たる文化となり、その足跡を刻んだ瞬間
でした。