変形学生服からオシャレの原動力を考える
とても古い話ではあるが、私の故郷では、公立の中学校のほとんどがセーラー服と詰襟の学生服を採用していた。
いずれも海軍と陸軍の制服が起源とされているが、集団の統制強化策として、外観を統一することも有効な手段だったのだろう。
そんな中、あらゆる場所でダルそうにたむろしている不良達の制服は独特だった。
上着は短く、ズボンは大きく膨らみ、スカートは地面スレスレまで長く、制服の変形度合いによって明確なヒエラルキー構造ができていた。
生徒指導の教師と衝突を繰り返し、裏地に刺繍があったり、なぜか裏に隠しボタンが仕込んであったり、長いスカートをぐるぐる巻き上げたりと、あらゆる工夫をして少しでもはみ出した制服で登校しようと頑張る彼らに対して、
反抗心をそんなふうにわかりやすく表現してしまうのは逆にカッコ悪いよ…。
と、割と冷めた目で見ていた。
しかし、ファッションの原動力がしばしば何らかの圧力や風潮に対する反発であることを知って、あれも一つのファッションだったんだなと思い返す。
確かに今思えば、あの頃の彼らの格好は一つのカルチャーとしてある程度説明できる型として認知されていたし、
実際、そのような変形学生服を子供たちに売って利益を上げるメーカーもあった。
今もまだ息子が通う公立中学校では、細かい規定があり、生徒指導の先生が時折一斉チェックする(学校では「身なり検査」と呼ばれているらしい)。
型にはめようとすればするほど、なんとかそれをすり抜けたいと思う逆の力がますます働くような気がする。
また、そのような主張を良しとし、個性を伸ばそうとする風潮さえある初等教育で、制服はなかなか無くならない。
オシャレ=学生にとって百害あって一利なしという思い込みがあるのかもしれない。