開運術と幸福度
{2021.04.23の記事}
不幸を体験したことがある方なら共感して頂けるのだと思うのですが、私は[熱心に開運術を調べては試す]ということを幾度となく繰り返しています。
私、だらしないので、習慣化がなかなかできないんです。
完璧主義な面も持っている(いた?)ので、やるときとやらないときの差が非常に激しいタイプです。
そんな私なので、自分に合った開運術を見付けようと、結構沢山のことを調べました。
トライアンドエラーを繰り返しました。
そんな中、数年振りに家族と生活する羽目になってみて、
『とてつもなくだらしない家族の元で育ったものだなぁ…。そら、なかなか開運できない筈だわ…。』としみじみ感じるのです。
裏を返せば、そういう部分に気付ける程、成長できた証拠でもあると思っています。
これからもマイペースに精進いたします。
家族を見たり、自分を振り返って思うことがあります。
それは、
『自分は幸福だ。』ということに、ある程度気付いていないと開運術は継続出来ない。
というものです。
例えば、断捨離と掃除なのですが、私は昔、物凄い量の【物】に囲まれて生活していました。
まず、私の家族は物が捨てられない人達なのです。
そのため、使わない古い沢山の物を[収納]と称して押し入れに押し込んでいました。
更に、私の実家は非常に変な家で、何故か私の部屋は収納スペースだらけなのです。(計7畳分程の収納スペースが、変な形で部屋にくっついています。)
その収納スペースがパンパンになる程に
家中の不要な物が詰め込まれ、そんな中私は生活しておりました。
子供の頃は、親の価値観の元生きていたため、収納スペースとは別にある約10畳の居住スペースはこれまた家具や収納用品でパンパン。
ごちゃごちゃな中で育ちました。
引っ越しを何度か繰り返し、自分の価値観を確立しながら生きる内、ある時私は断捨離に目覚めます。
そうこうしている内に、気付けばかなりの【シンプリスト】へと私は変貌を遂げました。
私は昔掃除が苦手だったのですが、
『あれ?掃除大変なのって、物が多いからじゃない?無くしたら掃除楽じゃない?』という考えから始まったので、物が減ってからは圧倒的に掃除をする頻度が増えました。
そんな変貌を遂げた私が数年振りに帰省した実家…
『なんじゃこのゴミ屋敷は…?』と、開いた口が塞がらず、私の部屋にあった不要品を全て捨ててやりました。
私の部屋だけでなく、家の中の沢山の物を私は捨ててやりました。
元々、両親も年を取ってきたことで
「要らない物の山…どうしよう…。」
と不安を感じ始めていたのもあったので【私の捨て活】は温かい目で見守ってくれました。
しかし、やっぱり細々と捨てるのを渋る発言ばかりなので、
「今やらなかったら、私は二度とやらないからね。」
と釘を刺し続け、膨大な量のゴミを廃棄することに成功いたしました。
ゴミを捨てるだけでなく、シミだらけの壁紙をブラシでこそぎおとしたり、油まみれの台所のタイルを磨いたり、沢山の場所の掃除も行いました。
その姿を見て、両親も少しずつ
『断捨離や掃除って大事かも…。』と感じ始めたようなのですが、私のような捨て活は、全くできません。
未だに
「何かに使うかも…。」
と、紙袋などをキープするのです。
(まぁ、見てない所で私が捨てるのですが。)
両親も
『開運したい。』というような欲はあるようなのですが、本気度が少ないというか、動かないというか、とにかく捨てられるようにならないのです。
この姿を見ていて、私は、
『この人達は、やらないのではなく"出来ない"のでは…?』と感じるのです。
私は、実家の至るところを掃除して回っている間、
『掃除って、心の中が片付いてないと出来ないのかもしれない。』という考えを抱きました。
確かに、依存心や執着心を捨てなければ
断捨離はできません。
色々な思いを割り切っていなければ掃除もできません。
経験上、この感覚がわかるのです。
今となっては、昔の自分と比較すると、かなり掃除が出来るようになりましたし、連動して心の中もスッキリしています。
この、
●掃除が先にできるようになったのか
●心の整理が先についたのか
は、自分では到底判断できないのです。
何かしらの心の整理が付いたから、断捨離を始めようと思えたのかもしれません。
断捨離を始めたから、心が整っていったのかもしれません。
私はどちらとも言いきれないのです。
この事から、断捨離や掃除に限らず、開運術を実行できる人というのは、既に幸福な人なのだと思います。
恐らく、本人はそれに気付いていない、というケースは多いでしょう。
私も、断捨離を始めてから数年間ずっと
『なかなか幸せにならない…。』とくすぶっていたので、一定数の人は私と同じように
『何で断捨離しているのに不幸が止まないんだ。』と嘆く人はいるはずです。
ですので、断捨離や掃除ができる方へ。
あなたは幸福な方ですよ。
とエールを送りたいです。
「いや、そんなこと言われても、幸福じゃないし!」
となる気持ちも十分に分かります。
下を見るとキリはありませんが、
断捨離や掃除が出来ない人と比較すると、出来るというだけで幸福です。
だからといって、断捨離や掃除が出来ない人が不幸だと言いたい訳ではありません。
そういう人はそういう人なりに、別の部分で幸福なので。
話を戻します。
断捨離を始める前までは
『この世に不幸選手権があれば私は世界一だ!』と思えるような心境で生きていました。
しかし、断捨離を始めるようになってから、少しずつ[自分の幸福な部分]に気が付いていったんです。
自分の幸福な部分に気が付くと、別の開運術が出来るようになっていきました。
『神も仏も存在しない。』と宇宙をも呪う勢いだった私が、
『そうだ、神社に行ってみよう!』という心境に至り、現在では神社参拝が好きになった…
などの経験上、やっぱり"幸福を感じるから"開運術が実行出来るのだと思うのです。
幸福な人、あるいは波動が高い人々はみんな
「○○すると開運出来ました!」
「開運のためにこういうことをやりましょう!」
と言います。
しかし、それはその方々が既に自分の幸福に気付いているから実行出来ることなのであって、不幸のどん底を生きる人間にはハードルが高いと思います。
不幸のどん底にいる人間は、開運行動って[始めることすら出来ない]んですよ。
少なくとも私は長い間そうでした。
まぁそんなどうしようもなかった私が、開運術を実行できるまでに成長したのだから、世の中の全ての人は幸せになれるのだろうな。
と思っています。
人はみんな、タイミングが来たら開運術を実行出来るようになっていくのでしょう。
そんな訳で、開運術を行える皆様、あなたは幸福な方です。
おめでとうございます。
開運術をやっているつもりが無い方でも、ありがとうが言えたり、いただきますやごちそうさまが言える皆様、あなたは幸福な方です。
おめでとうございます。
幸せはなろうとするものではなく、気付くものだと沢山の方が気付けますように。
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