つまらない
{2023.11.30の記事}
今朝方…か深夜かわからないのですが、寒さに震えて目を覚ましました。
布団からはみ出ていたのか…
布団と自分の間の隙間が大きかったのか…
何なのか分かりませんが、凍えてたんですよ。
よくわからないながらも
『あ、下半身は暖かい、大丈夫、私死なないな!(=_=)』
と、判断し、必死で布団と自分に隙間が出来ないよう、くるまっている内にまた寝てましたzzz
朝起きたときは軽く汗ばむ位に暑さを感じていて、尚更
『あの寒さは一体…?』と、謎が謎を呼んでいます。
冬に突入したってことなのでしょうか。
皆様も凍えて体調を崩すなんてことのないように、十分お気を付けくださいね。
私って、迷タイトル付けるの好きなんですよね *⌒艸⌒
今日も、言葉にまつわる話で、最近私が気になっている話題です。
そもそも。私は子供の頃から
『バカのフリをしていなければ、仲間に入れて貰えない。』のような感覚を強く感じていました。
私の場合、バカのフリの延長線で、事ある毎に【正しい知識】
よりも
【その場が楽しくなる言葉、ノリ】
を重視する方が大事だと思う場面を沢山経験してきました。
正しさよりも楽しさを優先するような場面は、私だけでなく、多くの人が似たような体験をしてきたのではないでしょうか?
・ちょっとした言葉の間違い
・ちょっとした言い方の間違い
・ちょっとした認識のズレそれらをその場で正すよりも、意味が通じて楽しく話せるのであれば、流す。
と、いう風な選択を取ることが、当たり前になっている人は多いと思います。
どうでしょうか?
一概には言えませんが、仕事をする中で指摘しなければならない場面では指摘することもあるでしょう。
それでも、多くの場合、
[いちいち指摘しない。]
という選択をする場面の方が多いと思います。
話している感覚的に、間違った言葉を使っている本人が
『あ、やべ、使い方間違えた!けど通じるからいーや!』という、勢いで話し続ける場面も結構ありますよね。
皆さんはどうですか?
それで、私個人は、
『どうせ世の中、間違えてる方が多いんだから、私が正しさを追及することなんて、無駄やな。』
みたいにスレた感覚を持つようになってたんです。
特にネットではそうですね。
こんな風に沢山ブログを書いておきながら、
『「正しい日本語で書こう!」って努力すんのは無駄や!』みたいに感じていて、これまであまり『正しい文章の書き方でブログを書こう!』としないようにしてきました。
私はスマホでダダダダダダ…と文字を入力するのはなかなか速いです。
小学生の頃から携帯電話を持っていたので、入力するだけであればさほど時間がかからないのです。
勿論、自分の言いたいことを引き出したり、表現を工夫するのに時間はかかるのですが、入力作業だけならそんなに時間がかかりません。
その勢いで、変換なども、パッと選んでしまう場合が多く、スマホの変換に挙がってきた言葉をそのまま使ってしまうことも少なくありませんでした。
ところが、稀に
[私が使おうと思った言葉が、上手く変換されない]
という事態に陥ることもあるのです。
稀に…いや…結構頻繁とも言えるか…
『スマホの辞書ってアホなんやな!』と感じざるを得ない経験が、一度や二度では無かったんですよね。
それで、気になり始めてからは、少し自分の変換に気を留めるように変わりました。
それでもほとんどは気にしないままだったのですが、最近ブログの引越しを機に、ちょっとずつちょっとずつ、変換ミスなども直すようになったのです。
一つ直し始めると、次から次へと気になるのが私の性分。
自分の誤りを訂正し始めるとキリがありません。
次第に変換だけでなく、単語の意味や使い方までも、色々と気になるポイントが増えていくのです。
そうして最近非常に気になっている言葉が
「つまり」
という言葉。
私はブログで「つまり」や「要するに」を多用しています。
全く知らなかった訳でもないのですが、私はよく
[抽象的な表現]
つまり
[具体的な説明]
といった書き方をします。
この使い方は間違いなのです。
正しく使うには
[具体的な説明]
つまり
[抽象的な表現]
と、言葉を短縮する場面での接続語が「つまり」なのです。
だから、私が今まで書いてきたブログたちは
「つまれてなかった」
のです *⌒艸⌒
そう。この使い方が正しくないことは分かっていながらも、
[抽象的な概念]を紐解く際に用いる接続詞
を知らないので、何を使って良いかが分からず、
『「つまり」でえーやろ!えいっ!』と勢いだけで使っていたのです。
ですが、先日
「バカなフリを止める!」
と宣言して以来、どうもそういった
[誤った言葉を使うこと]
に違和感を覚えることが増えてきたんですよね。
それは、冒頭に書いた、私が正しさよりもノリで言葉を使うことを優先するようになった経緯がたまたま[バカのフリ]だったから、というものなので、
『別に間違ったまま使っててもいーじゃん!』という自分もまだ混在しているという、不思議な状態です。
とはいえ、自分の言葉選び、表現方法には今後もう少し気を配っていこうと思っています。
正しさ<その場のノリ
これは間違っていないと思うんですよ。
他人が楽しく話しているところに、
「その言葉、言い方、間違ってるよ!」
と水を差す方が、
「あんたの礼儀作法が間違ってんだよ!」
という話になっちゃいます●>∀<
だから、正しさよりも楽しさを優先すること
は間違いとは思いません。
ですが、
[他人の間違いを受け流すこと]
は
[自分の間違いを正さない言い訳にはならない]よな。
って自分で思っちゃったんですよね。
これもまた難しいテーマでもあるのですが、
・知性を要する楽しさ、面白さ
・知性の要らない楽しさ、面白さ
って、系統が違いますよね。
ネットの世界を中心に幅広く蔓延しているのが
〖知性の要らない楽しさ、面白さ〗
なんですよ。
そんな中で、
〖知性の要らない楽しさ、面白さ〗を楽しむためには
・知性を捨てなければいけない訳でもない
・知性が無い人のレベルに合わせなければいけない訳でもない
・知性を探求することを止めるべきでもない
って部分を理解している人は、沢山いないといけないよなぁ…と思うんですよ。
ただ、TVをはじめとした多くのエンタメは
[たとえ知性が無い人であっても楽しめるように作られている]
という前提を忘れているのか、気付いていないのか…
『エンタメの世界観が一般のレベルなんだ!』と思い込んでいる人も多いじゃないかと思います。
その感覚を改められる人が増えないといけないよな。誰でもない、私が流されないように心掛けていかないといけないよな。
ってグサッと刺さったんです。
そんな感じで、
[程度の低い言動を蔓延らせることを助長する一員になるような、愚かな真似は極力しないようにする]
と、いう責任はある程度担っていかないといけないよね。
って、腑に落ちちゃったので、
『今後はもう、「つまり」を変な使い方するの、止めよう。』って思ったんです。
つまらなくなろう
ってなったんです *⌒艸⌒
無理して頑張る訳ではなく、できる範囲で気を配ることを止めない。
こういう人が増えるというか、減らないために、自分が気を付けないといけないんだな、って気が引き締まりました。