会話にオチ求める人ってつまんないよね
たまぁに思うんですけど、
【良い文章】
【良い会話】
は同じ構成だって思い込んでる人、結構いる気がします。と、いうか何も考えてないから文章と会話で使い分けようとしてないんだろーな、ってゆー目で私は見てるんですけどね。
本人にしっかりヒアリングした訳ではないので断言はできないんですけど、私より20歳位年上のおじさんを中心に
『膨らんだ話の一番最後が話の"まとめ"である。』
としか判断してない感じを受けます。
私より10歳位年上のおじさんを中心に『会話にはお笑い的要素が必要で、ボケ、ツッコミ、会話の最後にはオチが必要だ!』
って思い込んでる人が増える感じを受けます。
私とと同世代を中心に
『初めに結論を言わないといけなくて、その結論に筋が通ってる理屈を添えて話さないといけない!』
って思い込んでる人が増える感じを受けます。
あくまで私が受ける印象だし、「中心に」って書いた通り、そこから別の世代にも派生し合ってるから、今日の話は世代差の話ではないんです。でも、微妙~にその暗黙のルールを抱えてる層は偏ってるように感じる、っていうことです。
上に挙げた3パターンに共通してるのは、
「うん。それって"会話"じゃなくて"(自分)語り"を重視してる場合におけるセオリーのことでしょ?」
ってつっこみたくなるところです。しかも、2個目は若干趣旨は違いますが、1個目も3個目も
「うん。それは、"文章"に特化したときの話だよね?」
ってつっこみたくなります。
でも、↑こういうことってつっこむ機会無いから、すんごい微妙な気持ちになるんですよね(笑)
会話してるってことはさぁ、聞いてるときは相手の話の内容がメインな訳じゃないですか。でも、その人の話を聞いてると
『あー…この人こういうセオリーで話さないといけないって思い込んでるなぁ…。』
って、何となく分かるじゃないですか。エンパシー能力強いと余計強く感じ取れちゃうじゃないですか。
『どうやって、話の本筋から違和感の無いように「文章と会話は違うんですよ。」って伝えてあげようかなぁ?』
って、一旦頭に過るんですよ。過って、あーでもない、こーでもない、ってグルグルした後に
『はい!コイツが"会話"できてないのは私には関係、ありません!解散!』
って頭の中の会議が終了して、話の本筋に対する無難な相槌だけ打つ結果に終わります。
まぁこんな感じになるしかないから、現実世界でのリアルな会話の中で
「それ、おかしいですよ。」
って注意されることはないから、面白くない人はいつまで経っても面白くないし、勘違いは続いていく、なんなら助長されていくものですよね。
勝手に
『うわぁ、この人、勘違いしてていたたまれない…。』
って、思うこともあります。でもそれは決して表面化しない、パンドラの箱の中身なのです。
今、箱開けちゃったけど😗~🎶
私もさぁ、会話しながら頭の中で、話の本筋と全く関係のない、
『あぁ、この人会話の構成を文章の構成と一緒にしてるクチだなぁ。』
って考えてるから、話に集中してないっちゃしてないんですよ。それでも本筋の話も聞いた上で、その内容に合わせた相槌を打つことによって
「あなたの話、聞いてますよ👍」
ってサインを出してる訳です。
一方で、相手の話を聞いてて
「で、そのオチは?!」
とか言ってる人って、
『この人(話し手)の話の流れ、テンポ、間…色々微妙やけど、オチさえ決まれば…?』
みたいな、構成の部分ばっかりに集中して、相手の話の内容をあんまり聞いてないんですよね。挙げ句の果てに
「自分が気になってる話のオチを話してよ?」
って、聞いてる側である自分の理想を相手に押し付ける反応を全面に出すから、それは話してる相手とのキャッチボールじゃないんですよね。相手の話に全力でホームラン打ちにいってる訳ですよ。←こんな人と話してても楽しくないんだよね。
だからさぁ、
「結論・オチを求める者同士、勝手に喋っとってくれよ。」
って感じになるんだけど、やっぱり人は
『自分の話を聞いてほしい。』
から、相槌を打てる人と話をしたくなるもんなんですよ。
でも、会話って、キャッチボールな訳でして、
「じゃあ、今度は私がボール投げるね?」
ってターンでホームラン打ち返しにかかってくるような人とは極力話したくなくなるんですよね。
ボールをパスされたからパス返してあげてるのに、そのボールをバットで打たれる
って、ウザいでしかないと思いませんか?
エンタメとか、飲み屋の人は"語り"みたいな部分が大事な側面もあるんですよ。その人個人が話してる内容に面白さを持たせるために、構成があって、オチでまとめることでその人の演目の一部になってるんです。
でも、一般人同士の"会話"で一番大事なのは、
「話してるよ。」
「聞いてるよ。」
っていうサインなんですよ。
エンタメ、飲み屋、におけるトークと、普段の生活に密着してる会話が全くの別物だっていうこと位、理解しといた方が良いと思うけどな。
ただ、これもまた微妙なところなんですけど、関西を中心に
「ボケたよ。」
「つっこんだよ。」
で、キャッチボールが成立してる文化が根付いてる所・関係性があるのも事実なんですよね。けど、そうじゃない人がいるのもまた事実。ボケのつもりで言った訳でもない話へのつっこみ程、ウザいものはないですからね。私も気を付けないと。
日常の中ではさぁ、
『面白いことを言おう!言わなきゃ!』
って意気込んでるより、
『相手の話を丁寧に聞こう、適切な相槌を返そう。』
って心掛けてた方が圧倒的にモテるのに、何でウザい人を量産する方に流されやすいんですかね?
新撰組…か幕末の話を書いたときにも
「事実と史実は違うし、史実とエンタメも違う。それを見極めきれなかった新撰組の敗退だったんじゃないかなぁ。」
って語ったけど、人間という生き物はエンタメと現実の区別がつきにくい生き物なんでしょうか?
飲み屋とか、ディズニーリゾートのタートルトークみたいなサービスは、丁度、エンタメと日常の中間みたいなサービスだと思うんですよ。
[エンタメの中に自分が入り込める]
っていう形のサービスだから、そういう空間と日常もまた違うっていうことは理解しとかないと【痛客】になりやすいですよね。痛客までいかなくても、
『まぁここ(飲み屋とか)は非日常の中に入り込んで楽しむ世界だからね!』
って割りきってた方が思いっきり楽しみやすいと思うんですけどね?飲み屋の営業に恋人対応求めるのとか、タートルトークで笑いを取ろうと変な質問しにかかるのとか、それの何が面白いのか私には分かりません。
タートルトークなんかで
『会場を笑かすような質問したろ!』
みたいに構えるのって、いわゆる【悪ノリ】だと私は思うんですよね。何か、
『この人、小・中学生辺りから精神年齢育たんかったんかな?』
って見えて、私は軽く引いてしまうことさえもあるんですよ。
芸人さんが、クラッシュに挑みたくなる気持ちは、何となく分かるんですけどね。同じ【エンタメ】という業界の、いわば同業者みたいなもんなんですから、そういうのは
「手合わせ願いたい!」
みたいなモンなんやろーなー、って。
けど、素人の良い歳した大人がイキッて質問(ボケをかまそうと)する…のは、サムい上に、折角【非日常】を楽しみに来てる中で、絶対見たくない光景の1種ではあるんですよね。
本当に、クラッシュへの質問権は子供だけであって欲しいなぁ、私は。クラッシュは子供用、スティッチは大人用、とか分けてくれたらいーのに。あ、逆でも良いんですけど。
全部がそう、と言うつもりは全くありませんが、会話の"キャッチボール"が苦手なのは男性の方が多いと思うんです。その原因も何となく分かるんですよね。
私が子供の頃はまだ、男尊女卑の意識が結構あるな、って感じてたんですよ。(大人になってからもまぁまぁ感じたこともあったけど)
「男は跡取りだから、大事、大事。」
「女は家のことを手伝いなさい!」
みたいな感じで、母親というメスは、複合的に、オスである自分の息子を可愛がる傾向も強いんです。娘は同じメスだから、『自分の手下』とか『自分のライバル』みたいに当たりが強くなる、ってケース、まぁまぁありますよ。表面化してないだけで。本人も絶対自覚もしてないし、認めもしない人ばかりだと思いますが。
で、可愛い可愛いされて育った男児は、その男児中心の世界観で育っていくから、【他人軸の感覚】が乏しいまま大人に育ってくケースが増えるんです。
一方の、塩対応されたまま育った女児は、必然的に母親の顔色を伺うってことを身に付けないと生きていけないから、自ずと【他人軸の感覚】が強固になって育ってくケースが増えるんです。
※一部の傾向の話ですよ。全員がそう、とは言ってませんよ。
そうして、
【自分本意な男性】
【他人に振り回されやすい女性】
は量産されてきたんです。
だから、会話においても
『相手の顔色的に、今、こういう風に反応してあげた方が、"2人にとっての"会話は盛り上がるよね?』
っていう視点での会話ができない男性が多い、っていう傾向が、一部には存在してるんです。
でも、多分、
『母親という生き物が、娘(メス)よりも息子(オス)を優遇しがちである。』
っていう話を頑なに認めない人間の方が男女共に多いと思いますけどね。だから、この話はなかなか通じないと思ってます。
反面、
「うん、うん。そうなんだね。辛かったね。」
って、ひたすら会話を聞いてくれるような男性の地雷率が高いのもまた、一部傾向としてあると思うんですよ。
男児なのに大事にされてこなかった、周りの顔色を伺ってないと生きられなかった、っていう、不遇な育ちを経験した結果の【受け止める系】に育った可能性が高まるからです。
※全員とは言ってませんよ。一部傾向として、って話ですよ。
まぁそんなこんなで、
『俺様中心に世界は回ってるから。』
っていう感覚のまま育ってる男性は、会話の"キャッチボール"も苦手な傾向があるから、話しててもつまんないとか、嫌な気持ちにさせられることが多いなって、私は感じるんですよ。
かといって、地雷的な男性、私は無理なんですけど、
「うん、うん。そうだね。」
って受け止め続けてくれる訳だから、そういう部分に沼ってしまう人の気持ちも分かるところがあるんですよね。
そして、心地よい心の繋がりを感じられる異性に出会えてこなかった私は一体、どこまで業を背負ってきたのか…もはや怖いわ。自分が怖い。どんだけ私自信が地雷として類友を引き寄せてたんや、と、恐ろしくなります。
前までは、
『それでも、世間に合わせて、私も"トーク"頑張らな…。』
って、気を付けてたんですよ。シチュエーションに応じて、ノリとテンションで【場を盛り上げる】みたいなことを意識しながら会話することが大事だと思ってました。
結果、新しい出会いが恋愛に繋がることは全くありませんでした。(笑)
そらそーよ。会話のキャッチボールじゃなくて、トークの千本ノックしてたって、恋愛のパートナーは見付からんねん!お互いの話を一旦ちゃんと受け取って、投げ返してあげれないと、2人の関係性は育まれません!だから、合コンとか相席居酒屋みたいな場は要注意ではあるよね。盛り上げと会話との塩梅にも気付けなあかんから…
『恋愛なんて面倒臭いだけだわ。』
って、考えてしまう男女が増えてしまってるところもあると、私は思うなぁ。
まぁ、気になる人、好きな人に
『興味を持って貰いたい!』
って思うと、ついつい
「自分はこんなに凄いんだよ!」
って、アピールしたくなる気持ちは、大なり小なり男女共に湧くんじゃないかと思うんです。だからどうしても発信の方に注力してしまうのも、ある種仕方のないことなんかな、って。
けどそこで、
『自分ばっかりになってなかったかな?相手のもう少し深い部分について、聞いてみようかな?』
って、我に返れるように、冷静な自分も一部備えておけると良いですよね。
「オチ無い。」
と嘆く心を持つ君の
会話で恋に落ちない話。