
大人って何だろう?

{2023.06.12の記事}
無性にたい焼きが食べたいのですが…
たい焼きってなかなかお店無いですよね。
冷凍のたい焼きだとコレジャナイ感があって、大判焼きで我慢したりすることもあったんですけど、
やっぱりコレジャナイ感があって…
たい焼き屋さんになろうかな笑
前々から仄かに思ってたことがあって…
「勉強は大切だから、ちゃんとしなさい!」
みたいなことを言う大人っていませんでした?現代もいるのかな?
「何で大切なの?」
って質問しても、濁された答えしか返してくれなくて、納得もできずに、勉強できずに大人になってしまった人、結構いるんじゃないでしょうか。
あと、私が個人的に気になるのが、
【知っただけで勉強した気になってる大人】
なんですよね。
【知識をインプットして満足しちゃってる大人】
こういう人って、大概年下に知識をひけらかしてドヤってるイメージがあります。
大切なのは、【詰め込まれた知識】ではないんですよね。
頭の中に入った知識を[いかに活かせているか]なんですよね。
もし、この話を若者が読んでいるのなら、知識をひけらかしてきた大人に対して
「その知識は、どういう場面で使えますか?」
って聞いてみてください*⌒ω⌒
その質問に答えられた大人は本物です◎
この話を読んで
『ドキッ!』とした大人の皆様はいらっしゃいますか?
もし、いらっしゃったら
『自分が持っている知識をどういう場面で活かすことができるか?』
という部分まで掘り下げておくと、人生のクオリティがちょっと向上します。
難しいことじゃなくて良いんです。
例えば水素と炭素が化学反応を起こすことを利用してホットケーキが焼けるとか、
30%offの商品の値段を暗算するときは、商品の値段に0.7かけるだけでおおよそ目安が付くとか
小中校で習うような内容を、どうやったら生活の中で活かせるのかということについてちょっと考えてみておくだけで、
応用出来ることって結構増えるんですよ◎
持っている知識の1つだけでも応用する術を知っていれば
「どうして勉強が大切なのか?」
という疑問への答えも見付かりますし、
『勉強ができるって恵まれていたんだな。』って、感謝の気持ちが芽生えると思います。
多分、人生の見方がちょっとだけ変わるはずです。
何でいきなりこんな話を書いたかというと、
ルールって増え続けるんですよ。
不用品も増え続けるんですよ。
ちょっと頑張って頭を使わないと、
ルールは勝手には減らないんです。
ちょっと頑張って分別しないと、
不用品は勝手には消えてくれないんです。
同じように、
[学校で学ばなきゃいけない内容も増え続けてる]
ってこと、どの位の大人が気にしてるのかな?
って気になったんですよね~。
私は小学校からPCの授業がありました。
私より上の世代になってくると、仕事でPCが必要でも
「俺はPCは使わない!」
って、頑としてPCを覚えようとしないおっさんもいました。
その時点で、
『何で仕事やらん奴がおるのに私らは勉強せなあかんねん。』ってちょっと理不尽に感じてたんですけど、最近の小学校って、タブレットとかプログラミング、英語もかなり早い段階から勉強させられてるらしいじゃないですか。
ちょっと可哀想に感じるんですよね。
まぁ…色々ありますよ。
大人になってできない方が可哀想っていう側面も分かるんですけど、やっぱり、勉強させ過ぎるのって、
いじめ問題とか不登校問題とか、違う部分に歪み出やすいから、気を付けてあげません?
と、思うんです。
これ、会社でも同じようなこと言えて。
長年同じ会社で働いてたら、
一年毎に新しいルールが増えていっても対応しやすいですけど、
新人はいきなりめちゃくちゃ覚えなきゃいけないことが多かったりして、
でも先輩らはそのことが分かってないから
「最近の若者は…。」
とか
「自分の新人の頃はもっとスムーズに仕事してた。」
とか
とんちんかんなこと言っちゃったり…。
本当に気を付けないと、若者とか新人に課す物が増え過ぎたら、取り返しのつかない事態になりかねませんよ。
少し違う方向性の話をすると、勉強を沢山させるなら、その分思いっきり身体を動かす時間もあげないと良くありません。
これは、「スポーツを上手くやりなさい!」
とか枠にはめ込んだ指導の元の運動ではなくて、
上手くても下手くそでも何でも良いからのびのび動く
っていう活動を指しています。
頭を使ったら、それと同じ分だけ頭をoffにして身体を動かす。
かなり重要です。
ウォーキング、ジョギングとかでも良いので、とにかく[頭を使ってなくてもできる運動を定期的にする]機会があると、殻に閉じ籠ってしまう可能性を減らせます◎
サイクリングは、少し注意が必要なので、自宅等にサイクリングマシーンがあるのならそれも良いと思います◎
まぁ、できれば外、海岸や公園など広めの空間で、[頭を使わずに動ける]ということが定期的にある方が良いですね。
人間って、
[自分の外側の人間をどうにかしよう]
と、あれこれ他人に対してうるさくなりがちなんですよね。
自分より立場が下だって判断した相手に対しては容赦ありません。
だけど、他人(自分の外側)を見て、本当に変えなきゃいけないのは自分なんです。
教えたり指導する立場の人は、
・教えるポイント
・自分が振り返るポイント
両面のバランスをかなり気にしておくことを強いられるので大変だと思いますが、本来は
"自分の教えを押し付ける"のは指導ではありません×
[自分も教えながら、相手の反応を見て自分が学んでいく]
これをできる大人が増えることがとても大切なのです。
「あれをしなさい。」
「これを学びなさい。」
投げ続けてるだけではダメなんですよ。
「最近の若い層は…。」
「○○世代は…。」
論じてる暇があったら、
自分を振り返らなきゃいけないんです。
自分から逃げてる限り、この国、この世界に未来はありません。
まぁ、未来を見据えると気が遠くなっちゃうので、目の前のことから始めましょう。
自分の子供に、自分のあれこれを押し付け過ぎていませんか?
自分の部下に、自分のあれこれを押し付け過ぎていませんか?
注意する前にワンクッション
『自分の考えが100%正解なのか?』って振り返るタイミングを設けてみてはいかがですか?
