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批判厨を解剖します。2/2



{2023.10.28の記事}
🔻前編はこちら🔻

【「このコメントによって不快な気分になったのはあなたのせいだ!」と八つ当たりしたい】

このタイプもなかなか多いですね。

この手の批判になると、リプしている本人も、
『自分は何に対して腹が立っているのか分からないけどとにかく腹が立つ!』という勢いだけでリプを返してくることも多いです。

🔻私のコメント🔻

に対して、
「日本の海岸に落ちているのは韓国のゴミばかりだ!それなのに何故日本人だけにゴミを拾う活動を強いるんだ!そんなに言うなら捨てている張本人である韓国人に拾わせろ!」
の、ようなリプを返してくる人もいます。

ここまでくると、
『いや、私の主張と結構同じ意見やのに何をそんなに怒っとんねん(゚ж゚)』と笑いさえ込み上げてくる程なのですが、これが実際に存在しているから驚きますよね…。

先に対処法をお伝えすると、こちらも下手にリプで応戦せず、無視を決め込むのが一番です。

このタイプは、頭に血が上った勢いで書き込んでいる場合がほとんどだと思うので、時間が空けば
『あれ…このコメ主と同じようなこと言ってね?と、気付く可能性が0じゃないんですよね。

なので、勝手に怒って、勝手に冷静になるまでこちらはノータッチでいるのが最も省エネな対処法になります。

このタイプは、正義感が強いタイプなので、実は根は悪い人ではない可能性が最も高いタイプです。

ただし、私個人もかなり気を付けなければいけないポイントなのですが、

行き過ぎた正義感は時に他人を傷付けてしまうのが世の常です

この強い強い正義感によってついつい熱い強い意見を書いてしまい、攻撃的になっているのですが、本人は『これが正義だ!』と思い込んで止まないので、最も他人からの説得が完全に逆効果になるタイプ。
とも言えてしまいます。


【勘違いや思い込みが激しい】層と被っている点も多く、

他人の意見=自分への攻撃

と、勝手に勘違いしてヒートアップしてしまいがちです。

そして、
『何となくこのコメントに腹が立つからお前が悪いー!』という形で八つ当たりされる流れになります。

また、私の経験上、根底にある思いが同じであればある程、目的へのアプローチ・解決案が異なるだけだからこそ相手が激しく怒り出してしまうケースが多いです。

この例え話の場合だと、
私は
「近隣諸国との協力&日本人のゴミ拾いで解決すると良い。」
と提案しているのに対し、
リプ主は
「近隣諸国(この例の場合韓国)の人がゴミを拾って解決すると良い。」
と提案しています。

両者とも、
・近隣諸国と協力すべき
・ゴミは拾うべき 
という点においての考え方は同じなのに、アプローチが若干異なることで対立してしまっています。

こういった形での対立関係になってしまった場合は
なかなか分かり合うのは難しい
ということをしっかり念頭に置いておき、相手の怒りに便乗して自分も怒り返すよりも、
[サッと身を引く]
という行動の方がスマートな対応である、と、理解しておくことをおすすめします。

分かり合ったら、とても仲良くなり得る相手だからこそ、分かり合うまでにはとてつもなく時間がかかる可能性も高いのです。

少々理不尽に感じるのも確かではあるのですが、そこをグッと堪えて
『八つ当たりされてんなー…。』と高みの見物を決め込むことに徹底した方が、自分の精神衛生を保てるでしょう。


これらの例えは全てフィクションではありますが、リプライの雰囲気は完全なる再現に成功しています!

残念ながら、批判リプを書いてくる人自身は自分の本音本心に気付けていない場合が多く、
『自分の中に問題があるから、他人の意見に腹が立ってしまう。』という部分には全く気付けません。

『この相手(私のこと)が酷いことを言っている!』という思考回路から抜け出せないのです。

そのため、ときに物凄い勢いで誹謗中傷を書き込んでいる人がいる訳です。



悪いことをした人間は袋叩きにして良い

という意識も強いのでしょう。

また、何度も書いたように、攻撃的なことを書き込む人間は基本的に"臆病"である場合が多いので、自分が傷付かないために必死だったりして、ここぞとばかりに相手に対して酷い言葉を吐き続けることも少なくありません。

相手が自分の意見と異なる=相手は自分の敵

という極端な思考に陥っている人が多く、自分が攻撃される前に攻撃を仕掛けようと必死になってきます。

そして、

叩かれている(いじめられている)相手は自分も叩いて(いじめて)良い

と考えてしまう残念な思考の人も多く、遊び半分で叩き(いじめ)出す人間は群がりやすいのですね。


『叩かれて、怖いし、辛い。』という経験をしたことがある人もいるかもしれませんが、批判厨は基本的に『攻撃される前に攻撃しなければならない!』という変なプログラミングが組まれたバグでしかない
という認識で流しておけば良いのです。

いちいち気にしてあげる価値はダニ程にも無い

という理由が少しでも伝わって、広まったら良いなって思います。


私がこれまでに経験してきた批判リプの文を読んでいる限り、どうも私に絡んできたことのあるピントのズレたリプの主は私より年上っぽい人ばかりだったんですよね…。

世の中では
「若者の読解力の低下が…。」
って言われるケースをよく目にしてきましたが、
「いやいや、読解力の無いおっさん、おばはんの方が多くね?」
と、いうのが私の意見です。

と、いうか読解力の無い人間の割合って、実はずっと変わってないんじゃないかと私は思います。

少子化の影響で、上の世代になる程、分母の数も大きくなるのだから、割合が同じなら当然、上の世代の読解力が無い人間の数の方が多くなりますよね。

また、少子化の影響で、若い人を目にかけやすくなってるから、読解力が無い若い人は目ざとく見付かりやすくなってるだけなんじゃないかと思うんですよ。

かつての世代は人数が多かったから、あまり一人一人に目が行き届かなかったことで読解力が無い人間も紛れやすかった部分もあったのに、現代は紛れられるような人数がいないから目立ってるだけなんじゃないかという…。


まぁ実際のところはどうなのか証明の仕様が無い話なんですけど、私個人的には上の世代の方が読解力無い人が多いように感じていて、そういった人から批判リプを書かれた経験が非常に多かったです。

また、途中に書いた人の褌で相撲を取るようなリプの書き方をする人も私よりおばさんっぽい雰囲気の人が多い印象が強かったです。

くどいですが、

証明の仕様は無いんですけどね。



私への批判に限らず、様々なチャンネルのコメ欄を見ていると、読解力の無いコメントをよく見かけます。

個人が読解力が無いだけなら迷惑にはなりません。

ところが、読解力が無いことを他人に八つ当たりして迷惑をかけるタイプが目立つのです。

読解力・理解力・学力…様々な面において
『自分はダメだ。』というコンプレックスが強い人程、
「反論して、論破してやったw」
というつもりでただの誹謗中傷いちゃもんを書いているだけという場面をよく目にします。


更に、ただ空気を読めていないだけなのに言葉尻だけを見て
「それは違うだろ!」
知識マウントを取ろうとしている人も多いです。

こういった背景には、かつて成績や勉強のことで強く怒られた経験がトラウマになっているのではないでしょうか。

また、

空気を読めない=周りから浮いてしまって居場所が無い=ネットの世界でうさを晴らす

というタイプも沢山見かけます。

いずれにせよ、
[メンタルの歪みが拗れに拗れて誹謗中傷へと繋がっている]
という場面を目にする機会が非常に多いので、ネット上での叩き(いじめ)問題が根深いということは間違いが無さそうです。


これらの私の経験から、まずはネットで誹謗中傷を行う人の心理を暴き、少しでも広めることによって
『なーんだ、誹謗中傷する人間なんて大したこと無いんじゃん。』と理解できていて、気にならないメンタルでいられる人の数を増やすことが、ネットリテラシーの向上に繋がるかと思い、こんな風にまとめてみました。

あくまで私個人の経験が元になっている話なので、この見解が全てではありません。

でも、モデルケースの1つとしてどこかの誰かの参考になると思いますので、必要な方は活用してみてください。


私は、ネット上だろうと、リアルな世界だろうと、いじめというものを無くさなければいけないと思います。

世の中には
「いじめなんて無くならない。」
といった風な意見もありますが、私はいじめは無くせると信じています。

ただし、
[沢山の人の意識が大きく変わる]
というプロセスが必要不可欠にはなりますが。


前回の内容に書いた通り、私個人の意見としては
『叩ければ何でも良い、叩かれてる奴がいるならそいつは叩いて良い!』とする風潮を淘汰することができれば、いじめを無くすことに最も近付けると思うのです。

以前全く異なる内容の記事で
〖赤信号 みんなで渡れば青になる〗
という話を書きましたが、この
『叩かれてる人がいればみんなで叩いて良い。』
とする風潮は正に
『赤信号 みんなで渡れば青になる。』が多くの人のためにならない方向に働いてしまった典型例だと思います。

「みんなが渡っていたとしても、赤だから渡らない!」

という判断・勇気を保てる人間の数が増えれば、自然に赤信号を渡る人間の数は減っていくのではないでしょうか。

「みんながいじめてるから…自分も参加しないと自分がいじめられる…。」

そういった無意識の恐怖に同調せずに打ち勝てる人間の数が増えることで、自然といじめる側をマイノリティへと追いやれるのではないでしょうか。


少しだけ酷な表現になるのかも分かりませんが、いじめられた経験がある人ほど、

『いじめに同調するべきではない!』

という意志を強く持つことがとても重要だと私は思います。


小学校や中学校など、まだ若い頃は
優しい人=弱い=いじめて良い
のような誤った認識からいじめが発生してしまうことも少なくなかったはずです。

そうして、優しい人というだけでいじめが始まったせいで
『自分は弱いんだ…。』と、勘違いさせられてしまった人も世の中には沢山いるでしょう。

しかし、思い出して欲しいのは、

優しさは弱さではないということです

人は強いから人に優しくできるのです。

優しい人は自分の中に強さを持っているのだということをしっかりと思い起こさなくてはいけません。

また、真の優しさというものは、なかなか他者に伝わりにくいのも世の常です。

他者に気付かれない程度の気遣いを行ったことによって勘違いされて周りに悪者扱いされてしまうケースも重々にして起こるものです。

それでも、
[自分の信念に従って行った善良には堂々と胸を張る勇気をしっかり持つこと]
もときに重要であるということを思い出してください。

目に見えにくいことも多いですが、【人道に反する考え方】というものは必ずマイノリティ側なのです。

一時、自分の優しさによって悪者にされたとしても、その行いが道に反しているものでなければ、貫き続けることでやがて間違っていた人間が淘汰されるのだということを心に留めておいてください。


色々と書きましたが、

誹謗中傷する人間は幼稚なだけ

なのです。

そういったお子ちゃま人間たちと、同じ土俵に立たずに済む、精神的に成熟した人間が1人でも増えるきっかけになりますように、この話を送ります。

必要な人に届きますように。


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