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断捨離のその先へ


おさらいから入りま~す。

「もったいない!」

と、いう言葉は本来、

「あるべき用途を成してない!」

という意味の言葉です。

「手放すのが惜しい…。」
「捨てるのは可哀想…。」
というニュアンスの言葉ではありません



例えば、食べ物をおもちゃにして遊んでいたら、それは「もったいない」のです。

他にも、紙幣をメモ用紙にしているのも、「もったいない」のです。

また、クッキーを演出するためのお洒落な缶。クッキーを食べた後裁縫道具入れにするのは、本来「もったいない」のです。

あれ…?逆じゃない?

逆なんですよ。

本来利用する目的とは異なる用途で使用していることが
「もったいない!」
なのです。

『普段着用に買ったTシャツ…捨てるに捨てられないからパジャマに…。』
なんて、これはもったいないことをしているのです。

『キッチンの収納用に買ってみたけどサイズ合わなかった…。そうだ、文房具の収納に使おう!』
これも、もったいないことをしているのです。

『勉強しよう!と考えてノートを買ったけど、結局やってないから…日記帳にしよう!』
もったいない、もったいない。

物に魂が宿る…とまで考えなくても良いですが、物は〖お役目〗を持って私たちの目の前に存在してるんですよ。その、お役目をしっかり見極める視点で物と向き合うと、あるべき【断捨離】ができるのではないでしょうか。



もったいない。

自分が断つことをできてないだけなのに、心の言い訳として使って良い言葉ではないんです。

自分が捨てられないだけなのに、その責任を押し付けるために利用して良い言葉ではないんです。

自分が離れられないだけなのに、執着心を擁護するために使って良い言葉ではないんです。



ここまで読んだだけで、断捨離が捗るのではないでしょうか。言葉をあるがままに使うと、物事は進みを速めます。

年末まで丁度あと半年。断捨離と向き合うには良い時期です。

私が初めて
「断捨離」
という言葉に出会い、取り組んだのはもう十数年以上前になるのかもしれません。ハッキリとは覚えていませんが、汚部屋に悩みに悩み続けた挙げ句、出会った言葉でした。ですが、出会ってすぐの頃は、精神性が追い付かず、そんなに上手く、しっかりとは取り組めていなかった気がします。

断捨離が上手くなり始めたのは丁度10年程前だった気がします。

台所で作業をしていて、
『あれ…?何で私ってこのやり方なんだろう?要領悪くない?………そうか!これは母に言いつけられてたやり方だ!そうだよ!もう母なんて関係無い人間なんだから、自分のやり方に色々塗り替えれば良いんだ!』
こんな感じで自分個人の価値観を構築し始めることになったのを皮切りに、持ち物に関しても徹底的に見直したことで、断捨離への取り組み方を掴んだのでした。

テレビを手放したのもこの頃です。



それでも、私は手芸など、チマチマ何かを作るのが好きだったり、服や雑貨も好きだったりで、
『あぁ、私はミニマリストになるタイプじゃないんだな。』
と、ある程度の段階で理解しました。

『とりあえずシンプリストを目指そう!』
と常に心掛けながら過ごしてきたので、持ち物はあっさりしている方なのではないかと思います。



この数年、価値観の変容に拍車がかかるのと同時に、お洒落断ちもしました。
『お洒落断ちしよう!』
と考えた訳では全然なくて、
『常に、乾きやすい服を着ていたいなぁ。うーん…極力ジャージで凄そう!』
と考え始めたことで、
『ちょっと近所のスーパーまで♪』
程度ならジャージで出掛けられるようになったからです。勿論寝まきもジャージ。

寝て、そのまま着替えずに出掛ける→風呂上がりに洗濯してあるジャージを着る

と、いう感じで、過ごせる限りジャージ生活を送ってきました。
(結果、流石にジャージで電車などに乗れるメンタルにはなれませんでした。)



最近、着たい服が頭に浮かびまくっていて、お洒落欲が復活しています。

かつては、
『何を着て良いのかわからない…。』
『他人から見て、お洒落な物を着なければ…。』
などなど、人目を気にするあまり、自分自身が100%満足できる服をなかなか選べなくなったいたんですよね。

20歳前後であれば、何を着ても、どんなものを着ても
『そういうジャンルが好きなんだね。』
で片付きますが、それでもポッチャリだった私は、堂々と着たい物を着ることができていないモヤモヤも抱えていました。

20代後半に差し掛かると、清潔感があるかどうか、異性が
『隣を歩いて恥ずかしい。』
と思わないかどうか…など気にすべき項目が増えます。

アラサー、特に30歳を超えると、質の良い物を、手入れの行き届いたものを…と、考え過ぎてしまって、オーバーヒートしていたのです。

そんな呪縛からやっと解き放たれました!

『自分が好きな服を着るのが一番!』

この一言でしかないことを悟りました。



かつては、
世間一般に流行る物=お洒落
だと思い込んでいたので、
『私も世間一般の流行の範疇に収まるお洒落を心掛けないと…。』
ってがんじがらめになっていたのですが、情報断ちなど、色々なことを断ってみて、

『世の中の人間って、実はそんなにセンスねぇじゃん。』

と、気付いてしまったのです。久々に見るお洒落"ぶった"広告やブログなどの写真のダサさ。

『じゃあ私もダサいを突っ切れば良い!』
みたいに、一周回ってしまいました。

矛盾しますが、
『私はどんなものを選んでも着こなせるからね。』
という根拠の無い自信もしっかり備わってしまって、私の心は無敵です。



服だけでなく、最近、細かい持ち物の見直しをちょこちょこ行っていて、使ってない口座の解約や、不要になった書類をシュレッダーにかけたり、夜な夜なガサゴソ続けているのです。

気付いた部分の細かい整理を寝る前に行ってしまうので、お陰でいつも通りの時刻に寝ても熟睡できておらず、また寝不足の日々を送ってしまっております。

収納の良いアイディアが閃かないか、ネットサーフィンをしていると、掃除スレを動画にしてるYouTubeチャンネルを見付けてしまい、見てみると、何と不思議なことに、聞き流しているだけで勝手に体が動いて捨て活が捗るんですよ。しかも、不意に
『分かり過ぎる~!!!』
と、吹き出してしまうようなことを書き込んでる人も多くて、面白くてハマってしまいました。

たまに嫌な言い方を書き込んでる人もいますが、
『やっぱ掃除パワーって凄いんだなぁ。』
と、聞き流してるだけでも伝わる位に、掃除スレの住人には良い氣が廻っている人が多いようです。



その流れで、ついつい全く違うスレの番組を開いてしまったのですが、愚痴に次ぐ愚痴、愚痴、愚痴…
『この人たちの人生、幸せじゃないんだろーなー。』
って、これも聞き流してるだけなのに分かりますね。

『私も以前はこんな風だったんだなぁ…
。』
と、気持ちが分からなくもない部分もあって、妙な感慨深さを感じました。

そんな中で、
『愚痴を言う人って、『本当は自分はやりたくない。』と思っているのに、周りの空気感に負けて止める勇気を持てないことを『やらせてる周りが悪い!』って責任転嫁してるだけのおこちゃまBBAなんだな。』
って、ハッキリ解るようになりました。

ONE PIECEで、ルフィの台詞に
「結婚しなかったのがローラだろ…!!「海賊王」になってねェのが…お前だろ!!」
ってのがありますが、これと似てるなぁ、って思います。

『「うざい!」「うざい!」言ってる暇あるなら、自分が納得する行動を自分で取りなよ。』
としか思えないんですよね。

『周りから浮くことが怖い。』
のはお前なんだから、その恐怖心のツケを
[他人に愚痴を聞かせる]
っていう形で払わせるのは筋違い、お門違い。行動できないならせめて黙っとけ。

って…ヤバい、自覚しちゃったら、こういう人見かけたら言っちゃいそう!出会いませんよーに(  ̄人 ̄)



掃除スレは比較的空気が良いのは事実ですが、
物を捨てるor捨てない
という視点に囚われ過ぎて、断捨離の本質を見失ってる人も結構いるんだな、ということも感じました。

いや、私もその時期を乗り越えて乗り越えて上達を続けてるだけだから、責めてるとかそういうことじゃないんですよ。ただ、【断捨離】って、物の量で量るための言葉じゃなくて、心の話で、

癒着した意識を断って
要らない意識を捨てて
古い価値観から離れる

っていうことだから、物ありきで取り組んでる限り、進まなくない?と、気になる人も結構いたことが妙に引っ掛かってるんですよね。

捨てることに意義がある訳じゃなくて、物と向き合うことに意義があるんだよ、と、今の私は感じています。



最近また持ち物の見直しにハマってみて、
『私、前から大分断捨離できてると思ってたけど、そうでもなかったな。また更に捨てれる自分に変わってるわ…。』
って、過去の自分の未熟さと現在の自分の成長具合のようなものをひしひしと感じてるんですよ。同時に
『多分、私の断捨離力にはまだ伸び代もあるな。』
と、現在の自分の未熟さを感じる部分もちょこちょこあって、
『断捨離ってゴールが無いんだ。』
って確信めいた気分にもなります。

そんな中で、前に時間とエントロピーの話でも
「本来、エントロピーの拡大と縮小でワンクールなんです。」
って書きましたが、断捨離も正にそうだって、痛感しています。

多分、ミニマリストの人なんかは、完全にスパッと物を無くしてしまう程のリセットを経て、これからを構築していくタイプなんでしょうけど、私の場合は2個買って3個捨てて…みたいなゆるやかなペースで所持品の総数を減らしていくタイプなんじゃないかと思います。まぁ…規模はもっと大きいですけどね。



そんな中で今からしばらくはまた、【自分が心から喜ぶ物】を増やしていくフェーズに突入する予感しかないんです。勿論、アホみたいに買い漁るとかそういう訳ではなくて、自分の心にヒットした物を私が手入れ、管理、把握の行き届く範囲に集めていく…ということです。楽しみ過ぎる…!!

雑念を振り払えたからこそ、
【自分が本当に好きな物】
をストレートに選べる自分になったはずなんですよね。

それから、持ち物をシンプルにしたことで、持ってる物を丁寧に取り扱う術もしっかり身に付いた今だからこそ、これから出会う物たちとの関係性も上手く構築していけるような気しかしないんです!

ってことで、物欲が激しい笑笑笑吟味はするけど!



もしかしたら、また別の記事で詳しく書くかもしれません(書かないかもしれません)が、早速キュンキュンして入手したアイテムが、どうもお手入れに気を使う必要のあるアイテムっぽいんですよね。私個人の歴代持ち物の中で断トツお取り扱いが難しそうな物なんです。

それといかに丁寧に向き合っていけるか…

これから、また初めての課題に取り組むことになりそうなんですよ。ヒィィィ。

で、私は若い内から断捨離に目覚めて、取り組み続けて良かったな、ってつくづく思うんです。買っては捨て…買っては捨て…考え…思案し…買っては捨て…トライアンドエラーの繰り返しで、若いから体力もあるし、体力がある間に【断捨離】というものに対してエネルギーをかなり費やしてきた自信があります。だからこそ、 物との付き合い方も相当スキルアップした実感がある訳ですが、これからの長期間を自分が心から喜べる物だけと付き合い続けていけることになると思うと、未来に希望しかないんですよね。そうなるためにも、取り扱いのハードルが高い物と出会ってしまった側面もある気もしていて、いやぁ…物も縁で結び付いてるんでしょうね。大事にするから、長持ちして欲しいな?



私、ONE PIECEのDr.くれはに憧れてて、140歳でもブイブイ言わしてる位のファンキーBBAになりたいんですよ。まじでこれからの人生なげぇ…

その、長い時間を自分が幸せを感じる物に囲まれた生活で過ごせるようになると思うとワクワクが止まらないんです。

で、強要したい訳じゃないんですけど、人間は全員等しく

[今日より若い日は来ない]

んですよね。それは平等にみんな同じハンデを背負ってる世界で生きてるじゃないですか。だったら、自分の人生、持ち物を見直すのって、

『今だ!』

って思いませんか?

箸1膳新調するだけでも、相当ご飯は美味しくなります。

靴下1組新調するだけで、足元の温かさを感じるものです。

ピンときてる人が、来年を良い年として迎えられるようプッシュしておきますね!



よし!私もまた細かい見直しするぞー!!!

そして、
『そんなことある?!』
って感じだったのですが、お気に入りの傘(と、言ってもホムセンに売られてた安い値段の傘)の、閉じて留める部分がマジックテープだったのですが、マジックテープがモケモケになり、くっつかなくなり、留められなくなってたんですよ。

それで、マジックテープを取り外して、スナップボタンを縫い付けました。

どうせなので2本ともスナップに

マジックテープが壊れるとか知らなかったし、傘に縫い物をするなんて経験も初めてで、
『何か、凄い体験したなぁ…』
という気分なのですが、同時に
『物を大事にするって、奥が深いな。』
って感じました。

もっと、お気に入りの物を増やしたい気持ちもありつつ、管理は気を付けないとな、って気が引き締まっております。

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