理想とギャップと
以前から、
「感情が大きく動くときというのは、自分の心の中に気付くべき何かがあるときですよ。」
という話を書いてきました。
それとは別に
「もし、ネガティブな感情が湧いてきたとしても、いちいち相手にせず、『湧いてくんじゃねーよ!』って、突っぱねたら良いんですよ。」
という話も書いてきました。
またそれとも別に、
「私たちは、幸せを探すのではなく、気付くことが大事なのですよ。」
という話も書いてきました。
この3点の境界線なんて、くっきりしてるはずがないじゃないですか。
『嫌だー!!!』
っていう感情を強く感じたときに、
・自分の心の棚卸しをすべきときなのか
・ネガティブな気持ちを跳ね返して浸らないように心掛けるべきときなのか
・今の自分の周りにあるものの中にある幸せに気付くべきときなのか
その都度違う訳ですよ。
『棚卸しか!?』
と、思って取り組もうとしたら、幸せに気付くことを促されてるだけだったり、
『ネガティブに浸らない訓練か?!』
と思って取り組んでたら、棚卸しが必要だったり…
私は、これまでに大分自分の精神のクリアリングに取り組んできて、そろそろインナーチャイルドの大きな傷は昇華しきったと思ってたんです。
それで、イライラが湧いてきたとしても、
『はいはい、反応しない訓練ね!頭の中、黙れー!!!』
ってな感じで、突っぱねておりました。
ところが、昨日の記事で書いたように、今回の長引くイライラは、
「人生をリセットする決意をしなさいね!」
っていうサインでした。
いや、難しいわ!分かるか!
と、いうことで、その気付きにまつわる色々をまとめておきます。
私は、ここ1ヶ月程、頻繁に
『生まれてくるんじゃなかった。』
『もう、これ以上生きていたくない。』
『さっさと人生を終わらせたい。』
という意識が浮かび続けていました。
その度に
『またきたー。』
『はいはい、いつものネガティブ攻撃おつー。』
『そんなに死にたいならお前(「死にたい」って訴えてくる意識)が死ねよ。』
などなどなど、嫌な意識に引きずられないように気を付けながら、自分との対峙を繰り返していました。
私がこうしてたまに
『生まれてくるんじゃなかった。』
という思いに駆られるのは、私の育ちが大きく関わっていて、子供の頃から私の意見を無視されたり否定、非難されたり、私の存在を無意識に排除しようとする家族の言動(当然、家族たちは私に対してそんな態度を取ってる自覚などありませんが。)が私の中に蓄積していて、
『私は生まれてくるべきではなかったんだ。』
と、いった反応が何かしらのきっかけで起こりやすいからです。
多くの場合、自分が
『こうしたい!』
『あれがしてみたい!』
などの希望を抱いても反射的に
『そんなの無理に決まってる。』
『そんな無駄なことしたって意味ない。』
など否定の意思が同時に湧くので、その度に
『自分の希望を抱くことすらままならないこんな人生、生きてるの辛い!嫌!』
と、いう感覚に陥る訳です。
と、言っても↑ここまで分析も済んでいるので、
『あとはもう、反射的に否定の念が湧かない自分になるまで、否定を否定し続けてればそれで良いんだ!』
と考え、否定の意思に対して
『うるせー、黙れ!お前と違って無理ちゃうわ!』
などと、応戦し続けてきていました。
ところが、ここ最近は応戦してもしても、否定の念が強く湧き、ちょっと油断するとすぐに
『もう、生きていたくない。』
と、頭に湧いてきていたので、かなり不快感を引きずっていたのです。
この1ヶ月の間に、自殺プランを何度か立てました。
(立ててる内に、実行するのがめんどくさくなって、実行には至りませんでした。)
そんなこんなで一昨日にようやっと、
『そうか!『人生を切り替えるぞ!』って明確に決意すれば、それで良いんだ!』
と思い出せたのでした。
以前も昨日も書きましたが、何かしら
『○○したい!』
『□□な未来になって欲しい!』
と希望が湧いたときは
『○○する!』
『□□な未来にする!』
など、決意するだけで、それらが叶う人生のルートに乗れてしまいます。
方法や行動の手順などは一切考えず、宇宙に丸投げしてしまって構わないのです。
私たちがすべきことは、意図を明確にして決意する、それだけです。
ただし、いつ叶うとか、どんな方法で叶うかまでは指定も把握もできない場合がほとんどなので、宇宙に丸投げしてからある程度辛抱が必要になることから、ちょっと精神的には楽じゃない部分もあるかもしれませんが。
こういう、引き寄せの法則の本質を掴んでいたにも拘わらず、私は
『もう生きていたくない…。』
と感じ始めたら
『だから、△△して、次に●●の方法で☆☆して……。』
と、何かしらの方法論を持ち出してきては自力で解決しようとする癖が抜けておらず、ずっと
『そんな方法ではダメだ!』
『おい、否定してんじゃねぇよ!』
『▲▲して…◇◇に…』
『そんなのできないでしょ?』
『だから、否定から入ったら話は始まらんやろ!』
と、無益な自問自答で苦しい時間を貪っていたのです。
本当に長いことグルグルし続けて、不意に
『もう、めんどくせー!いっそ自殺してしまえば良いんじゃね!?』
と、吹っ切れた瞬間
『あれ?ちょっと待って…。死ぬ気になるのなら、死んだ気になって、本気で人生リセットしてみても良いんじゃない?あ!!!そうじゃん!「リセットするぞ!」って決意さえしちゃえば、方法とか流れは宇宙が用意してくれるじゃん!私が頭を悩ませる必要なんて無いじゃん!!!』
といった感じで、あっさり自殺願望が消えていきました。
今回のは本当にトラップでした。
いつもは、
『はいはい、ネガティブおつおつ。私は相手しないよ。』
と、突っぱねて無視することが大事だったのに、今回は
『よっしゃ分かった、死んでやる!』
と、"受け止めてから吹っ切れて"やっと頭の中のグルグルが収まったので、対応がいつもの逆のような感じだったことが、なかなか私のメンタルを快復させられる方法を見付け出せない原因だったようです。
今回、
『なるほどね…。「決意しなさいよ~。」っていうお知らせのために、しつこく嫌な感情を引っ張り出してきてたのか…。』
と、いう点が妙に腑に落ちたのです。
それで、改めて、
『やっぱり、感情が大きく動くときって、気付くべき何かがあるときなんだなぁ。』
って、確信が強まったのに加え、
『けど、激しい感情の揺れによって気付くべき何かって、癒すべき"傷"っていう訳でもないんだなぁ。』
と、いう点にも改めて確信を得ました。
良い流れに乗せるために、嫌な意識を繰り返し感じさせられてたんだなぁ、と。
更に、今回の経験を経て、やっと、
『そうか、別に私(人間)の頭で方法を考えたりプランニングすることはもう、手放して良いんだ。私(人間)がやるべきことは、意志の決定なんだ。目的のピントを合わせるだけなんだ。』
って、風の時代の生き方を習得できたように感じました。
決意さえしてしまえば、後は目の前に降りてきたタスクをこなしていくだけで、理想の自分へと運ばれる。
今までは、頭で仕組みを理解しつつも体得できてなかった感覚だったのですが、今回、体得できたんじゃないかと思います。
私、多分もう何でも引き寄せられる気がする。
前にも例えたけど、嫌な感情や、物事に出会ってしまうときって、RPGの"それ以上進めない(データが作られてない)道"に差し掛かったときみたいなものなんだと思います。
踵を返して違う方向に向かわないといけません。
自力でどうすることも、考えることすらもできないような何かにぶつかってしまったときは、とにかく意識を全く別の方向に切り替えなきゃいけないのですが、どういう方向性の意識に切り替えれば嫌な感覚が消滅してくれるのか、見誤ると今回の私のように長時間モヤモヤを引きずることになります。
なので、自分の中に生まれる嫌な感覚の原因が何であるのか、見極めるのが早い方が楽に生きやすいのでしょう。
私、【目覚めた人】って、常に高次元の意識のまま人間として生きるから、いちいち人間らしい感情に振り回されることって全く無くなると思ってたんですよ。
実際、私も感情の触れ幅は昔よりかなり減って、昔とは非にならない位精神的に苦しまなくて済むようになりました。
ですが、今回色々気付いたことで、
『んー…。どんな人であっても、嫌な感覚が完全に消えることは無い(何かしらに差し掛かったときは嫌な感覚は必ず湧く)のかもしれない…?』
というような気がしました。
人による部分は大きいでしょうが、私の場合は、完全に目覚めきったところで一切悩まなくなる訳でもないのかもしれなません…。もしそうなのであれば、せめて
『もう、生きてるのが嫌だ。』
っていう種類の悩みではない、別の類いの嫌な感覚で対峙したいんですよね…。
もしかしたら、
『生きてるのが嫌だ、人生捨てたい、こんな世界にいたくない!』
辺りの感情を解消させるには、まだ私の中に解かなければいけない謎、消すべき不要なプログラムが残ってるだけかもしれません。
何であれ、『生まれてくるんじゃなかった』系の感情は、苦しいから、感じなくて済むようになりたいです。
肉体(遺伝子)の自分
量子(意識)の自分
これら2種類の自分の差が無くなることが差取り、悟りです。
ギャップがある内は、その差が苦しいものです。
早くこれらの差を生んでる箇所のデータを書き換えてしまいたいものです。