パクる人
私的に
『他者のアイディアを盗んでおいて、それをさも「自分が開発したんです!」のように発表し、その盗んだアイディアを使ってお金儲けする人って、どんだけ面の皮厚いんや😦コイツ、倫理観バグり過ぎやろ🙁』
と、思ってしまう派です。
ですが、
『あー、そうか。平気でパクって、自分のアイディアとして打ち出しちゃう人って、『自分が他者のアイディアをパクってる。』ってことに気付いてない人がほとんどなんやな。』
って、解りました。前にも〖犯罪とスピリチュアル〗って記事で同じようなことに触れましたが、
『物品に限らず、アイディアを盗んでいる人においても、自分が盗みを働いてるっていうことが分からないんだ…😕』
って、気付いたのです。
私がアメブロでブログを書いていた頃からも、スピリチュアルに関心があるらしき人たちからよくフォローをされたり、【いいね👍】して貰っていました。
だから、どこかしらのスピリチュアル系のコミュニティなんかで私のブログの話題について語られていたこともあったかもしれません。直接ではなくても、間接的に私が書き込んだキーワードが広まってた可能性もあります。
ですが、とあるYouTuberさんが、明らかに私が使ってた私オリジナルの造語を使って話しているのを目撃したことがあって、何か
『うわぁ…。』
って思った経験があるんですよね。その人に言葉をパクられた疑惑強めです笑
まぁ、何に対しても証拠もありませんし、偶然の可能性だってありますよ。絶対にその人がパクったとは限らないのですが、前々からその人のチャンネルを視聴する度に
『あー、この人、自分が無いんだなぁ。』
って、節々に感じた経験があったので、
『まぁ、十中八九、この人私の記事読んだな。』
って、思ってました笑
私の場合、ただの言葉だし、別にお金も絡んでないし、昔からよく私が使ってる言葉が流行りやすかったりもしたから、怒るような出来事では全然無かったのですが、色々とモヤモヤはしてたんですよね。
「自分はスピリチュアリストです!」
って堂々と発言してる人程、自分が無い人多いですよね。
と、私は前々から思うことが多かったんですよ。
有名なスピリチュアリストさんや、有名な芸能人、誰かを意識して真似してるのがモロ分かりだったり、それこそ
【いかにもスピリチュアリストが言ってそうな言葉】
を多用してたりして、見てて不思議だったんですよね。
『いやぁ…。面白い位に他人のコピーじゃん。それって、自分のスピリットに繋がってないじゃん。あからさまな矛盾を演出してて、何で気付かないんだろ?』
って。
ですが、その辺の疑問への答えも、何となく分かった気がします。
前にも書いた通り、スピリチュアルが得意ということは、自分と他者の境界線への認識が弱い可能性も高いんですよ。だから、他者のアイディアと自分のアイディアの違いを認識する力が弱い人も、一部にはいるのでしょう。
また、一説によれば、
「0から1を生み出すことができる人にとっては、0から1を生み出すのが当たり前だけど、0から1を生み出せない人にとっては、他者のアイディアを真似するのが当たり前、という感覚のため、『他者のアイディアを盗むことがおかしいことなんだ。』と、いうことが分からないようです。」
なのだそうです。似たような説明をされている人を何人か見掛けました。
それらを読んでいて私も
『なるほどなぁ🧐💡確かにそれはあるだろうな😮』
って、結構腑に落ちたんですよね。
そりゃあ、自宅で粉からパンを作って焼けない人にとっては
「既に焼かれたパンをお店から買って来ることは当たり前の行動でしょ?」
と言うのと同じように、自分の外に既にあった物を自分の物にすることに疑問は湧かないのでしょう。まぁ、納得です。
問題は、パンを買うときはしっかり対価を支払うけど、アイディアをパクることに関しては対価を支払っていないという点でしょうね。
ここで論点になるのは、
果たして、他者のアイディアをパクる人は
自分が
『他者のアイディアを貰っている。』
という認識を持っている
のでしょうか?
と、いう部分でしょうね。勿論それは人によるとは思います。
他者からアイディアを貰っていることにすらまだ気付けていない人は
『自分は他者のアイディアを貰って(盗んで)しまってるんだ。』
と、いう点に気付いた方が良いですね。
他者からアイディアを貰って(盗んで)いることが分かっていながらやってる人は
『世の中には、0から1を自分の力で生み出す人がいて、その人たちは他の人のアイディアを貰う(盗む)ようなことはしないんだ。』
と、いう点に気付いた方が良いですね。
他者が存在する世界で生きるのであれば、これらのことに気付くことは大事です。
もし、
「世界には自分しかいない、ワンネスの世界観の中で生き続けるから良いんだ。」
と、言うのであれば、上記のポイントには気付かなくて良いのだと思います。その代わり、
『(アイディアをパクったことによって)周りから人が去ってしまってもそれは当然のことだよね。自分が『この世には自分しかいない。』って決めてる訳だし。』
と、自分の行動への結果は受け止める必要はあります。その結果を受け止める覚悟が無いのであれば、「他の人=自分、なのだから、アイディアを貰ったって良いんだよ😚」
とは言えないのだと、理解しておいた方が良いですよ。
[アイディアを真似する]
というのは、
[持ち物を真似する]
ような単純なこととは全く異なるんですよ。
と、いう点も理解した方が良いと思います。まぁ、上記の説明が理解できない人にはこの部分の話は通じないとは思うんですけどね。
0から1を生み出せない人が、
『自分は0から1を生み出すことができてないんだ。』
と、どの程度理解できているのかは分かりませんが、
『自分ができないということは、0から1を生み出すのは簡単なことではないんだ。』
と、認識し直すことは不可能ではないはずです。
『自分ができもしない【0から1を生み出す行為】をできてる人には、敬意を払うのが当然だよね。』
という風に考えられないといけないのではないでしょうか。
『【自分ができないこと】をできている人というのは、できるように精進した人なんだな。』
と、認識を改めれば、『他の人のアイディアをサクッと貰っちゃえば良いから~☆』
などと、軽々しく考えられなくなると思うのですが…どうなのでしょう?
例えば、ブランド物の可愛いバッグを持ってる人がいたとしますよね。その人のバッグを見るまで、世の中にそんな可愛いバッグが存在してることを知らなかった状態です。
知らなかった状態から、他者の持ち物を見てその物の存在を知り、自分も真似して買う。
この行為自体にはさほど問題はありません。(真似されることを不快に感じる人も沢山いるので、やり過ぎは良くないとは思います。)
ところが、他者が生み出したアイディアは、生み出した人の精進、魂が詰まってるんですよね。先程書いた通り、
『0から1を生み出すことができない、と、いうことは、0から1を生み出すのは難しい。』
訳ですよ。その『難しい』を乗り越えてこの世に形として表している物なので、他者が軽々しく扱って良い代物ではないのです。
0から1を生み出した人は、ブランドとしてそれを世に発表していないかもしれません。もしかすると、『0から1を一所懸命に練り続けた。』という精進の部分を一切表に出してはいないかもしれません。それでも精魂詰まった作品なんですよ。
そんな、価値ある作品に対して対価も支払わずに勝手に黙って真似しても良いと思いますか?
一度、じっくりと考え直してみると良いと思います。
とは言いつつ。恐らくこの話を読むのは
『パクられて、嫌な思いをしたことがある😭』
側の人の方が多いはずです。
パクられて辛い経験をした人はひとまず、
『そうか。パクる人の倫理観の問題じゃなくて、能力の問題だったのか…。』
と、いう点について理解すると、かなり溜飲が下がると思うので、少し考えてみてください。
「許してあげましょう。」
なんて甘っちょろいことは私は一切言いませんが、
「『何で頑張った側が踏み台にされて、盗人側が良い思いしなきゃいけないんだ💢』
などと、怒りのエネルギーを向けてあげる必要はありませんよ。あなたのために、精神性の低い人のことなんて、考え続けるのは止めてみませんか?」
と、いう点は伝えたいですね。
悔しいですが、こちらが大人になるしか無い部分があるんですよ。パクってしまう人は、理解する準備ができていない人なのです。
気付ける人だけが、気付いた時から先へ先へと進んでいくしかないんですよね。
(私はそれ、めっちゃ理不尽でムカつく気もするんですけどね!不毛なことにエネルギーを割くのは自分のためにならないので、ここは一旦耐えましょう。)
今後、パクられないようにするためには、
[自分のアイディア(作品)に対して、自分がしっかり価値を見出す]
っていうことを心掛けることが大切になります。
どうしても、日本のへりくだる文化、謙遜する文化の影響を強く受けて、
『私なんて…。』
『私の作品なんて…。』
などと、考えてしまいやすいかもしれません。ですが、その謙遜する想念こそが、【自分の作品を軽々しく扱う人】を周りに引き寄せ、呼び集めてしまっているのだという点を学ぶことはとても大事です。
『自分のアイディア(作品)を自分が丁重に扱うことで、それらを丁重に扱ってくれる他者が周りに現れてくれるんだ。』
と、認識を変更することで、かつての苦い経験が昇華される流れになるのです。
悔しい思い出は簡単には消えないかもしれませんが、ここはグッと堪えて【これから】に意識を向け、自分のアイディア(作品)に堂々と誇りを持てるよう、自分を育てていくことに注力した方が吉となります。
物凄い偏見の話をしますが、私もハンドメイドが好きなので複雑な心境なのですが、
『ハンドメイド作品の売り買いしてる人って、侘しい人多いよなぁ。』
って、イメージがあるんですよ。
何となくそんな気がしてただけだったのですが、どうやら本当に
「現実問題、パクり作品を自分の物として発表するハンドメイド作家は多い。」
という側面が一部あるようですね。
鶏が先か卵が先か…この辺の問題の根本も、
『他人の作品位、パクっちゃえばいーんだよ🥰』
と、お花畑だから、大成しないんですよ。率直に言えば貧乏臭さがついて回ってるし、安っぽい作品しか作れないんですよ。そして現実的に貧乏な人は他者のアイディアをパクってでもお金が欲しいと執着を繰り返し続けるんです。
と、私は思ってます。私は個人で作るのが好きなだけで、ハンドメイドの市場について全く知識はないのですが、なーんか、販売されているハンドメイド作品類をネット上で見て
『うーん…私は同じように販売とかをしたくないなぁ😰』
と感じており、そう感じてしまう根源も垣間見た気分です。
ただ、これは私自身への戒めの部分も強くて、
『そうだよね。自分のアイディア(作品)の品位を落とすような意識を手放していかないとダメだよね。』
と、改めて自分(のアイディアとか作品とか)との向き合い方について、真剣に見直す必要があるんだと、教訓を覚えるのでした。
最近本当に、
『自分からは逃げられないんだな(  ̄- ̄)』
って、考えさせられること多いんですよね。
当人が気付くかどうかは別として、パクる人には相応の天罰が返ってるように思います。天罰というか、
『そっちの道は違いますよ。』
というサインは出てるはずなんですよね。くどいけど、当人が気付くかどうかは別の話として、ね。
だから、この話が上手い具合にパクる側の人に届いて、
『これから、改めなければなぁ。』
と思って貰えた方が、パクる側の人のためだと思うんですよ。まぁ、好きにしてれば良いとも思ってますけど。
それよりも、パクられて苦い思いを経験したことがある人に、
「しっぺ返しは天に任せて、ご自身に向き直ってあげてくださいね!」
っていう部分が強く伝わったら嬉しいです。踏み台にされた人が報われて欲しいし、自分の作品と真摯に向き合ってる人で溢れてる世の中になって欲しい思いもあって、本当の意味でのアート活動が活発になりますように、祈っています。
私も自分(の作品とか)としっかり向き合っていこうと思います。
目先のお金や名声しか見えてないような人たちに荒らされることなく、真の豊さを得られる人が増えますように。
心の豊かさが循環する世の中になりますように。