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犯罪とスピリチュアル



{2023.09.14の記事}

やっと欠けていた歯に詰め物(仮)が入りました!

しかも詰め物水色なんですけど!

めっちゃ可愛いとか思えて●>∀<

何なら本詰めも色付いたらいーのに!
(※付きません)
って思ってしまいました☆


今日はタイトルの割にスピリチュアルあんまり関係ありません。

できれば色んな方に読んでみていただきたいので、変に拒否感持たず目を通してみていただくと良いと思います◎

 

今日の話のキーポイント

【自分軸】
【他人軸】

という概念が何となくでもわかっていて欲しいので、サクッと先に書いておきます。

過去に何度も書いてきてる内容なのでザックリまとめますが、
【自分軸】
とは自分がどう思うかを主軸に考えて発言・行動すること

例)久しぶりに会った友達がふっくらしていて顔がパンパンになっているのが面白かったので「顔まん丸じゃん!」と笑う

【他人軸】
とは他者がどう思うかを主軸に考えて発言・行動すること

例)久しぶりに会った友達がふっくらしていて顔がパンパンになっているのを見て「食べ過ぎて太ったのかな?それとも病気?触れたら相手は嫌がるかな?」と相手の様子を伺ってとりあえず触れないでおく

とても極端に説明しましたが、
【自分軸での考え方】

【他人軸での考え方】
はかなり異なるため、その後の発言や行動も大きく変わります。


私は、勿論全員とは言いませんが、【犯罪者になるタイプ】は【自分軸でしか考えられないタイプ】が多いように思います。

『自分がこの行動をすることによって、他者にどんな影響が生じるだろう…?』と考えられるなら、犯罪に至りにくくなる人が大半でしょうし、考えた上で『それでもやるけど。』となってしまうのはサイコキラー的な、本当に極端な精神の持ち主なのではないでしょうか。


まず、安心して欲しいのですが、ニュースなどでは犯罪者ばかりが頻繁に取り上げられるので
『日本の治安がどんどん悪く…。』などと感じてしまいやすいかもしれません。

しかし、マイナー側がピックアップされて目立っているだけで、過半数の人は節度ある行動ができています。

だから私たちは毎日、至極普通の生活をボケーっとしながらでも送れているのだという点は留めておきましょう。

これから書く話は、あくまで一部の話であるということです。

あくまで一部ではありますが、理解しておくことが必要だということです。


さて、私はアパレル等のショップ店員経験があります。

物品を販売する企業では、万引きの被害に遇うことも少なくありません。

私自身、何度か万引きを目撃したことがあるのですが、[人件費削減目的のワンオペという状況]から警備員さんなどに連絡したりなどの対処ができず、見逃した経験ばかりです。

その他にも、飲食店でのバイト時代に
【お店の備品なのか、サービス品なのか、ちょっと判断しづらいかもしれない】
という何とも言い難い備品を、勝手に持ち帰られた経験もあります。

こういう経験があるので、
【お店や施設の備品を持ち帰ってしまう人】
がまぁまぁ存在しているのも何となく分かるんです。


悲しいですが、ほとんどの人は良客(普通のお客様)なのに、
[確実に一部犯罪者が紛れていて対処に困っている店舗や施設が多い]
という事実を見聞きしても、驚きはしないんですよね…。

更に、
『これは持ち帰っても良いんだろうか?』と疑う発想にすら至らない人がいるのも想像できてしまうんですよ。


大抵の人は
『これは…備品だろうか?サービス品だろうか?』と迷ったら店員に確認します。

多くは、
[迷ったら聞く、聞くのが嫌ならまず持ち帰らない]
と、なるでしょう。

ところが、

『自分に提供されてる物=全部持って帰っても良い。』

位に思っている人が一定数いるのです。

こういう人達は本気で
『これは持ち帰っても良いんだろうか?』などという発想にすら至りません。

自分に提供された物に対して、それが
貸し出しサービスとして提供された物】なのか、
使いきる(使わずに持ち帰っても問題のない)目的で提供された物】なのか、
『どっちだろう?』迷いすらしない人はいます。


万引きや、備品を持ち帰るという行為
これらは窃盗罪です。

【万引きや、備品を持ち帰る行為】
を見て
『モラルが…。』
『マナーが…。』
と、考える人も多いとは思いますが、私は窃盗罪の多くは精神疾患が絡んでいると思うんです。

精神疾患…と表現すると語弊を生みやすいのかもしれませんが、

[自分と他者の境界線が理解しにくい人が窃盗を働きやすい]

という点にはもっと目を向けるべきです。

スピリチュアル業界でよく言われる
【ワンネス】
という概念。

一言で言い表すなら
『全ては1つである。』といった風な解釈なのですが、このワンネスの感覚が強すぎて
『自分と他者の境界線がよく分からない。』 という人が一定数いるのは確かです。

自分と他者の境界線が分かりづらく、自分の物と他人の物の区別もつきにくいのです。

それによって、
[人から借りた物にもかかわらず借りた相手に許可なく売ったり捨てたり又貸ししたり…]
という行為を平気でしてしまうケースもあります。

人それぞれ程度の差もあれば、物によって、境界線が分かる場合と分からない場合があるタイプもいるでしょう。

とにかく、
『自分(自分の所有物)と他者(他者の所有物)との境界線が分かりづらい。』という人は一定数いるし、その程度によっては『精神疾患』とハッキリ診断される場合もあり得ます。


窃盗に関する問題は、モラルやマナー以前のもう少し根深い精神的な部分にアプローチをかけていかなければ、一向に解決しないのではないでしょうか。

窃盗罪以外にも、以前の記事でも触れたように
『短いスカートを履くのは俺に見せるためなんだろ?』という思考も自分軸の意識が強く、行き過ぎた場合は痴漢、不同意わいせつ罪や強制わいせつ罪…となる可能性を孕んでいます。

その他にも、事故、迷惑行為、悪質クレーム、暴言…
と【自分軸の意識が強過ぎることによって発生してしまっている問題】が世間には山ほど溢れています。


また、他人軸があまり分からない子供の時期に
「他人に迷惑をかけるな!」
というような、フワッとした内容ながらも強い怒られ方を繰り返し受けた人は、心の歪み偏った思い込みを抱えたまま大人になるので毒親にもなりやすいです。


このように
【自分軸しか分からない、他人軸が全く分からない人】
ばかりになってしまうと、社会の秩序はかなり乱れてしまいます。


前々から色んな記事で書いてきたように、確かに日本人は【行き過ぎた他人軸の人】も多く、他人軸で物事を考え過ぎるから苦しくなってしまっている人が多いので、
「自分軸になりましょう!」
と、よく言われます。

 それは勿論その通りです。

しかし、犯罪や問題が減らない原因の1つに
[一部の問題行動を起こしている人が他人軸という感覚を理解できていないからである]
という点を無視したままでも良いのでしょうか。

皆様はどう思いますか?


私個人は、自分軸が悪いのではなく、他人軸が悪いのでもなく、

[シチュエーションに応じて自分軸と他人軸を使い分ける考慮ができないこと]

があまり良くないのではないかと思うのです。

極論、
一人暮らしで家に自分しかいないシチュエーションなら自分軸で問題ありません。

コンビニやスーパーへの買い出し、SNSへの書き込み…など少しでも他人が絡むシチュエーションなら、多少他人軸が分かる必要があります。

もし、夫婦2人で暮らしていて、どちらも自分軸で気ままに過ごして気にならないのなら、2人とも家では自分軸のままで問題ありません。

これが、片方が他人軸で「親しき仲にも礼儀あり」をとても大事にしているようならば、2人でお互いに他人軸で気にするタイミングも必要になります。


とは言え、多くの人は本当に小さい子供の頃は他人軸が分からない場合がほとんどのはずです。

それが大人になるにつれて他人軸を何となく理解していくのでしょう。

しかし、大人になっても他人軸がよく分からないままの人もまぁまぁいます。

それなのに世の中のスピリチュアルな話の中では
「自分軸になりましょう!」
という話ばかりが多いのです。

読んでいて、何だか違和感を感じてきませんか?


他人軸がよく分かっていないまま普通に社会人として過ごしている人も沢山います。

ただ、そういう人の中には、
『○○だから□□の場合XXするべき。』
ではなく
『□□の場合はXXするべき。』としかインプットされていないようなケースが多く、こういうタイプがモラハラになりやすいです。

もっと分かりやすく書きますね。

刺身や寿司を食べる際、醤油にワサビを溶かすのはマナー違反です。

これは、ワサビを醤油に溶かしてしまうと折角のワサビの風味が損なわれてしまうので、何より食べる側にとって美味しさが損なわれてしまうデメリットになります。

加えてもう少し細かいことを言えば、
【ワサビをわざわざ別添えで提供してくれたお店側の配慮
踏みにじっていることにも値します。

では、夫婦で自宅で食事をしようとして、奥さんが
『お皿を洗いにくいの嫌だし、どうせ自分で用意してるからいっか!』と、ワサビを醤油皿の中で溶かして食べたとします。

それを見たご主人が
「おい、ワサビを醤油に溶かすな!」
と怒ったとしましょう。

奥さんは
「家でならいーじゃん!」
と笑って返します。

このとき、
『○○だから□□の場合XXするべき。』
と、マナーの存在理由をしっかり分かっているご主人であれば
「まぁ…家でやる分には構わないけど、外では恥ずかしいから絶対止めてくれよ。」
程度で話は終わります。

ところが
『□□の場合はXXするべき。』
と、マナーだけが強くインプットされているご主人だと、
「例え家だろうと、ワサビは溶かすものじゃない!」
と強く怒りがちです。

似たような話、男女逆でも起こりがちですよね。


この例えの冒頭に書いた
【ワサビをわざわざ別添えで提供してくれたお店側の配慮
という視点で考えることが全く理解できない
のが、
[自分軸しか分からない]
という状態です。

ところが、この
[自分軸しか分からない]
という概念自体を、現在ほとんどの人が知らないはずです。

なので、子供時代に
「ワサビをお醤油に溶かすのは失礼なんだよ。」
と教えられても、何が失礼なのか全く分からず
「何で?どういうこと?分からない…」
と繰り返している内に、
「とにかく何ででもワサビはお醤油に溶かしたらダメなの!」
と、強い怒られ方をしてしまうパターン、物凄いあるあるなんです。

こうして物凄く怒られた結果

『何が何でもワサビは醤油に溶かしてはいけない!』

と、頑なに頑固なモラハラが出来上がったり、
『別にマナーなんてどーでも良いじゃん。』
と、頑なにマナーを突っぱねる人になってしまったりと、
拗らせる人が増えてしまうんです…。


こうして、表面上はマナーやモラルを守っているため社会生活は普通に送っているが、
[何かの拍子にモラハラを発揮してしまう]
というタイプが男女共に存在しているのです。

そしてそのモラハラが、新たな犠牲者を生んでしまう負のループへと繋がっている訳です。


先ほど、
「多くの人は本当に小さい子供の頃は他人軸が分からない場合がほとんどのはず。」
と書いたように、子供はほぼ全員が他人軸が分からないのではないかと思います。

人それぞれに何となく他人軸という感覚が身に付くタイミングも異なると思いますが、思春期辺りから他人の目が気になると思うので、他人軸という概念に敏感になるのもその頃なのではないでしょうか。

思春期より前の
【他人軸という感覚がよく分からない時期】
にモラルやマナーをキツい口調で伝えられると、どうしても歪んだ形で頭に入りやすいので、多くの人が改めて自分が持っているモラルやマナーに対して見直せると、余計な諍いを減らせる余地が生まれます。


モラルやマナーを守ることも勿論大事なのですが、
["なぜ"そういったモラルやマナーを守ることが大事なのか]
という部分を説明できる人が増えることで、細かい争いは軽減していけるのではないでしょうか。


また、時代に合わせて、臨機応変にモラルやマナーと付き合えることも大事なことです。

[マナーに寛容な場所、シチュエーションも赦しつつ、守るべき時はしっかり守れる]

という人が増えると、平和が広がる気がしませんか?


途中にも書いた通り、確かに日本人は行き過ぎた他人軸が多いので
『自分軸になれるように心掛ける!』
ことが必要な人も多いです。

しかし、逆に
「【他人軸を学ぶ必要がある人】も存在している筈だ…。」
と、以前から書いていますよね。

その一歩手前の話として、

「"なぜ"自分軸と他人軸という概念を理解すると良いのか」

という部分をしっかり理解できる人が増えたら良いな、と思って書いてみました。

必要な人はお受け取りください。


恐らく本来ならお互い様なのでしょうけれども、私はずっと他人軸の意識が強いまま生きてきたので、【自分軸が強い人間からの言動】に振り回される経験が非常に多かったです。

冒頭の例のように心無い一言を悪びれもなく言われるのは日常茶飯事で、その言動によってかなり傷付いたり悩んだりした経験も多いです。

今になって考え直すと、この世はどうしても勝手にバランスが保たれるように働くので、私が他人軸に偏り過ぎたせいで、自分軸しか分からない人を引き寄せやすくなってしまっていたのがよく分かります。

それにしても、【自分軸しか分からない人の発言】はなかなか嫌なものが多かったです。


少しスピリチュアルっぽい解釈も混ぜますが、
自分軸が強い=宇宙意識が強い
他人軸が強い=地球意識が強い

という方程式はあながち外れていないでしょう。

しかし注意しなくてはいけないのが、

宇宙意識が強い=霊格(精神性)が高いではない
し、
地球意識が強い=霊格(精神性)が低いでもない
という部分です。

↑ここを勘違いしている人が多いように感じるのですが、霊格というか、精神性を高めようと思うのなら自分軸と他人軸のバランスを取ることは必須なんです。

両方の概念をしっかり理解しなければいけない魂は一部いますので、自分はどうなのか見極めていきましょう。


再び、窃盗の話に戻ります。

近年、
『AIが発達したことで、AIに仕事が奪われる…。』というような考えがよく囁かれていますよね。

中でも
「レジ業務が一番、AIに取って変わられやすいのでは…?」
という話を私はよく耳にしましたが、私はレジ業務こそコミュニケーションを取れる人間が行わないといけない店の方が多いイメージしかありません。

エリアにもよるかもしれませんが、
『店員にすぐ聞く人間の数をナメてはいけない!』と思ってしまうんですよね…。

その上で、レジ業務ではなく、お店の商品や備品を勝手に持ち出せないようなシステムの部分にAI(コンピュータ類)を取り入れる方が遥かに多くの人の役に立つのではないかと考えています。

一部のアパレルショップでは防犯タグが付いたまま店外に出ようとすればブザーが鳴る仕組みになっていますが、ホテルやスパ、その他宿泊施設等に似たようなシステムを取り入れ、備品の盗難を防ぐように努める方が、人とAIの業務の住み分けが上手く成せると思うのです。


そして、窃盗を働いてしまう人間が一度捕まった際に、商品の代金の弁償は当然として、罰金よりも、

【必ずメンタルヘルス系の病院やカウンセリングへの通院の義務付け】

という部分に強く取り組む方がとても重要なのではないかと私は思います。

まぁ窃盗に限らずなのかもしれませんが、【犯罪を犯してしまった人間】にモラルやマナーだけでなく、[社会で生きる上での精神的感覚を教育し直す]という部分にもっと力を入れることも見据えていく必要はあるはずなのです。


なかなか難しいことではあるのかもしれませんが、

[犯罪の水面下には自分軸の強さが潜んでいる]という側面もある

ってことがもう少し広まったら、多方面で悩まなくて済む人はかなり増えるだろうな…と私は考えています。

犯罪を減らすことは勿論大事なのですが、

〖被害者を減らす〗

という目的を見失わない方向で、様々な問題事が解決できる世の中になることを祈っています。

必要な人に届きますように。

おわり


おまけ
(ここからはスピリチュアル色強目)

【日本人にスピリチュアルが敬遠されやすい理由】
日本人にスピリチュアルが敬遠されがちな原因の根幹は本文の内容とリンクしてると思うんですよね。

世界の中でも特に、【他人軸】というか、【他者の目や世間体を重んじる日本文化】という中で、スピリチュアルが好き、得意な人は
「自分軸になりましょ~☆」
みたいな言葉を言いがちじゃないですか。

だけど、本文で書いたように、
『何とな~く、うっす~ら、犯罪を犯す奴って自分のことしか考えてない奴だよな…?』って感じてる人が多いからなんじゃないかなって思うんですよ。

多分みんな顕在意識でハッキリとは思ってないんでしょうけど、
『な~んか、自分のことしか考えてない奴が世の中の風紀を乱してるんだよな…?』みたいに感じてるんじゃないでしょうか。

皆様はどうですか?


因みに私は、

『宇宙意識が強い人程他人を傷付ける!』

ってガッツリ思ってます *⌒艸⌒

ゆーて、私自身もそういうタイプなんですけどね🧞


一見、相手を傷付けたり怒らせたりしてるだけなんですけど、スピリチュアル的観点で観ると
相手の余計な思い込みを炙り出したり、
その思い込みを手離させる目的だから…

っていう場合がほとんどなので、ある意味他人を傷付けたり怒らせるのは仕方ない側面があるのも事実だとは思います。

そういう概念を理解してる人にとっては
『確かに大事な存在なんだよな…。』っていう部分はちゃんと分かるんですよね。

ただ、私は
「そんな、思い込みとかを炙り出す方法が、他人に嫌な思いさせるやり方じゃなくても良くない?!
「何でわざわざ私が嫌われ役をせなあかんの?!」
って感じる、人間意識が強いので、今までの人生本当に辛かったです。


ちょっと話逸れちゃったけど、日本は古来から【陰陽五行説】を中心にしたスピリチュアルの方が強く根付いてるから、
「自分軸~……」
って偏った訴えとか思想に対して、無意識に拒否感感じる人が多いって節もあると思うんですよ。

よく考えてみてください。

平安時代の貴族が頼ってた、陰陽道の占いは【陰陽五行説】が基盤になってるんです。

794年に平安京が誕生してるので、約1200年前から日本に根付いてるのが【陰陽五行説】なんです。

陰と陽、つまり
自分軸と他人軸
必ずセットでバランスを取る
ということを心掛けないと…

って肌に染み付いてて当然だと思いませんか?


そういう中で極端な
これさえ心掛ければ~◎」
というタイプのスピリチュアルだと、無意識的に
『何か違うくない?』と感じるのは当然なんじゃないかと…。

付随して、
「これさえ心掛ければ~◎」系に群がりやすいタイプは、極端なタイプが多いので、そういう人の集まりを端から見ると余計に違和感を感じやすいのでしょう。


〖スピリチュアルに生きる〗

っていうことの本質の一部に、

[思い込みを持たない、外す]

って必須条件だと思うんですけど、スピリチュアルな話に傾倒しがちなタイプって、思い込みの激しい人が多い印象も強いんですよね…。

このギャップも、何となく違和感を生んでる要因の1つだと思います。


まぁ私個人が
『多方面でバランス取ることが大事!』って思ってるからそう感じるだけなのかもしれないですけど、だからこそ余計に
『フワフワしたスピリチュアルじゃなくて、ちゃんと理解したい!』とうっすら感じてる人に、上手く届くと信じて今日の話をお届けしました。

必要な人は参考になさってくださいね。


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