隣の芝生
{2022.07.22の記事}
[人と比べない]がテーマです。
昔から、私より良い状況の人などを見ては
『羨ましい。』
『ズルい。』
『悔しい。』
『どうして私は恵まれてないの?』
『何であの人ばっかり…。』
『私だって、欲しいのに…。』
『私の方が頑張ってるのに…。』
と、苦い思いはいーーーっぱい経験してきました。
こういう、苦い思いをしない為に、
・他人に興味を持ち過ぎない
・他人の状況のデメリット部分をチェックする
・自分の良い面を見る
などの対策を取ってきた私です。
元々私は他人にあまり興味が湧きにくい部分があったので、誰かが華やかな状況にあっても、
『ふーん。』と、流しやすかったタイプです。
ただ、この状態で居続けると
①孤立しやすい
②流行の話題についていけない
などのデメリットも生じるので、正直、他の人にはこの考え方をおすすめし難いのも事実です。
孤独感に弱い人には、絶対に向いていない考え方ですよね。
他人の華やかな状況の中の、デメリット部分もチェックすることは、酸っぱい葡萄と似ています。
だから、拗らせると、ただの僻みにしかならないので、この考え方もスマートとは言い切れませんね。
他人の華やかな状況(メリット)と、その状況に付属する弊害(デメリット)を天秤にかけ、
『自分だったらどう感じるかなぁ?』と、想像することに頭を使うので、妬ましい気持ちから気持ちが逸れるのは事実です。
でも、他の人から見たら酸っぱい葡萄にしか見られない可能性が高いので、やはり最適な考え方とは言えませんね。
自分の状況の良い面に目を向けるのは、感謝できることを見付けるという意味でも大切なことではあります。
しかし、
『自分には、この状況がピッタリ!』と現状に甘んじることで、
①自分の成長を止めるリスク
②自分の本当の感情(羨ましいなど)から目を背ける
という、弊害もあります。
『自分に嘘を全くついていないのか?』と問われると言葉に詰まります。
このように、他人の芝生が青く見えて仕方ない時の対処法が、自分の中で微妙でした。
微妙ながらも、健闘はしてきたんですよね。
私のこれまでの対処法で、良かった部分は
[自分軸に戻る]
ということはかなり出来ていた点かと思います。
他人のものを羨ましがってばかりの人というのは、他人ばかりに目を向けた[他人軸]になっている状態です。
私は、他の人が羨ましく見えた時、図らずも[自分軸に戻れるような考え方が出来ていた]とは思っています。
しかし、
『"微妙"な考え方だなぁ…。』と、いう感覚は拭えていませんでした。
その、最後のピースがハマる考え方が見付かったような気がします。
イメージの話ですが、私たちの人生を食べ物だとします。
色んな人が沢山入り交じる食堂、これが社会だとします。
自分は今、食堂で、自分が育てたプチトマトを食べています。
ふと、他の人のテーブルを見たとき、
・ある人は豪華なケーキを食べています。
・ある人は美味しそうな定食を食べています。
・ある人はアツアツのステーキを食べています。
再び自分の手元を見ると、そこには不揃いで小ぶりなプチトマトが数粒…。
この時、あなたならどんな気持ちになりますか?
他人の食べ物が、美味しそうで、羨ましくて、自分のプチトマトが情けないような気になりやすいのが、人間だと思います。
こういう、情けないような気になるのは[人と比べている]という状態です。
私が思う、出来た人間は、まず、他人のケーキや定食、ステーキを見て
『美味しそうだね、素敵な物が食べられて良かったね!』と、他人の幸せも、喜べる人です。
そして、それはそれとして、自分の手元のプチトマトに向き直ったときに、自分のプチトマトと真剣に向き合えることが大事だと思うのです。
『大きさが不揃いだな、次回大きさを揃えるにはどうしたら良いかな?』
『まだちょっと青いのが混ざってたな、収穫時期を見直そう、日当たりもチェックしよう!』
『もう少し甘くしたいな、肥料と水やりを工夫してみよう!』
自分の理想のプチトマトを収穫するためにはどうすれば良いのか、
・現状チェックと、
・育成条件の見直し、
・今のトマトへの自画自賛
などなど、自分のプチトマトに集中し直すことができる人が、出来た人間だと私は思います。
抽象的な表現になってしまいましたが、
[自分の育てたプチトマト]
は、
[これまでに自分が歩んできた人生]
です。
[自分の理想のプチトマト]
を育てようとしたとき、
・自分の理想のプチトマト像があること
・自分の理想のプチトマトに近付ける為にどんな工夫ができるのか
この2点を思い描けることが必要ですが、
・自分の理想の人生がどういうものか思い描けていること
・自分の理想の人生を歩む為に、自分ができる行動
この2点が、[理想の人生]にとって大切なことだと、解ると思います。
・自分でプチトマトを育てたこと
・プチトマトが収穫できたこと
・収穫したプチトマトを食べることができるということ
これらも忘れてはいけない、大切な要素です。
・自分が今まで生きてきた、経験があること
・経験によって得たもの
・経験を活かすことができるということ
多くの人が忘れがち、見落としがちな、人生において大切な要素です。
私たちは、プチトマトを育てることも、サツマイモを育てることも、ケーキを作ることだって、ステーキを焼くことだって、できます。
しかし、何を作って、何を食べても、[目の前の食べ物と真剣に向き合わなければ]味気ない食事しか、口にすることはできません。
人生において、色々な経験をすることも、他の人の経験を元に自分の人生に華やかさを加えることも、自分次第で何とでもできます。
しかし、自分の人生と向き合っていなければ、つまらない人生を送ることしかできません。
私はこれまで、[他人と比べない]というのは[他人のことを見過ぎないようにすること]だと考えていました。
が、加えて[自分の人生に集中する]という方向に意識を向けることも忘れてはいけないことなんだと腑に落ちたんです。
[自分の人生に集中する]と表現するととても難しい印象になりますが、要するに
・自分の意見
・自分の選択
・自分の行動
に自分で責任を持つことはとても大事なことだし、
・自分の意見があること
・自分で選択できること
・自分で行動できること
に誇りを持つことが、正しいプライドの持ち方なのかな、と解った訳です。
・自分の意見があること
・自分で選択できること
・自分で行動できること
に誇りを持つこと
この感覚が、日本人に足りないエッセンスである
という風にも感じました。
私自身、教育課程において
・自分を持ちすぎてはいけません
・空気を読んで選択しましょう
・周りを見て行動しましょう
という風に言われてきた覚えがあります。
まぁ、どの教えも守れなくて、浮きまくりの人生だったんですけどね~。
今までは、浮いてしまう自分を責めたり、かなり辛い思いをすることも多かったんですけど、
『私、実は自信持って良んじゃね?!』
って、思ったり…… *⌒艸⌒
話を戻しますが、
「人と比べないようにしましょう。」
という言葉も確かに大事なのですが、
「自分には何があるのか、確認してみましょう。」
という促しの方が、多くの日本人にとって、必要な言葉なんじゃないかと私は思います。
自分の棚卸しです。
人と比べて苦しくなってしまう人は、沢山いると思いますし、人と比べないようにするにはどうしたら良いのか知りたい人も沢山いると思います。
そんな中で、[自分の外側を見たり、見ないようにしたりする]という軸ではなく、[自分の内側を見直す]という方向に軸を戻せる人が増えたら良さそうだと思い、この話を書きました。
いつも書いていますが、
『[自分軸に戻る]とか、[自分の内側を見直す]って、どういうこと?』って言う、部分、物凄く分かりにくいですよね。
自分軸を実際に理解するには、自分で体感し、感覚を掴まないことには難しいと思います。
そんな中で、誰かがちょっとでもイメージしやすくなるように私なりの考え方を表現してみました。
誰かに伝わりますように🌠
隣の芝生が青く見えた時は、自分の芝生を七色に変えちゃえば良いんですよ🌈
芝生じゃなくて、セダム植えちゃえば良いんですよ🌵
花畑にしても良いんです🌼🌼🌼