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観察する視点



{2022.07.07の記事}

今回のお話は

と併せてお読みいただくのがおすすめの内容となっています。


【スピリチュアル】という言葉を聞いて、拒否反応を示してしまう人がいるのは当然だと思います。

私自身、元々【スピリチュアル】と聞くと、
『怖い。』
『触れてはいけない話題。』
のように感じていました。

でも、
『詳しく分かって無いくせに問答無用で拒否するのは、良くないよね!少しずつ、自分が拒否感を感じない内容から触れてみよう!』と考えて、スピリチュアルについて調べ始めたのが私の第一歩でした。

『スピリチュアルって何なんだろう?』っていう好奇心が勝った、とも言えますね。

結果、現段階の私の結論としては

『スピリチュアルの本質って、[自分の深い部分に繋がること]なんだ。』

と思っています。


しかし、巷ではやっぱり【スピリチュアル】という言葉に対するイメージはどうしてもネガティブなものが多い気もします。
・宗教っぽい
・胡散臭い
・気持ち悪い、怖い

などの印象が拭いきれないと思うんですよ。

その原因は【スピリチュアル】という言葉を用いて、考え方を悪用している人がいるのも事実だし、["凄い人"を崇めがちな人が好むものである]というのも事実だからだと思います。

何より、[視覚で捉えられない世界の話]なので、証拠や裏付けが乏しい話ばかりです。

拒否感を感じる人が多いのは当然なのではないでしょうか。


ただ、私は調べれば調べるほど、スピリチュアルは物理化学と、切っても切れない関係性があると思いましたし、
『私がもっと理系の勉強を真面目にやってたら、もっと楽しめたかもしれない…。』と感じるほど、理系向きの話が多いんですよね。

物理学でも、
・運動エネルギー
・熱エネルギー
・○○の法則

など、目に見えないものを対象に概念を学ぶじゃないですか。

お金や、魂も、要はエネルギーです。

また、宇宙の法則も色々とあるので、私に物理の知識や計算能力があれば、それらを組み立てて魔法だって使いこなせる
と、結構本気で思ってます *⌒艸⌒

まぁ、私は全然勉強してこなかったので
魔法を編み出すことは出来ないんですけど、
『ゴリゴリの理系の人が【スピリチュアル】について無知なのは、もったいなさすぎる!』って勝手に思っちゃうんですよね。

だから、どうにか理系の皆様に【スピリチュアルブーム】が生まれてくれないかなー、と思うんです〃⌒∀⌒

【スピリチュアル】というか、【宇宙の話】から入っていくと、行き着くとも思うので、先入観無しで、【見えない世界】のこと調べて欲しいなー、と、密かに願ってます。




[自分の深い部分に繋がる]ことを目的とした場合、感覚的な人は自分と繋がるのは比較的得意だと思います。

(ただし、その人の器が広いか否かで、その人の精神性の高さは違ってきますが…)

でも、世の中は感覚的な人だけじゃないですよね。

本人にその自覚があるか否かは置いておいて、感覚よりも先に本質的な仕組みを理解してからの方が実践できるようになるタイプの人もいるんですよ。

私は比較的『本質』から入った方が使いこなせるタイプです。

だから、私と同じようなタイプの人が、自分の深い部分に繋がるイメージを持ちやすくなるように、
前回の記事にまとめみた、という訳です。


[自分の深い部分に繋がる]とした際に、避けては通れないのが[自分を観察する視点に立つこと]です。

[自分を観察する視点に立つ]とは




これらの画像が示す視点に立つということです。


一般的に頭が良い、とされる人や、成功者と呼ばれるような人たちは、デフォルトで自分軸で生きています。

こういった人たちは、他者の気持ちを全く考慮していないのではなく、他者の気持ちや考え方がある程度分かった上で、自分軸で生きている人たちなのです。

俗にいう"成功する"には、この
[自分軸で物事を捉える]
ということができている必要があります。

成功した後に、人望があるか、否か、はその人の器の広さによって変わってくるのですが、[いかなる時も自分軸でいられる人]というのは、基本的に[自分の中に存在する問題だけ]に焦点を当て続けられるので、"無駄に"悩むという時間が最低限で済むのです。

"無駄に"悩む時間を極限まで削り、自分のやりたいことや、興味があることに注力できる時間が多い人が、成功しない訳がないということが、容易に想像できると思います。


[自分軸で生きる]という言葉だけを聞くと[自分勝手な振る舞いをする人]という風に感じるかもしれませんね。

確かに、自分軸の人と自己中な人の境界線は微妙なところがあります。

私が感じる、
[自分軸の人]

[自己中な人]
の違いは、先述したように
①他者の気持ちや意見がある程度分かった上で自分を貫いているか否か
と、
②自分の行動理由が、しっかり自分由来のものであるか
の2点が大きいと思います。

[自分の行動理由が、しっかり自分由来のものであるか]というのは、[他者のルールをトレースしていないか]、ということです。

詳細は以前にも記事に書きましたが改めて書くと、

例えば子供の頃に親から
「学校の帰りに買い食いしてはいけません!」
と言われて育ったとして、
[大人になってもそのルールを疑わずに他人にまでそのルールを強いていないか?]といった感じです。

ちゃんと自分軸で選択している人は、
『確かに、学校の帰りに買い食いをする癖がつくと、無駄遣いに繋がるから、良くないな。』などと、自分なりの根拠を持ってそのルールを受け継いでいたり、自分のルールをわざわざ他人にまで強いようとはしません。

しかし、自分軸に立てていない人は『親に言われたから』というだけで、自分の中でそのルールを改めて見直そうとすらせず、それが"常識"であるとさえ思い込んでいる場合もあるのです。

ザックリと説明すると、こんな風に違います。


①にしろ②にしろ、[自分の意見]と[他者の意見]を見比べた上で、自分を貫くのが、自分軸の人です。

そして、[自分の意見]や[他者の意見]の内の何かしらを完全に無視していると、自己中な人になると、私は感じています。

また、自己中な人には、[他者が自分と違う意見を持っている]という点を理解できていない人も多いので、自然と[他者の意見]を蔑ろにしがちな人も目立ちます。


あくまで私の意見ですが、[自分の深い部分と繋がるのが、スピリチュアルの本質]だと思っているので、
・自分を観察する視点
・自分軸で立つ

ことが大事だという風に書きました。

ところが、スピリチュアルに傾倒しやすい人
・自分を観察できていない
・自分軸で立てていない

人が多く、こういった人たちが目立ってしまっていることで、[スピリチュアルについて何も知らない人]が見たときに
『スピリチュアルに感心を持つ人って……。』と、引いてしまう面もあるのだと思います。


とはいっても、自分を観察する視点に立つのも、自分軸で立つのも、難しいのは私も分かっています。

だから、そういう人たちを責めたい訳ではありません。

ただ、この話では[なぜスピリチュアルが嫌われやすいのか]という部分について少し触れておきたかったので、こういう書き方をしました。


私自身、スピリチュアルに興味はありますが、学べば学ぶほど、それまで持っていた【スピリチュアル】に対するイメージが全く変わったので、
『【スピリチュアル】という言葉に対するイメージが損してるなぁ…。』という気持ちもあります。

『【スピリチュアル】という言葉ではない表現を使って、私の世界観をもっと書けたら良いな。』という思いと、
『【スピリチュアル】という言葉だけで拒否反応する人が1人でも減ったら良いな。』という思いが先行して、今回の話になりました。


今日はここまでにしますが、今後、もうちょっと[現実世界]と[目に見えない世界]を融合させていく話が書けるようにしていこうと思ってます。

視点を高める話から順に全て読んでくださった皆様、ありがとうございました。

お疲れ様でした。

良い1日をお過ごしください。


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