努力信仰とサンクコスト
昨日のクリィミーマミからすっかりマミちゃんモードで気付いたらずっとびんかんるーじゅ歌ってる笑しかも、1番しかわかんないからエンドレス *⌒艸⌒
クリィミーマミのクの字も知らなかった癖にハマり過ぎた笑マミちゃんになりたい!
今日のお話は、
『新しい時代の感覚に切り替わっていきたい!』
と感じている人を全力プッシュする内容になります。
なので、
『努力は絶対に必要!』
『努力しなければいけない!』
と強固に考えている人には向かない話なのでご注意くださいね。
と、前置きしつつ、私も実は
『人生では努力が必要なフェーズはある。』
『頑張らなければならないタイミングもある。』
と、考えているタイプなんですよ。
これまた絶妙な話になるので、細かく書いていきますね。
何度も何度も繰り返してる話ですが、まずは言霊の話から。
これからは【苦労】や【努力】という言葉の使用を止めて、【精進】という言葉を使うことをおすすめします。
解説は🔻こちらの記事🔻
に書いてあるので、必要な人はご活用ください。
「自分の力で頑張って、成果を得るんだ!」
と、踏ん張りが必要なタイミングって、人生のどこかで絶対にあると思うんですよ。そういうときに使う言葉として、「努力する!」「苦労する!」
ではなく
「精進する!」
使ってみてくださいね。先ほどは伝わりやすいようにあえて努力と表現しましたが、大切なのは精進の方です。
是非ともご自身の踏ん張りを実らせてくださいね。
さて、そんな【精進すべきタイミング】というものが何故存在しているのか。
これも🔻こちらの記事🔻
の内容とリンクするのですが、
【できない自分】
から
【できた自分】
へと、
[無理矢理(自力で)乗り越える]
という行動を行うことで、魔法が使えるようになるんですよね。
ちょっとフワっとした言い方過ぎましたが、
[自分のコンフォートゾーンを無理矢理乗り越える]
という行動に成功したとき、私たちのエネルギーって物凄い広がるんですよ。
自分から発せられてるエネルギーが拡張されることで、考え方やできること、自分の可能性などなど、自分が存在している空間と自分との境界線の範囲が広がるから、動ける幅が物凄く増えるということですね。
一般的な概念の言葉にすると
「人間として一皮剥ける。」
という表現になります。
これをもっと具体的な表現にすると、自分が持っているスキルや思想、場合によってはヴィジュアルなんかが洗練される、ということですね。
どの表現でキャッチしていただいても構いませんが、簡単に言うと、
[自分のコンフォートゾーンから自力で抜けるという行為に成功することで、自分のあらゆる可能性を増やせる]
ことになるんですよ。
できることの幅が増えるとか、考え方の幅が広がるとか、自分が干渉できる物事人…色々なものが増やせる訳です。
自分のコンフォートゾーンが広がることで、その分自分が楽しめる範囲が広がる。より、広い範囲、可能性の中で動いたり、考えたりできた方が人生を楽しめるじゃないですか。
だから、
[自力で頑張って自分を無理矢理拡張させる]
っていうタイミングを経験しておくと、人生における活動範囲を物凄く増やせるんですね。
目に見えない世界の解釈で書くなら、あらゆる天界の存在や自分の中の神様は、私たちに、
『より広範囲で人生(地球)を楽しんで欲しい!』
と願っているので、【自分のコンフォートゾーンを抜ける経験を沢山する人】をより応援したりご褒美をくれたりするんです。
ここで、冒頭の【努力】や【苦労】の話になるのですが、これまでの時代は
「努力が大事!」
「苦労が大事!」
などと、頑張っても頑張ってもその頑張りを搾取されるだけで実になりにくい時代でした。
これからの時代は正しい頑張り方をすればすんなり実になりやすい世の中になるのです。
正しい頑張り方、と言っても、自分にとっては『頑張ってること。』だなんて感じない活動の事柄が多いかもしれません。
興味・関心を持って取り組む事柄全てが精進していることになるので、楽しく活動していたつもりが、気付いたら物凄く頑張れていた…という流れを辿るのです。
2024年の現代ではまだ
「努力しなさい!」
「苦労は買ってでもしろ!」
と、強く訴える人もいるかもしれません。
こういう人たちが努力信仰を止めないのは、
『「努力は必要ない。」ということを認めてしまったら、自分がこれまでしてきた努力が無駄だったということになる、そんな自分の過去の頑張りを否定したくない!』
という深層心理を抱えているケースが多いです。
また、
『自分があんなに苦労したんだから、他の奴も自分と同じ位苦労しなければ割に合わない!』
と、他人に苦労を押し付ける人も中にはいます。
このような人たちは、自覚していない部分での思い込みが強固なので言い方や態度も強固になりがちです。
過去の努力=埋没費用
なんですよね。しつこく私が唱えたように、【努力】や【苦労】だと利益回収できないんですよ。
その部分に気付けないから、既に倒産した会社から
「過去に自分が投資した資金を返せー!」
と訴えているのと同じことだと、気付いていない人が多いんです。
先ほども述べた通り、『過去の自分を否定したくない。』というメンタル部分にも抵触してしまっているので、そう易々とこの部分を認められない人も多いと思います。
もし、上記のような頑なな努力信仰の人に出会ってしまったら
「そーですねー。」
と、軽く流しておいて良いのです。
これからの時代は【努力】や【苦労】は無くして良いのだと断言します。
もし、これまでの時代の努力信仰をうるさく唱える人に出会ったときは、
「では、努力してみますので、誰がいつ、何をどのように努力したら良いか、具体的にご説明いただいてよろしいでしょうか?また、それらに取り組んだことで得られるメリット、取り組むことによって失うもののリスク、具体的にご説明お願いします!」
なんて、メモとペンを持って食い気味に返してみると、なかなか面白いことになると思うので、誰かやってみてください *⌒艸⌒
やってみたときは結果を教えてね笑
この話を皆さんに伝えているということは、私自身も努力した経験、努力によって何かを得た経験、がある訳なんですけど、だからと言って私個人的には
「確かに頑張ることが必要なタイミングはある。」
とは思うのですが、頑張ってない人を見て
『羨ましいなぁ。』
『ずるいなぁ。』
って思うことはあっても「お前らも頑張れや!」
とはならないんですよ。
とか、もうちょっと違う形だと
『この人…ちょっとがんばったら変わるのに、何で頑張らないんだろ?』
って感じる人もたまにいます。それでも、「努力せぇよ!」
ともならないんですよね。
他人が頑張らないことは私の損益にはならないからなんですよね。
ただ、私の経験上で私が腹立ってたのは、私は"頑張って"自分のキャパを広げてきてただけなのに
「元々できる奴はできない人間を助けるべき!」
みたいに、【私の影の頑張り】を見ようともしない癖に自分への施しを求めてばっかりだった人間ですね。
そーゆー類いの人たちに対しては
『おめーが頑張れや。』
って思ってた。(言ってたかもしれない……けどそんな過去忘れた〃⌒∀⌒)
こういう色んなことをひっくるめて、
[努力(苦労)だと得るものがほとんどない]
ことも解ってて、
[精進することで自分の糧になる]
ことも解ってて、
[それらを経験するには【苦悩】でなくて良い]
ことは断言できるし、
[【楽しく】精進することが可能]
だということも知ってます。
だから、これからの新しい時代を生きる上で、『頑張ったり踏ん張ったりするタイミングが完全に無くなるか?』という点においては『完全には無くならない。』と私は思っています。
だけど、『そのときの頑張りや踏ん張りが苦しいものなのか?』という点においては『苦しさではなく、わくわく感に近い。』のではないかと考えています。現状ではね。
本当に絶妙な話だと思います。完全な結論はこうだ!って表現は私にはできない内容です。
そんな中、常に選択権を持っているのは【自分自身の心】、あなたの心であるということだけが確かなんですよね。それだけは絶対に肝に銘じておいてください。
当然、私のこの話が
『何か違和感…。』
とあなたが感じるのなら、その違和感があなたの答え、正解であるということなんです。
いつでも、あなたが創りたい世界を創るのはあなたであるということは忘れないでください。
努力が必要な世界にしたいならそれも良し。
努力が不要な世界にしたいならそれも良し。
自分が望む世界を創れば良いのです。
その上で、自分の世界を創ることに集中することがときに大事であるということも書いておきます。
自分の世界に集中する=他人に干渉しない=自分の世界観を他人に強要しない
お分かりですね。自分が創りたい世界を創るのに、他人を動かす必要が無いということです。
自分が創りたい世界をまっすぐに見据えて突き進むことこそが、あるべき精進の形なのですよ。
ここからまた、本文と関係ない話を書きます。
以前から何度か
[ブログを書いてる途中で気付きを得る]
っていう経験をしてきました。
いつもは書いてる内容にリンクした内容の気付きを得ることが多かったんですけど、今日はちょっとズレてました。
私、
『他人に言葉が届くためには、信憑性を高めるために社会的な地位や肩書きが無いとダメなんだ。』
って思い込んでたことに気付いたんです。
いや、そんな付属品無くてもあんた(私)の言葉は重いで
って気付いちゃったんですよねー笑笑笑
これも、変な話なんですけど、私昔からポロっと言った言葉が相手の真髄にブッ刺さっててしまうってことをしょっちゅう経験してたんですよ。
そのせいで、ときにめちゃめちゃ逆ギレされたり、凹ませたり落ち込ませたりもしたし、逆に相手の心のわだかまりをほどいて心を軽くしてあげたりしたこともいっぱいあったし…とにかく、
『私の言葉は鋭いから扱いに気を付けないと…。』
ってかーなーり思って生きてきてたんです。
な
の
に
『私なんかが言ったってどーせ意味なんか無いんだ。』
っていうこれまた物凄く強い思い込みも同時に抱えてて、フルスロットルでアクセルもブレーキも踏み抜いてるってゆー、カオスなことしてました。
そのことにやっと気付きました。
うあああぁぁぁ…
私さぁ、アナ雪のエルサに妙~にシンパシー感じてたんですけど、これなのかもしれない。
私の封印が解かれつつあります。
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