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「白は汚れが目立つから、止めときなさい。」

って、今になって思えば、ズボラな人間のセリフだよね。



私は、自分の中で、自分の顔に1番似合う服の色が白だと感じています。どんな色を選ぼうと、やっぱり明度では白に敵う色など無いので、結局真っ白を選びがちです。特にシャツ・ブラウス類は。

なので、私は白いトップスをよく着るのですが、だからこそ、汚れたら即効で汚れを落とします。前にも全く別の記事で書いたように、食べ物系の汚れならば食器用洗剤、血など体液系の汚れならボディソープ等を使ってお風呂場で予洗いしてから、洗濯機で普通に洗います。

なので、シミが蓄積している服なんて一着もありません。何なら、落とせない汚れが付いた服は
『これが別れのサインだな!』
と、ごみ箱に放り投げる合図と判断しているのです。



服に限らず、どんな日用品においても、白が一番、汚れたら
「ここが汚れたよ!」
とハッキリ見せてくれるので、掃除しやすいですよね。

例えばですが、ピュアホワイトの炊飯器だと、汚れたらすぐ分かるし、拭けば綺麗になったこともすぐに分かりやすいです。

ところが、これがちょっとでもアイボリーになってしまうだけで、一気に汚れが分かりにくい、拭いても拭けたか分かりにくくなる素材のもの、結構ありませんか?"台所に常設される系の家電"は、絶対に
『アイボリーが一番最悪だ!』
と私は思っています笑気化した油汚れによる黄ばみなのか、元々の色なのか分からないし、拭いても拭いても納得の得られない仕上がりにしかならない気がして、私個人は台所用の家電にアイボリーをチョイスするのは本当に嫌いです。

薄いピンクなどであればまだ、汚れか元の色かは判別はできますし、黒なんかでも何気に拭けてるのか、拭けてないのか判別はしやすいですよね。

まぁ…台所には極力家電を常設しないことが一番私の好みなんで、関係ないっちゃ関係ない話なんですけど。



そんな風に、私は
『真っ白が一番手入れしやすいなぁ。』
と思ってたんです。頑固な汚れを取ろうとしたときでも、漂白剤も普通に使えるんですよ。便利過ぎる。

な・の・に!

私の頭の片隅には
「白は汚れが目立つから、止めときなさい。」
っていう呪いの言葉がしょっちゅう響いてたことに気付きました。何なら、響いてたことにも気付いてなかったんですけど、ほんのり私の選択を邪魔されてたんですよ。

どういう具合かというと、例えば、私が洋服を買おうとするじゃないですか。白を選ぼうとした瞬間、頭の中に
「白は汚れが目立つから、止めときなさい。」
って言葉が響くんです。多分、母親の声がメインなんですけど、母親だけじゃない、複数人のおばさんたちからの助言なのだと思います。

それで、見た瞬間
『白にしよ!』
と思っていたはずが、一瞬、
『うーん…別の色にする…?』
と検討する無駄な時間が発生して、その割に結局
『いや、私は白が良い!白にする!』
と、やっぱり無駄な時間に終わる感じです。

服だけじゃない、どんな物であっても、白を選ぼうとすると頭の中で
「止めときなさい。」
って、足を引っ張られてたんです。



もうちょっと深い部分の話をすると、私は潜在意識の中に
『白=汚れが目立つ』
という部分がインプットされていたため、【何かしら汚れのシミが付いたままの白い服を着ている人】ばかりを引き寄せていたんです。現象化させてたんです。

そう。もし私の潜在意識の中に
『白=汚れが目立つ』
とインプットされていなければ、白い服を綺麗なままかっこよく着こなしている人ばかりが私の周りに登場してたはずなのに。

昔は潜在意識だの引き寄せだの知らなかったので、周りを見て
『あぁ、やっぱり白は汚れか目立つんだな。』
と、再確認してたんですよ。ただ、私は
『だから、白を着る場合は気を付けないとね。』
と、考えられたので、そこは自分が偉かったな、と思います。

ですが、
「白は汚れが目立つから、止めときなさい。」
という呪いのせいで、私は真っ直ぐに白を選ぶことはできていなかったし、何なら、その呪いのせいで服が汚れやすかった、まであるような気もします。

この呪い、祓いましょう。



冒頭に書いた通りなのですが、
『あ💦汚れたな💦』
と思ったら、すぐ洗うか、すぐ拭くか、
『早く何とかして汚れを取らなきゃ❕❕❕』
と、いう方向に頭を働かせるのが、【あるべき考える方向性】だと、私は考えるタイプなんですよ。私の性質はそっちが合ってるんです。

それなのに、
『汚れが目立たない色を選んでおけば、急いで対処するとかいう、面倒臭いことしなくて済むよね😁だから白を選択しなければ良い🤪』
と、いうズボラな人間の意識に引っ張られて、無駄な時間を取られてましたよ。

気付けて良かった。これからは、"私自身の"価値観で生きていきます!



またここでちょっと昭和ディスりするんですけど、本っっっ当に私の周りに現れていた昭和世代は、
『不具合が起きた場合、どう対処しよう?』
ではなくて、
『不具合が起きないように、『行動しない!』という選択をしよう!
という考え方の人間ばっかりで、うんざりしてきました。

「何かが起こったら良くないからそれをするな!」
「何かが起こったらダメだからあれもするな!」
「これもするな!」
「それもやめろ!」
って、随分無精者ばかりを沢山見てきましたが、

「そうやって自分のみならず、他者、特に自分より若い人間の行動や選択の幅を狭め続けてきた結果が、今の日本やぞ。」


と、思えてしゃーないですね。

あぁ。私は、周りに何か言われても
「それでも私はこうするんじゃ!」
って、結構頑張って抗ってきた部分もあるけど、こうして考えてみるとかなり、
「あれもダメ!」
「これもダメ!」
って、考え方とか行動を制限されてきたんやなぁ…と、また、ちょっと切なくなります。抗って、自分を通してるのに、どこか納得出来なかったのは、こういう感じで無意識に選択を譲歩してたことの方がめちゃくちゃ多かったからなんでしょうね。

他にも、【私の目の前に現れてくる選択肢】が超絶少なくなるように、周りの大人から私の潜在意識に要らんことを植え付けられてたからなんやなぁ、と、しみじみ感じます。育ちってでかいよね。

早くこの世界線と完全に縁を断ち切れますように。



最近、全く違う内容の一件にて
『私って、【自分がそれ以上考える必要が無くなる方向性に理論立てる人間】、嫌いだなぁ…。』
と感じる出来事があったのですが、今回気付いたことで点と点が線に繋がりました。

【自分がそれ以上考える必要が無くなる方向性に論理を立てる人間】
とは、例えば、
{幽霊、いるか、いないか論}
で議論する際に、
「幽霊は、見えないのだから、いないに決まっている。」
という考え方をするような人のことです。

仮にですが、
「幽霊はいない!」
と言って、
「何故なら、世の中には幻覚や幻聴といった症状が現れるケースは沢山あります。幽霊騒動の全ては、調べればきっと幽霊を目撃している全ての人間に何らかの幻覚が現れる要因の共通点が見付かるはずです!だから、この世に幽霊が存在するのではなく、幻覚等によって幽霊を見てしまうという症状に苦しめられている人が沢山存在しているだけなのです!」
という説を唱えたとすれば、それはその人の理論に則った発言だと思います。

ところが、
「自分には幽霊なんて見えないのだから、幽霊などいないのですよ。」
と訴えるような人というのは、
[世の中には、幽霊が見える、場合によっては幽霊が見えて困っている人たちが存在する]
という前提をガン無視してるんですよね。それは理論ではなくて思考停止でしかないじゃないですか。

私は、本人が何を考えなくても好きにすれば良いと思うのですが、その思考停止の人間が"他人に対して"
「だから、考えるのは止めなさい。」
「考えるあなたがおかしいのですよ。」
といったスタンスになるのはかなり赦せない気分に陥ることが多かったんです。今回の件で、
『そうか。私は【相手の行動を制限する人間】に対して嫌悪感を覚えていたし、行動だけでなく【思考すらも制限させようとする人間】のことも嫌いだとうっすら感じていたんだな。』
と、妙に納得できたのです。いつも
「意見を集約させようとする考え方、嫌い!」
と書いてきましたが、それとほぼ同じことだったんですね。

しかも、【他人の行動や思考を制限しようとしてくる人間】の8割、9割は、
『自分が知らない世界に行くことが怖い。』
と思っている人間だし、
『だから、"他人が"自分の知らない世界に行くことも怖いから、阻止したい。』
と考えている、臆病な上に迷惑なスタンスなんですよね。自分が怖いから動かない分には好きにしてれば良いけど、自分の恐怖心を刺激させないために他者の行動・思考を制限させようとするのは、まじで止めて欲しい。

でね。この手のタイプはこぞって、
『もしも、自分の知らない、新しい世界だと、どうなるだろう……?』
っていう風に想像を膨らませることすら怖がるんですよ。だから、当人もすぐ思考停止するんです。そして、
「自分は頭が悪いからさぁ。」
と、言い訳して、相手を理解しようとしない、考えようとしない、動こうとしない、挙げ句の果てに、
「考えられる人間が悪いんだよ。」
っていうスタンスになって、自分の攻撃を正当化し始めるから、私は嫌いなんだ。

あ。この手のタイプは昭和世代だけじゃなくて、ゆとりにもいます。色んな世代に蔓延してます。



少し話は逸れるんですけど、世の中には
『人から賢いと思われたい!』
って賢ぶってる人、めっちゃいっぱいいるじゃないですか。そういう人が増えれば増える程、比例して
『『自分は頭が悪い。』って言っておけば、何も動かなくても赦されるよね。』
っていう風に
【『自分は頭が悪いから。』を免罪符かのように掲げてる人間】
も増えるように感じます。

当然、圧倒的に多いのは賢ぶってる側なんですけど、質の悪いことに、
【『自分は頭が悪いから。』を免罪符かのように掲げてる人間】
の方が狡猾で、実は頭が悪くないから、この手のタイプから被害を受けてしまう人の数が凄く多いんですよね。

しかも、本当に手口が狡猾だから、
「【『自分は頭が悪いから。』を免罪符かのように掲げてる人間】の方が悪者なんです!」
っていう風に立証しにくい形で他者を攻撃することが多くて、泣き寝入りさせられてる被害者がほとんどなんじゃないでしょうか。

何気に
「自分、賢いでしょ!」
と、賢ぶってる人間に対して、
「凄い凄い、賢~い。」
と、おだてておくことで
「自分は頭が悪い側だから。」
という言い訳を言いやすい環境を確保するような人もいるもんだから、世の中、小賢しいけど賢くない奴が台頭しやすくて、そいつらよりもちょっと賢い、けど絶対に尻尾は出さない奴らから攻撃される人間も減りにくいんだよなぁ。

うん、私に見えてる世界、ディストピア!



少し前にさぁ、発言小町を笑って読めるようになったっていう話もチラッと書きましたが、その中のとある相談で、相談者がめちゃくちゃ叩かれてる内容があったんですよ。

でも、私がその相談を読んだとき、
『あぁ。これは確かに立証は難しいけど、被害者は相談者の方だな。』
ってピンときたんです。返答を書いていた人たちほぼ全員が相談者に対して
「あなた、おかしいよ。」
と書いていたし、確かに現実的に相談者が被害者であることを説明するのは難しいであろうことも分かったのですが、私には、相談者に対して見えない攻撃を仕掛けている狡猾な人間が誰なのか一発で分かりました。

迷った挙げ句、アドバイスというか、応援メッセージを書いてあげた訳ではないんですけど、この話を読んだときに
『やっぱり、見えないエネルギー攻撃を受けてるのって、私だけじゃないんだ!』
とか、
『あの狡猾な嫌がらせ人間を何とか世の中から駆逐したい!』
みたいな気分に、"ちょっとだけ"なりました笑ちょっとだけ、ね。

私はどうしても真向勝負に走りがちだから、狡猾な奴を相手にすると、
「自分は可哀想な被害者側の人間ですぅ😔」
っていう風に回られちゃって、すーぐ私が悪者に仕立て上げられちゃうんだよなぁ(  ̄- ̄)尚且つ、【【被害者ぶってる狡猾人間】の嘘を見抜けない人々】のことが理解できなさ過ぎるから、私、不利なんだよね笑保育園の頃からこの性質で苦い思いをよくしてきたぜ。未だに明確な対処法がワカンネ🤯



前々から何度も書いてますが、私は小、中学生の頃、いじめる側にもいじめられる側にも回ったことがあります。別に言い訳ではないのですが、田舎の人間なので、当番制のような形で、順繰りに誰かがいじめる側・いじめられる側、とリレー形式で回ってたんですよ。勿論、【我関せずの立場】でずっといられるタイプの人もいましたが、私はそっち側に回れませんでした。

それで、私は、確かにいじめる人間が一番悪いのはそうだと思うんです。ですが、いじめられる側も、ちょっと変わってる人間であることも間違いないとも思ってます。

[ちょっと変わってること]

『面白い個性だ。』
と取られるか
『変な人だから関わりたくない。』
と取られるか、その違いかなぁと。現代はどうか知りませんが、私が小、中学生だった頃、私の地元はまだ"村社会"の性質が非常に強く、
[周囲から浮くこと]
がかなり憚られるような地域だったため、仲間外れなんかはしょっちゅう勃発していました。

で、いじめる側の人間は、よっぽど
『他者をいじめることが悪いことなんだ。』
っていうことが分からない程に知能が低いタイプか、家庭にストレスを抱えていて、そのストレスを誰かへのいじめという形で発散しているタイプか、その複合的なタイプか、大概その辺に区分されるんですよ。私も間違いなく家庭にストレスを抱えていたため、いじめる側に回った際は結構キツいことを言ったりしてました。正直言うと、あまり反省の意がない所もあります。暴力とか、盗みとか、器物損壊など犯罪が絡むようなことはしてなかったし、私がされたことも大概だったので、
『当番制だったから、仕方なかったんだよ。』
って思うしか無いようなところもあるんですよ。

でも、いじめは、ダメ、ゼッタイ!ですからね。

社会からいじめを無くすことを考えるには、
[いじめをしてしまう人間は、心に大きなストレスを抱えている可能性がある]
っていう点を見てみぬフリをしてはいけないと私は感じる訳ですよ。それが全てではないし、いじめる側の免罪符にしてはいけないんですけど、
[いじめる側もどこか他の場所で被害者になっている可能性]
を考慮しない限り、いじめ問題の撲滅は無理だと私は思うんです。逆に言えば、その点を解決に導く方法を見付けられれば、世の中に蔓延るいじめ問題はかなり無くすことに貢献できると私は踏んでいます。

そして何故いきなりこのいじめの話をぶっ込んだかと言うと、私個人的には、
【「自分はいじめたことがありません。」
って言いながら見てみぬフリを続けてきた奴ら】

一番質が悪いと思うんですよ。

確かに、一部には
『いじめが起きてることに、全然気付かなかった😖』
っていう鈍感なタイプは存在してると思います。だけど、数が多いのは
『いじめ起きてんなぁ。関わりたくねぇなぁ。』
って、見てみぬフリを続けてきた側の人間じゃないでしょうか。

いじめられてる側からすれば、【見てみぬフリをしてる人間】も【いじめてる側の人間】であることに変わりはないのに、
「自分は人のことをいじめたことなんて、ありません!」
って、純真無垢なフリしてるんですよね。そしてこの層こそが、【『自分は頭が悪いから。』を免罪符かのように掲げてる人間】の層と大きく被ってるんですよ。(と、いう風に私は体感する経験が多かったのですよ。)



スピリチュアル好き・スピリチュアルが得意な層にもまぁまぁいますよね。スピ好きな層は"狡猾"と言える程思案してるタイプは少ないかもしれませんが、
『私は聖母マリア様😌💗』
とでも言わんばかりに、自分のことを清い存在だと信じて疑わない癖に、いじめられてる人間のことを目撃しても、絶対に助けないし、
「助けて。」
と直接言われたことがあったとしても、絶対にその記憶は都合良く消して
「えぇ💦いじめられてるなんて、気付きませんでしたぁ💦」
とか、いけしゃあしゃあと言うんです。

白々しぃねぇ。本当は意識のどこかに
『自分はズルいことをやってる。』
って自覚を持ちながら
『自分はそんな酷い存在じゃないもん。そうだ💡明らかに悪いとは言われない立場に回っちゃえば良いんだ😌💗』
って、ドス黒い腹してる癖してさぁ。

でも、何が怖いって、↑こういう明らかに白々しぃエセ天使の嘘を見抜けない人間が相当の数存在してるっていう事実ですよ。私はそれが本当に怖い笑何でこんなあからさまな堕天使のことを
「そうだよねぇ。あなたは悪くないよねぇ。」
って言えるのか、理解ができません。

まぁでも、そうやってエセ天使を養護しちゃう人間自身も、
『自分もいじめを見てみぬフリしちゃったから…。』
っていう引け目をどこかに抱えてるから、
「気付かなかったなら、仕方ないよね!」
って言いたいんでしょ。

だから、
【明らかに悪者に見えそうな人間】
をより一層悪者に仕立てようとするのも上手いんでしょ。

私は知ってんだよ。



「白は汚れが目立つから、止めときなさい。」

このセリフって、言い替えれば
「目立たなければ、汚れは放置できるんだから!」
って言ってるのと同じじゃないですか。二重の意味できったねぇ奴らだよ。

問題事を有耶無耶にして、見えにくくして、見てみぬフリをしても
「気付きませんでした!」
っていう言い訳がまかり通りやすくするために【自分が行動できないことが仕方ないという状況】を自ら造り上げてるんだからさぁ。

そりゃあそんな奴らに白い服は着れんよな、って、色んな意味で納得しました。

まぁかく言う私だって勿論潔白じゃない部分は山程あるんだと思います。それなりにズルいことだってしてきた部分もありますよ。(その度に不動明王から説教食らってきましたよ。)

けど、せめて自分の持ち物だけでも、
・汚れたらすぐ綺麗にする
・汚れが取れなくなったものは潔く手離す
こんな風に管理できる人間として生きていこうと改めて思いましたとさ。



汚れを浮き彫りにする方が悪いんじゃなくて、汚れを放置しようとする方が悪いんだよ。


堂々と明言して、恥ずかしくない人間で在りたいものですね。

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