融通の利かない人
⚠️今日の話には便宜上、発達障害という言葉を使いますので、苦手な方はお控えください⚠️
臨機応変にできない
要領が悪い
融通が利かない
こういう事態は
[他人軸という感覚が理解できないせいで発生している]
という側面が強いので、その辺の話です。
以前からもちょこちょこ書いていました。
ASDやADHD…いわゆる発達障害と呼ばれるようなタイプも、
[他人軸という概念が分かってないから周りと上手くいってないケースが多い]
ということ。
また、盗癖が治らないとか、悪いことをしても何が悪いのか分からないようなタイプも
[ワンネスの感覚が強過ぎて、自分と他の区別が付いてないから繰り返してしまうケースも多い]
ということ。
などなど、勿論全員がそうとも限りませんし、人それぞれ程度の差はあるでしょうし、様々なタイプはいるでしょうが、傾向としてそういうケースはとても多いのです。
私個人は
[他人軸から自分軸という概念を学び、切り替えることに取り組むことで人生に光を見出した]タイプ
です。私だけでなく、こと日本においては他人軸が当たり前になってしまっている人の方が多いので、自分軸の学びを促される人は多いです。
と、いうことは反対に
[自分軸から他人軸という概念を学び、切り替えることを目指すことで人生が拓ける]タイプ
もいるはずです。
私も他人軸しか知らない間は、主に人間関係において嫌な思いをするケースも多々あり、非常に苦しみ、悩みました。と、いうことは、自分軸しか分からないことで様々な問題にぶつかってしまって苦しい思いをしている人もいるのではないでしょうか。悩みが大きい人ほど、自分軸と他人軸、両方の概念を修得することを目指している魂なので、ピンときている人は意識してみると良いでしょう。
さて、融通の利かない人。この手の人にも、全員とは言いませんが、他人軸が分からないせいでそうなってしまっている人は結構います。
臨機応変ができないとか、状況判断ができないような人たちというのは、
『この場にいる人々の意見との兼ね合いを踏まえて、今回はこういう判断をしよう。』
のように、
『相手や他者の意見を全て踏まえた上で何を優先すべきか…?』
といった考え方をしようとしない人が多いのです。勿論全員ではないでしょう。人それぞれ程度の差もあるでしょう。ですが、自分軸しか分からないタイプは、
『他の人の意見も踏まえて、今回は何を選ぼう?』
といった考え方から始めることは一切なく、
『こういう場面ではこうするもの!』
『自分がこうしたいから、こうする!』
などと、その人の世界の中に他者の意見が存在しないし、生まれもしないのです。
ところが、日本という文化や人々の中で育つ上で、他人軸を前提とした教育は非常に多いです。すると、他人軸という概念自体がよく解らないままに育ってしまったタイプなどは、
[毎度毎度、その場においての周りの人の様子を伺った上で行動を決める]
という感覚が備わらずに
『こういう場面ではこうしなければいけない!』
『こういう状態のときはこうする!』
などと、セオリーだけをインプットして、そのセオリーに従った動きしかできない人が多いのです。
親は他人軸が解っているのに子供が他人軸が解らないというような環境で育った人ほど、親も親で何故子供が分からないのか分からないとか、子供が
『分からないままだと怒られる!』
という強い恐怖心だけを持ってしまったとかで、子供は
『とにかく、場面毎のルールに従っておけば良いんだ!』
と頑なにルールやルーティンのみを重要視してしまうメンタルの人も多いので、問題は根深いことがほとんどだと思います。
「どうしてそんなことが分からないの!?」
「何でそんなこともできないの!?」
こんなセリフで怒られた経験が多いと、より一層ルールやセオリーのみをインプットしてしまいやすいです。
また、上記のような怒られ方を繰り返すと
『簡単なことが分からない自分はダメなんだ…。』
『簡単なことができない自分は能力が無いんだ…。』
などと、劣等感を強く抱えてしまうことにも繋がりやすくなります。これらの劣等感が
『どうせ、分からないのだから考えるのを止めよう。』
『どうせ、できないのだからやらないようにしよう。』
と、頑なに動かなくなってしまうケースや
『自分は簡単なことも分からない人間なんだ…だから、人一倍頑張らなければ…。』
『自分は人よりできないタイプだから、沢山工夫しなければ…。』
などと、頑張りがから回って上手くいかないケースも物凄く増やしてしまいます。
中には
「勉強すれば分かるけど、してないんだから分からなくて当然でしょ?」
という言い訳の余地を残しておきたくて、頑なに考えようとすらしない人もいます。(自分軸しか分からないタイプに限りませんが。)ここまでの拗らせになると、頑として臨機応変に判断する(考える)ことから逃げるので、強固に他人の意見をシャットアウトしてしまったりもします。
しつこいですが、発達障害=融通が利かない
とも限らないし、融通が利かない=発達障害
でもありません。人それぞれ異なります。
ただ、
[他人軸という概念や感覚が解らない]
という事態が様々な問題を生む原因にもなっているし、自分軸が分からないタイプとの間にも問題は起こりやすく、その場合自分軸が分からない(他人軸が強い)タイプの方が疲弊しやすいことも多いのです。
他人軸という概念が根強い日本ではどうしても、他人軸が分からない人の方をズレてる人だと判断する風潮が強いので、「発達障害」なんて言葉が生まれてしまった側面もありますし、他人軸の感覚を押し付けようと強い叱責に繋がるケースも少なくないので、メンタルを拗らせてる人も少なくないのではないでしょうか。
いずれにせよ、
『なるほど、融通が利かない人の背景にはこういうことがあるのか。』
と、理解することはとても大切です。
その逆として、
『そうか。融通が利かないことで周りに迷惑をかけてしまうこともあるのか。』
と、理解する必要もあります。
自分軸、他人軸、どちらに偏っている人も、お互いに歩み寄って、双方への理解ができる人が増えれば、世の中に蔓延る人間関係の不和はかなり減るのです。
[他人軸になれば良いという訳でもない]
[自分軸になれば良いという訳でもない]
この辺りの話も書いておきます。
自分が幸せに生きるには、自分軸で物事を考えることってとても大事なんですよ。でも、社会の中で大勢の人と関わりを持ちながら、自分だけでない周りの全ての人が極端に我慢しなくて済むように配慮をできる感覚が他人軸なんです。
できる人が両方の感覚を身に付けるように取り組むことで、世の中から揉め事はどんどん減らせるんですよね。
私は前に、
[目安は地球の引力と月の引力の関係性。自分を地球として、7分の6自分軸でいること、他者を月として、7分の1他人軸で配慮すること]
を目指すことをおすすめしましたが、この位、自分中心でありつつ、人と関わるときはちょっと相手を優先させられるよう配慮できることで、より多くの人が平和に社会生活を送れるようになります。
スピリチュアルな世界なんかでは
「自分軸になりましょう!」
と唱える人が多いのですが、実は他人軸を学ばなきゃいけない人も沢山いるし、自分軸他人軸、双方が身に付いている人が増えることの方がよっぽど幸せになる人が増えるのです。
この点について、沢山の人が考えてみられると良いな、と思っています。
もし、今正に融通が利かない人に困っているのであれば、自分軸を知るタイミングにきているということかもしれません。
『どうしてあの人は融通が利かないの…?』
『何であの人は臨機応変にできないの…?』
などと『あの人…』『あの人…』を主語にせずに、
『自分は本当はどうしたかった?』
『自分はどうなることが嬉しかった?』
と、自分を主語にした問いかけを自分に行ってあげてください。こうして、自分の意見をヒアリングしてあげることが自分軸を理解する初めの一歩です。そして、自分へのヒアリングが、あなたの怒りを一気に鎮めててくれるので、是非とも自分と対話することを目指してみてください。
逆に、他人軸が分からないタイプの人は、職場を中心に主語を他人にして考えるタイミングを増やしてみることをおすすめします。私個人は他人軸→自分軸へと切り替えたタイプなので、自分軸がデフォルトの人の感覚が分からず上手くアドバイスできないかもしれませんが、とにかく、職場などの公的な場面では
『○○さんはこうしたいのですね?』
『△△さんはこれを望むのですね?』
と、復職確認する感覚で向き合うことから始めると、他者を尊重する感覚への理解に繋がるのではないでしょうか。より遠い関係性の相手ほど、譲り合いの精神を引き出すことで上手くいきやすくなるはずです。
自分軸の感覚が強い人って、『あの人はどう思うだろう?』『この人はどう考えるだろう?』
なんて視点があまり湧かないので、
『こうします!』
『これが良いです!』
って、自分の意見にブレが無いんですよね。堂々としてるんです。この、揺るぎのなさ故に、職場では上司からの評価が高かったり、役職に抜擢されることも少なくありません。
ところが、複数人をまとめなきゃいけない役目、あるいは部下の意見が割れているような場面なんかでは、多くの人数が納得できる公平な判断ができなかったりして、不和を生んでしまうことも重々にしてあり得るんですよね。
一概に何が良くて何が悪いか…とは決められないことなのですが、職場を中心に、多くの他人同士が集団で活動を行う場面ほど、他者の視点に立てることも一部大事であるということは、気に留めておける人が増えると良いのではないでしょうか。
対等な立場同士の諍いであれば、まぁまだ何とかなりますが、自分軸しか分からない上司の元に付かされた他人軸しか分からない部下の辛さというのは想像を絶するものなので、この話が上手く必要な人に届き、良い作用をもたらすことを祈っています。
全ての人に言えるのは、「自分軸が良い!」「自分軸は悪い!」「他人軸が良い!」「他人軸は悪い!」
そんな、両極端な考え方をしてはいけないということですね。
とにかくまずは、双方の感覚を知ることです。知った後に、自分がどう動くのか自分で判断することが大事なんですよ。
そして忘れてはいけないのが、他人を動かそうとするのではなく、自分の行動を振り返り、必要ならば自分を変えられるように努めなければいけないことです。自分軸しか分からない人を相手にしてしまうとどうしても
『何であの人は分からないの!?』
と、更に自分軸側の人中心に考えてしまって、振り回されて疲弊して終わってしまいやすいものです。そうなる前に
『自分は何を望む?』
『今、自分は何ができる?』
自分の望みと、できることを探ってみることに注力することの方がよっぽど有意義です。
先程も書いたように、自分軸しか分からないタイプには、教育の過程で物凄く拗らせてしまっているタイプも多いので、いくら
『何であの人は…?』
と考え続けたところで、なかなか良い解決策など見付かりません。あなたが精神科医やカウンセラーさんなら話は別かもしれませんが。
とにかく、モヤモヤが続いているようなら、自分のために自分ができることを探る方向に意識をシフトさせるよう努めることで、光明は見えてくるはずです。
一部のカサンドラ症候群の人も、この点を捉えると楽になれるのではないでしょうか。
「自分軸」
「他人軸」
について調べてみることから始めるのも良いかもしれませんね。
前にも別の形で書きましたが、
『こういう場面では、こうするべき!』
『こういうシチュエーションではこうしなければならない!』
こんな感じのルールやセオリーのみをインプットしているタイプはモラハラ予備軍だったりもするのです。当然これも人それぞれですけどね。
これも、一概には言えないのですがルールやセオリーを押し付けるよりも
『自分は今、こうしたいからこっちにしよう!』
で、判断、選択した方が上手くことが運ぶ場面が多いことも知っておくと良いです。
私も自分軸を理解するまでに時間が掛かりましたし、自分軸から他人軸を理解するのもそんなに簡単ではないと思われます。そうなると、
『よし、他人軸を理解してみよう!』
と取り組み始めたとしても、すぐに上手くいくとは限らないんですよね。そんなときにはせめて、ルールやセオリーを他者に押し付けるのではなくて、今、この瞬間の気分に委ねた方が案外良いジャッジになるものなので、ピンときている人は試してみてください。
ルールやセオリーなどに縛られてがっちがちに動かないことよりも、気分次第でゆるゆる動かれた方がまだ、他の人の意見が介入する余地が生まれるということも頭の片隅に置いてみると良いでしょう。
石と石がぶつかればどちらかが割れるかもしれないけど、プリンとプリンがぶつかってもどっちも割れないこと、頭に置いておけることで防げる諍いはあるんです。
自分が育った家の当たり前は世間の当たり前じゃないこと。
自分が通った学校の当たり前が世間の当たり前じゃないこと。
自分が勤めた会社の当たり前が世間の当たり前じゃないこと。
自分が住んでる地域の当たり前が他の地域の当たり前じゃないこと。
自分が住んでる国の当たり前が他の国の当たり前じゃないこと。
自分が生きてる時代の当たり前が他の時代の当たり前じゃないこと。
たまには他者の視点から自分を見直すことってとても大事なんです。自分だけじゃなくて他者をも尊重できるように工夫してきたのが日本文化の素晴らしい部分であり、それは決して自分を押し殺して他者を立てることを良しとする思想でもなければ、自分の選択に責任を取らないで済むための体の良い言い訳に利用するための思想でもないということ。振り返ってみませんか?
融通が利かない人は誰なのか、何故そんな事態が起きてしまうのか、振り返ってみる人が増えることが世界を円くできるのだと思います。
誰が誰の足蹴にもならなくて済む世の中になりますように。