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客観視


私は前々から、
・自分軸でいること
・他人軸にもなれること
双方が大事

だとずっと語ってきていて、今もその考え方に変わりありません。

似たような感じで、
[自分を客観視できること]
も、結構大事なことだと考えています。ただ、自分軸を大事にして、自分ファーストになる上では客観視できるという能力ってとても邪魔じゃないですか。それで、

『客観視って、本当に必要なんだろうか?客観視できない自分になれた方が圧倒的に楽なのに、何で客観視という能力が自分に備わっているんだろう?』

と、疑問に思う部分もあったんです。

その答えが分かった気がします。



最近、
・自分の意識
・自分の行動
をしっかりリンクさせることが大事であって、少しでもズレている箇所を見付け出すことが、自分の指針を見出すことなんだ!

と、強く感じているのですが、この、

【自分の意識】

【自分の行動】

"差"

に気付くために活用する能力が〖客観視〗という機能のようです。



私は昔から、自分がやってしまった行動に対して
『あんなこと、しなきゃ良かった…穴があったら入りたい………orz』
と、後になって物凄く恥に感じることが多過ぎて、思い出さなくて良い、どうでも良い思い出に頭を抱えてばかりいます。

驚く程昔の記憶ですら、蘇ってきては
『何であんなことしてしまったんだろう…自分の大馬鹿者ー!!!』
と、恥を感じて苦しくなることが多いのです。

恥だけじゃありません。
『うわぁぁあ!今から思えば、あれ、めっちゃ迷惑かけてたよね、ごめんなさいぃぃぃ!』
など、反省の意識に潰されそうになることも多いのです。



皮肉なことに、私の家族は自分を客観視する能力があまり無いらしく、私が見ても
『何で、あんなことして恥ずかしいという感情に潰されないんだろう?』
と不思議に思う程の不思議な行動を取ることも多いんです。

そういう家族に育てられた私は、昔はそれが変なことだと分からずに世の中に出て、恥をかいた経験もかなり多いです。

また、私は恥や反省の意識を強く感じるタイプの癖に、私も私で個性的な考え方も意見も持つものだから、自分がどう振る舞うべきなのか、長いこと苦しみ続けてきた側面もあるんですよね。

しかも、非常識な家族の行いを真似してると私だけは必ず怒られたりすることも多かったせいで、自分を客観視できない人に対して、妬みというか、恨みというか、複雑な感情を持ってしまう場面も多く、イライラすることも多かったです。

なので、

『自分を客観視する能力が無い人間はズルい!!!』

というような思いと、

『自分を客観視できない人間は迷惑だ!!!』

の、ような気持ちの間に揺れながら

『私からも、自分を客観視できる機能一切が消えてくれた方がよっぽど楽なのに、何で私にはこんな辛い機能が付いてるんだよ!?』

と、悩んだりもしてきたんですよね。



そうして、最近理解できたのが、

『自分を客観視できるから、自分の意識と自分の行動の差を測れるのか!逆に言えば、客観視という機能はそこに使うべきものなのか!』

と、いう部分でした。

同時に、
『私の意識に恥や反省の意識を激しく強く呼び覚まさせる古い思い出は、【自分の意識と自分の行動の差が激しく大きかったエピソード】なんだ!』
という点にも気付けました。差が大きくなるほど、感情を刺激する仕組みになっていることが分かったのです。



これも前からよく書いているように、
【感情を大きく揺さぶるなにか】

【自分が気付くべきなにかの隠れ家】
なので、それと同じように、
『恥ずかしいー!!!』
『申し訳ないー!!!』
などの反応が大きければ大きいほど、

「自分の意識と、行動の差が開いてますよー!!!」

っていう、アラートが強まっているだけのようです。

こうしてまた私は、私を乗りこなすコツを1つ得られたのでした。



冒頭に書いた、自分軸、他人軸の話と同じように、やはり地球という星、社会の中で沢山の人が共存する上では、ある程度
[自分を客観視できること]
は必要だし、自重、自戒が必要な場面もあると、私は考えています。

ですが、必要以上に自分の行動を批判したり反省する意識って物凄く辛いものなので、この機能とどう付き合うべきか、悩んだり困ったりしてきた人は私だけじゃないと思うんですよね。

そんな、
・社会人としての自分
・スピリットとして自由に生きたい自分
の狭間で立ち止まってしまっているメテスたちにこのヒントが届いたら良いなって思ってます。

地に足を付けながら際限無い自由を謳歌できる人が1人でも増えますように。

スピリットに目覚めるために、【変人】になる必要もないんだということも広まったら良いのかな、とも思います。


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