斎宮つながり イイ・ヤシロ・チ㉛
前日の夜に急に思いついて、出かけた野宮神社。計画性を結構重視するいつもの自分らしくないのだけれど、イヤシロチ巡りモードになったら抗えず、エイヤッと出発した。
嵐山の渡月橋を渡り、前夜から朝までの雨のおかげで嵩を増した流れと洗われた輝く新緑を楽しむショートトリップ。嵐山にはどれくらいぶりにやってきたのだろう。ここのところ台風や大水の被害に見舞われた嵐山であるけれど、外国人客は少ないながら、修学旅行生のはしゃぐ声も高く響く明るい雰囲気だった。
整備された竹林の道に入ると、それまでの観光地の賑わいが遮断されて、植物に包まれる不思議空間に吃かされた。車などの人工的な音がストンと音量を落とす感じ。更には、風が竹の間を渡って起こる葉擦れや鳥の鳴き声が頭上から降ってくる。それらの響きが耳に心地よく届く。なんとなく心身の動きが徐々に落ちついてきたように感じるのは、竹から何か不思議な物質でも放出されているのだろうか?
木漏れ日が、森の中で浴びるそれとは異なる心地よい加減で頭上から降り注ぐ。例えるならば、御簾越しのような光線の具合。正午過ぎの明るく強い光の中から、適度に加減された光空間にすっぽりと包まれた、この安堵感は何だろう?観光モードのハイテンションな精神状態が、穏やかなゆったりペースに鎮静されていく。ああ、自分にはこれが必要だったのだと気づく。
青竹に囲まれると、人の仔に何かが作用するのは間違いない、などと妄想が始まる。そんな心持に傾いていく自覚を持ち始めたタイミングで、目指す野宮神社に到着した。
黒木の鳥居を潜って、修学旅行生たちといっしょにお参り。縁結びに夢中な青春真っ盛りの彼らと対照的に、「こんな場所で1年間も潔斎してた女の子が何人もいたのだね。」と美しい苔庭を観て、しみじみしてしまうお年頃の二人。
此処を出た後は伊勢に向かうことになった幾人もの少女を想像して、すこし切なくなった。神と近しく生きることの厳しさや、無垢な女性がどれほどの力を秘めているかを考えないわけにゆかない。彼女たちが癒しの竹林に包まれて暮らしていたのは、その発動のための環境整備だったかもしれないと。
そんなことどもをつらつらと思いを馳せているうちに、わたくしはふと思い出す。そういえば、今年の初めは、その地名も斎宮の竹神社に参拝したと。野宮神社での清めを終えた後、伊勢に向かう姫巫女は、今は斎宮跡と言われる場所に住まいするということをそこで聞いたのだ。
これまでよく知らなかった場所に、お得なモニターツアーがあるとカタログで見つけたわたくしは、嬉々として友人を誘って応募、めでたく参加できた行き先が斎宮跡の明和町。この時はまだワクチン縛りも緩くて、まあまあ適当なマスクと消毒で結構自由におしゃべりしながら、ご機嫌で特別仕様列車に乗せられて斎宮駅に到着。(その後何の問い合わせも確認もなかったのだから、ツアー客らはきっと全員ご無事だったということだろう。)
1月とは思えないほど、気温高めの穏やかな晴天のこの日。まったくもっての「お参り日和」である。のんびり電車旅の末に下車してすぐに目に入った広々とした斎宮跡は、「こんな天気でなけりゃ、泣いちゃうよ。」というぐらいの吹きっさらしな空間だった。
そのだだっ広い、いや壮大なエリアに再現されたかつての斎宮の建物や、その昔、古人たちが大勢行き交ったかなり幅広いの道を現地ガイドさんの素朴な説明を聴きながらのんびりと歩く。ポカポカあったかくて、こんな時こそ、「神様ありがとうございます。」と素直に言わねば罰が当たるなんて思いながら。
そんなモニターツアー見学で予想外に印象的だったのが、最後に案内された「竹神社」なるイヤシロチ。此方は、斎宮の内院跡だという歴史もあるようだと、初めて教わったような塩梅。(どれだけ何も知らずに参加したか、が自分ながらにくっきりと自覚する)先ほど降り立った駅から伸びる近鉄の線路を越えると直ぐの、割合とコンパクトな印象なお社。
けれども、既に有名な手水のお花がとても豪華だったのは、モニターツアー客の参拝を歓迎しようと、より一層麗しくご用意してくださったお気持ちを感じた。この花手水は、満月には夜間のライトアップもあるという。
わたくしたちは正午に近い午前の参拝だったから、月光ならぬ日光燦々のお参りであった。きれいな光が境内のあちこちで写り込んだ。かつて斎宮たちは、神との交信のために、此処で何を祈り何を想ったのだろうか。
こんな具合の新年の斎宮跡の竹神社参拝の半年後、野宮神社の参拝を思い立ったのは、いったいどんな仕組みなのだろうか?すっかりと忘れ去っていたのに?
斎宮と言えば、倭姫。倭姫が御巡行したフトマニクシロなる結界。もしかすると今年は、倭姫が訪れたイヤシロチを知るような流れに乗せられていくのか、はたまた甥のヤマトタケルにまつわるイヤシロチへ?などと、またも新たなる巡りのテーマがうっすらと見えてきたような、夏至前のわたくしである。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。
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