桜咲く春爛漫 宮島その5 ィイ・ヤシロ・チ㊹
今年の桜はせっかちだった。秋の(安芸の)宮島旅での宿題を、春に日帰りで果たそうともくろんでいた五十路おみなコンビ。桜花に飾られる宮島にて、遂行しようと願ったので、急遽段取りを立てた次第。
桜に合わせてスケジュールを組むなど、これまで一度も考えたことさえなかった二人にとって、大変イレギュラーな参拝旅。せかされているような気がする、と二人の心持ちが一致した結果である。
お陰様で、前回の経験が積みあがっている4ヶ月ぶりの再訪は、きわめてスムーズにことが運ぶ。土地勘もついて、行程のおおよその移動時間も難なく読める。そのうえ、風も気温も心地よい参拝日和に恵まれているのが嬉しい。
今回のテーマは、干潮時の厳島神社、美しいご神木、大聖院の三か所の聖処詣である。これらを、観光客エリアをうまく回避しつつ巡り、同時に桜などの春景も愛でようという欲張りな目論見。
お昼前に宮島口からフェリーに乗船し、満開の桜と春生まれの子鹿たちに歓迎されて、首尾よく上陸。昨秋にいた大勢の修学旅行生の代わりに、白人系のインバウンドで賑わう、今春の宮島である。小さなベルの形をした馬酔木の花が文字通り鈴なりに咲く宮島は、明るい活気に満ちていた。
鹿たちは、観光客から食べ物をゲットするべく気ままに且つしたたかに闊歩している。かわいらしい見た目につい気を許した観光客たちの持ち物が奪われる「事件」が、アチラコチラで発生していた。それでも穏やかな雰囲気なのは、神の御使いである鹿への敬意と、春めくのどかさのせいなのかもしれない。
干潮時刻までの小一時間、わたくしたちは厳島神社の参拝とその周辺の散策で、大鳥居接近のタイミング調整をしようと決めた。
まずは、拝観。おさらいがてら、↓の記事で境内の全体を把握する。
満開の桜花に飾られた青天の宮島は、「ここは京都?」と錯覚しそうなほどに極めて京寄りだ。平家の後に入った、藤原氏の影響?それとも平清盛その人が京テイストがすこぶるお好みだったのだろうか?平安貴族が大喜びしそうな美景が展開されている。これが21世紀の現代にまで引き継がれていることは正しく奇跡と言えるだろう。
まずは、厳島神社境内のメインポイント、必ず目にしたかった「鏡の池」。干潮時だけに現れるという三つの池は、一つ目は修復工事のカバーで見えず、二つ目は工事の足場になっていた!!!わたくしたちが完全な形で目にすることが叶ったのは、三度めの正直?の天神社横の一つだけだ。それでも見ることができたので、大満足の二人である。
ところで、干潮の時に現れるとは、いったいどんな意味があるのだろうか?確かに、ほとんどの有名な神社には御井や神池は必ず在る。そして、其処に鏡を沈めている伝承や、実際に池の底をさらうと御神鏡が発見される話もよく耳にする。例えば、↓こんなふうに。
「沈める」と「鎮める」の掛詞に言霊を感じ、興味深い。そして、厳島神社の鏡の池も、鎮めの神霊を召喚する呪術かも、などと素人の妄想は、春のほんわりとした風景の中に拡がっていく。鏡の池に現れる三神は、祭神の三女神なのだろうか?昼間は太陽、夜は月が鏡の池に映ると、それは依代とも言え、鏡は女性を想起させるアイテムだなどと、またしても春風に空想は揺蕩う。
前回の早朝の秋雨けぶる満潮時の厳島神社が静謐なグレイッシュと表せば、晴天の春の正午の干潮の、空と海のあわいに浮かぶような海風渉る厳島は、のびのびと平らかなパステルカラー。
同じ場所がこれほどに異なる美しい貌を見せてくれるとは、さすが日本三景、世界遺産である。平舞台から瀬戸内海を眺めたあと、潮が引いた大鳥居の水際を他の観光客とともに歩いた。案外と歩きやすく、靴が濡れることもなかった。ただし、小潮なので、鳥居はそのまま海中に立っていて、徒歩で潜ることはできなかった。
代わりに、厳島神社の床下を覗いて、建築技術を見学した。この構造で八百年ほど海の満ち引きに晒されながら建ち続ける技術の巧みさは、やはり驚嘆である。
こうして海辺のミッションを大満足にクリアした次は山だね、と、もみじ谷にいそいそと向かう。美しく潤う紅葉の秋も素敵だったけれど、野趣溢れる山桜や、茶店前の広場の華やかなソメイヨシノに飾られたもみじ谷もまた格別だった。
此処から、最も美しい木と謳われる「龍昇のご神木」に向かった。
実際に辿り着いてまず思い知ったのは、前回のような雨天ではかなり危険な道のりだったことである。降雨の中では到底行き着けなかった。素直にあきらめて大正解だった。
そして、この気高いご神木を見上げると、みだりに近寄ることは控えた方がいいという確信を得た。「人間が何やかやと願いをかけていい対象ではない」と、ひりひりと体感したのだ。
他所にも同じようなご神木はあるだろう。けれども、このご神木はとりわけ峻厳な波動を放って、静寂な森の中に屹立していた。祈願をにべもなく却下されるだけならまだしも、さらには逆鱗に触れてしまう危惧も感じられる佇まいだ。(わたくしの勘違いならよいのだけれど)
大いに畏れを感じ、十二分に距離を保ってご神木の根に気を付け、慎重にゆっくりと歩いた。それから「此処か?」と思える箇所に立ち止まり、拙いながら龍神祝詞を恐るおそる捧げた。すると、急に日の光が降ってきた。見上げると、ご神木に一層神々しい輝耀が認められた。それまでの緊張が少しほどけて、自然と湧き上がる畏敬と、この時この場に立ち会えた幸運に感謝して、わたくしたちは静かにその聖処を辞した。
いよいよ最後の目的地、大聖院を目指して移動する。もみじ谷の山道から瀬戸内海を見下ろしながら歩いて、大聖院に無事到着。空海生誕1250年の本年、空海の一族佐伯氏が司る宮島では、様々なイベントが予定されていた。
そして、境内に大聖院の本堂地下に戒壇めぐりという箇所を見つけ、「空海の生誕地、善通寺にもあったねえ」と迷わずチャレンジする五十路コンビ。
大聖院本堂下の戒壇で非日常な超感覚を味わい、地上に出たところにはドドーンとタヌキ様がお出迎え。その意外さと迫力に、心と顔が思わずほころんだ。生まれ直して出逢うのが、この方とは!!!
何故かその拍子に、戒壇巡りは以前どこかで読んだ本の中で知った実験に似ているな、と思い出す。そうだ、ダン・ブラウン「ロスト・シンボル」の中の純粋知性科学の実験とそっくりだ。暗闇で神経を集中させるのは、能力開発のメソッドなのか。密教の修行メニューにこれがあるのは意味深だ。
関連する書籍を検索すると、↓がヒットした。ご縁があれば、読んでみようと思ったことだ。
お寺拝観が、最先端の宇宙論や意識科学につながってしまう不思議さが面白く、一方でこれも当然の帰着かと思えた。本堂にはこの宇宙を表す曼陀羅も掲示されているのだから。
こうして、目出度く目標達成のスッキリモードで帰路につく。船着き場までの道沿いで香ばしい匂いで誘う、牡蠣と穴子のもちを土産に求めてから、フェリーに乗船した。
段々と離れゆく島影も名残り惜しく、次回は船での大鳥居くぐりや弁天様のお祭り、厳島神社の奉納舞時の来島を、とまた企む五十路コンビ。
物理を動かし実現化をもたらす人間の意識のはたらきについて、科学も哲学も言及し始めている。それがこの宇宙の根幹の仕組みであれば、戒壇めぐりで起動させたであろう、わたくしたちの意志の力も無敵かもしれず。(笑)人の仔たちの想念の実力に自覚と正しい理解を得ることで、どんな世界も自在に創り出せる。であるならば、如何なる未来を?と、自問するわたくし。そんな人の仔を見守るように、瀬戸内の穏やかな潮風の中、宮島は優しげにぽかりと浮かんでいた。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。
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