初めてのばぁちゃん(祖母)との喧嘩。。。
僕は小さい頃から兄をいつも追いかけていて、兄がすることはしたくなる少年だった。だけど、兄は運動神経がずば抜けていて、素人ながらも各スポーツの記録を作るほどの成績を上げるほど・・・
兄はサッカーをさせれば、県選抜、九州トレセンと次々に合格するし、名門国見でもレギュラーを獲得し、全国大会の決勝戦では先制点入れるし、全国5連覇を果たす。
陸上をさせれば素人なのに県の記録を更新する。高校の時には、サッカー部のくせに陸上の大会へ出て全国1位の人間にブッチギリで勝つ。
「陸上なんてメンタルの勝負や。根性がどれだけあるか。」と、投げ台詞を僕にするほど。。。
僕もそれなりにスポーツ頑張っていたし、運動神経悪いわけでも無い。陸上は小学校時代はいつも3位、高校では全校生徒で7位とか、サッカーでも兄貴の追いかけで国見に行き、中学時代は全国3位。
決して恥じる結果では無いけど、いつも地元(長崎五島列島)に帰ったら、「あなたもサッカーやってたら良かったのにね。。。」と周りから言われ、コンプレックス炸裂。
承認欲求を満たされたい時期に、“承認されない”というメンタル崩壊寸前の日々。流石に、存在する理由が見つからずに、「死んだ方がいい?」と母親に泣きながら相談するほど追い込まれていた・・・
話が前に進みすぎたけど、事の始まりは小学生の時・・・
サッカーと出会い、初めてスポーツに熱中した。そして、ご飯を食べながら「僕はサッカー選手になる」と、家族の前で意気揚々に語っていた。今でも覚えているけど、あの時の全身がボワッと熱くなる感覚は相当ハマっていたと思う。
すると、まさかの電光石火のごとくドリームキラーが急に襲い掛かった。多分、ポケモンで言えばミュウツーより手強い相手。
それは、ばあちゃん。(ばぁちゃんのことはマジで今でも大好き)
「あんたができるわけ無い。」
ばあちゃんもそこまで考えた発言では無いとは思うけど、メンタルがウンコより柔らかい僕の心はばあちゃんのキラーワードで一瞬で崩壊した。
「なぜ、僕の可能性を否定するのか・・・」
「兄以外は夢や目標を持ってはいけないのか・・・」
ただ、その当時良かったのは、少しだけ成功者としての素質があったのか、「絶対に結果を出して見返してやる!!!」と、小さな闘志が燃え上がったのが良かった。
その経験のお蔭で、いろんな事にチャレンジするメンタルができたし、行動力が生まれたり、そして“人間の可能性の探究”というところに興味が沸いた。そして、それが僕の変態人生(殴られ社長のきっかけ)になったのでしょう。
という事で、どうやって話をまとめたらいいのか分からないので次の話でお会いしましょう。読んでいただいてありがとうございました。
愛と感謝を込めて・・・
P.S. ばあちゃんのことはマジで大好きです。感謝しかないです。
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