猫マークのロジスティクス時代(初就職)
物流業界に就職しました。猫マークの子会社のロジスティクス事業でした。
そもそもロジスティクスとは?とググったところ
「物流の輸送・保管・包装・システム・流通加工・荷役を高度化し、調達や生産、回収や販売などの分野を統合して、 需要と供給の適正化を図ることを意味します。」
へー。そんな感じなのか。ビッグワードすぎる。
私がやってたことは、某たばこメーカーの販促物を管理、拠点ごとに出荷するという極めて簡単な仕事でした。自社で管理するより、委託してもらったほうが管理コストが安くなり、また猫マークの拠点を使うことで、スピードが担保されるというメリットがあり、委託業務的な感じだったと思う。
私は当時25歳くらいだった。チームの組織は営業、事務方部門に6名。作業スタッフがパートさん込みで20名くらい。その他日雇いの派遣さんを5名から多い時で70名くらいの力を借りていた。繁忙によって、人の数は全然違う。
1日中数万個の段ボールに伝票を貼るだけ。ポスターの枚数を数える。海外からきたコンテナから大汗を書きながら荷物を下ろしていく。販促物を梱包して出荷していく。果てしない数のトラックから荷物を下ろしていく等。単純作業の繰り返しだった。
単純作業から抜け出すために、フォークリフトの免許を正式に取得した。フリーター時代同様、トラックからの荷降ろしをいかに早く捌けるかを考え、作業した。たかがこんなこと。だが、仕事をするうえで、「HOW」を考える癖はどうやらフリーター時代から養われていたようで、ここでも役に立った。
そんななか「現場リーダー」は、複数の作業がどのくらい進んでいるかを確認し、作業ごとの人員の調整をしたり、複数人数を指揮したりで、かっこよく見えた。マネジメントを感じたのは、おそらくこれが初めて。
リーダー2人は結婚し、奥様は退職、旦那様は異動になり、自分にリーダーの役目がめぐってきた。社員の中では一番年下。平均年齢50の現場。
今思うと、かなり生意気な子供だったと思う。50超えのおじさま方パートのおばさまとの仕事は苦戦した。会議をしても好き放題いうだけ、自分のやり方、考え方は崩さない、昔はーと前例にとらわれる。
とはいえ、現場をまとめないといけないので、 何事もゴールを明確にすること、役割を明確にすること、話は聞いてあげること(だいたいは言いたいだけなので)この3点を意識するようにした。
まだまだアナログの時代、ホワイトボードを工夫して、納期、目標数量、責任者、メンバーを書いて、朝礼、昼礼、終礼で報告するという、ホウレンソウの徹底をしてもらった。もちろんリーダーとはいえ、自分が一番年下なので、目で見て耳で聞いて事前に確認したものだ。
そうすることで、少しずつ事務方の信頼も得れるようになった。少し先の仕事のスケジュールも共有されるようになり、どうやって納期通りに終わらせるか、人員はどうするか、オペレーションはどうするか、段ボール、トラックの台数なども考え、決められるようになっていった。
派遣さんに関してはレギュラーメンバーを決めた。50すぎのおじさんたちが喜ぶように、レギュラーメンバーは仕事ができる女性で固めて、彼らのモチベーションの維持をした。みんな、いつも文句はいうものの、間違いなく楽しくなっていたと思う。
全体視野と見える化、HOW、かわすテク。大人数の前で話すことに慣れる。この辺りが、猫マークで経験できたことだろう。大学留年、フリーターで新卒よりも遠回りしたが、経験ではこの辺りで一般的な25-28あたりの社会人に追いついただろうか。
今回は初めて仕事論的な感じになったが、しっかりとネタもある
月に300時間を超える過酷な時期や、ミスをして女上司に毎日めためたに怒られた経験(途中から自ら怒られにいくドM感)、別の女上司から突然デートに誘われ舞い上がったものの、1週間でフラれる(彼氏から逃げたかったみたいだが結果戻っていった)、エレベーター中で接吻するというドラマみたいな経験、ジャニオタ彼女とちゃきちゃき元気娘と安定男の四人で旅行や毎週のように飲み歩いた。(浜松町の天狗・カラオケ館)ジャニオタ彼女に同棲資金をジャニーズに使われたこと。仕事終わりに手ぶらで富士山に登りに行って、寒すぎて死ぬかと思ったこと。現場リーダーの酒癖の悪さ(脱糞の処理をしたときはこの世の地獄をみた)。安岡力也似のアニキと九州へ風〇ツアーにいき、2泊3日で数十万つかったこと。またその時のお相手にハマろうとしたけど、泥酔し連絡先をなくす失態をしたこと。
次回は中小企業診断士を目指すの巻。猫マーク時代に実はもう一度勉強をしてました。その時のことを書きます。
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