マスターナンバー33
自分自身を考えるとき…
色んな考え方があっていいのだと思う。
「人間は解釈する生き物だ」と誰かが言ってたっけ…
自分は何故、こうなんだろう。
何故こうなってしまったのか。
世の中には様々な情報が溢れている。
その中でしっくりくるものを選べばいいのだ。
火沢は今のところスピリチュアル50%(カバラ数秘術お世話になってます!)、心理学50%(テープ式、お世話になってます!)で解釈している。
宗教も本来ならローカリティ的な解釈の違いに過ぎなくて本質は一つなのかもしれない。
その差異が時として戦争の火種になったりするけれど、それもまた人間らしい。
科学も数学も国語も芸術も実は繋がっている。
読解力は論理的思考が必要だし。
精緻で完成された数式は一個の芸術である。
ピタゴラスが教団を作って弟子を殺したのは「道徳」の授業である。(笑)。
それならば…
きっとスピリチュアルと心理学は遠くない。
もしも解釈に限界を感じたら越境しあってもいいのかも。
そんなふうに感じてきた。
ただ、スピリチュアルはなかなか世間では受け入れがたいと思うし火沢も全て鵜呑みにしているわけではない。
自分はそういう人間だと書いてあるから、そういう人間になろう、ではなく、
「自分は元々そういう人間だという自覚があった上でスピリチュアル的な解釈で確認する」感じ。
自分は元々非常に葛藤しやすい。
まあ、息苦しい人間である(苦笑)。
中学時代から人格が交代してしまったのだ。
小学生までの火沢は変わった子供であった。
笑いすぎておしっこをリアルに漏らしたり。しかも2度。
「野生の叫び」と称して裏声で卑猥な声を(当時は卑わいと思っていなかった)出していたり。
「フワッフワッ」と女の子みたいな声を出して友達の姉に「何それ、カワイイ!」と言われたり。空に浮かぶくらい幸せだったのかね、当時の俺は…
小6のとき、友達に「俺は一生セックス」しないと誓ったり(苦笑)。こんな小学生いるか?
まあ、楽しかった、「あの頃は」。
それが何故中学に上ってクソ真面目な堅物になってしまったのか…
単に環境が変わったから、思春期だから、なのかも知れないが、この状態が40歳の今でも、ずっとである。
中学時代、小学生のときみたいに「野生の叫び」やってよ、と言われて俺は…
「何それ、俺、そんな事やったことないよ」
そう答えてしまった。
もちろん後付けだが、このとき本当の自分を殺してしまったんじゃないかって後年思うのだ。
そうすると疑問が湧いてくる。
明るかった俺は何者だったのか。
堅物の俺は何者なのか、と。
10年以上前である。
コンビニで何気なく手に取った文庫サイズの占い本。
はづき虹映さんの「誕生日占い」だった。
以前から細木数子の六星占星術は、やっていたし、江原啓之のスピリチュアルにハマっていた時期もある(今は江原さん、あまり好きではないが…苦笑)。
数ある占い本に過ぎないと思って軽い気持ちで購入。
早速、自分を占って見ると…
その時の気持ちは、はっきりとは覚えていない。
けどまあ、「自分にしては珍しいな…」と、少し驚いたと思う。
六星占術では奇人変人の火星人。
手相占いだと、石橋を叩いても渡らない、スッポン野郎(漫画家を目指してるに芸術的な才能は皆無である相)。
ちなみにドラクエ3 (SFC)の冒頭の性格診断、何度やっても何年経っても「なまけもの」。
ろくでもない物ばかりである(苦笑)。
それがどうだろう…
マスターナンバー33。
12ある数字で一番波動が高いんだって。
「おおっ!」
て、感じです(笑)。
空っぽだった俺の人生に光が!
「人類の愛の奉仕者」で、見返りを求めないスケールの大きな愛を表現する。
菩薩の域だと。
「ほほっ!」
個性的な生き方で皆のお手本になるんだと。
「それだっ!」
人助けが趣味、人や動物、あらゆるものに愛を注げる人。
「ふ、ふーん…」
けれど、人類の愛の奉仕者という使命を忘れると障害の多い人生になり単なる変人に終わる。
「…」
そっか…
そう…
そうなんだ。
これが今の俺なんだ…
障害ばっかだもんね…
俺の人生…
ここでは書けない罪も犯してきたし、決して火沢、綺麗な人間ではない。
だから、この占い。
最初は嬉しかったけど、今の俺とは真逆で…
恨みつらみで生きてきたからね。
でも…
子供の頃は…
あの頃の俺は…
身を削って人を笑わせていたなあ。
ハムスターが死んで泣いていたなあ。
獣医に優しい目をしていると言われたなあ。
友達にお祭りで気前よく奢って、喜ばれたのが嬉しかったなあ。
蛾を幼虫から育て、空に放したこともあったっけ…(笑)
何だか複雑な気持になってしまった。
いつも「昔が良かった」が口癖で周りからも過去に縛られているとなじられ、俺の何が解る?と苛ついていた。
自分をさらけ出すと言うことがどれ程怖いことか。
頭が可笑しいんじゃないか、ガキなんじゃないか、異常なんじゃないかって…
俺は人とは違う。
何かがおかしい。
そんなふうに感じてきた。
発達障害も疑ったが予約を取るのも凄まじく時間がかかる上、免罪符が欲しいだけなんじゃないかって、かなり葛藤はした。
大した支援もないらしく、そうならもういいか、と。
なんとなく、ズルズルとここまで来てしまった。
話を占いに戻すが、はづき虹映さんの占いには特徴があり、過去、現在、未来の3つのナンバーで見るというもの。
さっきの33は「現在」。
今生ではこれを中心に意識すると良いらしい。
火沢の「過去」のナンバーは4。
過去ナンバーは前世、どういう人間だったかを意味する。
4は四角四面の4。
現実を意味する。
几帳面で真面目なお硬い数字。
これか…
俺の苦しみの元凶は(苦笑)。
若い頃までは過去のナンバーの特徴が出やすいらしい。
当たってる…
そして「未来」のナンバーは3。
これはチャレンジナンバーと言って、分かりやすく言えば今生の課題。
苦手な事。
3は子供の数字。
俺は子供のように笑うことを人生の課題にしているらしい。
過去に囚われていると「今」を生きることは出来ない。
しかし歳を取ると執着が増えて、なかなか難しい課題でもあるらしい。
これも納得。
う〜ん、という感じである。
正直ここまで腑に落ちた占いは初めてだった。
そっか、俺はそういう人間なんだ、と改めた実感。
そうか、これが俺か、と。
しかし、だからといって、その後なにか変化があったかというと全く無かった。
たが40歳を節目と捉えnoteを初め、現在、なにか流れが変わりつつあるとも感じている。
そもそもあれほどスマホを嫌っていた火沢だが(これも4のせいか)、もうガラケーが使えなくなると言われれば流石にね…
もともとガラケーもデジカメとしてしか使ってなかったが、一応仕事でも使うし、スマホの料金もガラケー並になったし、まあ、いいか、と。
「へー、通信が低速になるだけでネット見放題なんだ…」
以前から漫画をいつか自分のサイトで発表したいと考えていたが、サイトを作るよりもっと気軽に出来ないかと調べているうちnoteを見つけたわけ。
noteを始めてもう、半年経つのか、早いなあ。
この間、何があったかは、また別の記事で書くとして…
結局何が言いたいかと言うと…
8月31日。
40歳の誕生日である。
実は誕生日当日には何もなかった。
親と少しだけ揉めたり、何とも煮えきらない微妙な誕生日だった。
自分的には人生後半戦の最大の節目で、ものすごく意識を集中させていたのに…
ここから変わるはずだったのに…何か違和感。
心がざわついて仕方ない。
noteで自分の過去をさらけ出すつもりが単なる不幸自慢になってるようで、どうもしっくりこない。
何がしたいんだ俺は…
漫画も止まってしまった。
描けない。
9月に入って何かがおかしい。
9月8日、異変が起きた。
正確にいうと7日から8日にかけて、日付が変わる頃。
あまりにも衝撃的な瞬間であったが、どうも前後の記憶が曖昧で…
スマホを折角購入したので改めて「はづき虹映」とは何者なのか、そしてマスターナンバー33とはなんなのか、調べてみた。
もともとはカバラの数秘術なのだが、実は33というのは、はづきさんが独自に開発したものらしい。
そんなことも知らなかった、
あまりスピリチュアルにのめり込みたくかなったので彼の本は、一冊しか読んでいなかったのだ。
ネットで調べると、はづきさんのパクリなのか33が盛り込まれた数秘術がズラッと並ぶ。
どれも火沢にはピント来ないものばかり。
要するに波動が高いとか、金運に恵まれてるとか、モテるとか、表面的な事ばかり…
もっと本質的な話が知りたい。
結局ははづき虹映のユーチューブを見るのが正解だった(苦笑)。
33とは何なのか、(詳細は関心がある方がご自分で調べたほうが良い)長いので要約すると…
①もともとは33は存在せず6だった(数秘術は一桁になるまで足すから。33は3+3で6)
6というのは愛情の数字。
世間の常識で生きるしっかり者の母の数字。
しかし6の数字でしっくり来ないという人がいたらしい。
どうも自分は6ではないのではないか、と。
そこで、はずきさんは33という数字があるのではないか、と考案したわけ。
➁2000年以降、33は生まれにくいらしい。生まれにくいというか生まれないのだ。
生年(西暦)月日の数字を一つづつバラして、一桁になるまで足していくだけなのだが(マスターナンバー11、22、33はそのまま)
どうもしばらくは生まれないらしい。
これはスピリチュアルの話になるがアセンションに合わせてのことらしい。
アセンションとは次元上昇。
人間の意識が大きく上昇するビッグイベントであり(現在進行中)、33は古い価値観を壊して皆の精神的なリーダーになるべくして、この時代に照準を合わせて生まれたらしい。
③これは驚いた。
33は3と6の数字を併せ持つという。
つまり、3+3=6なので。
2つの3と6が常に同居しているらしい。
3は子供で6はしっかり者の母親。
相反する性質を持った、そもそもが葛藤しやすいナンバーだったのだ。
火沢は過去のナンバー4のせいだと長年思い込んでいたが、こういうカラクリだったのか…
つまり奇人変人でありながら6という常識的な数字に縛られて本来の自分に覚醒出来ない33が結構多いらしいのだ。
ものすご〜く納得!
話を戻そう。
9月7日…
日付も変わる頃…
いつものように過去を思い返していた。
何故、自分は恋愛できなかったのか…
何故、恋愛から逃げてしまったのか…(前回の記事参照)
これまで、心理学やスピリチュアル、その他自己啓発本など、それほど多くは読んではいないが、結局は「自分がオクテだからいけないんだ」に、なってしまう。
火沢なりに時代性とかジェンダー論とか、母親との共依存とかで考えてきたが世間からすれば「言い訳」にしか過ぎない。
結局、火沢は自分の弱さを受け入れず、きちんと敗北出来ていないから前に進めないのだ、と悩み続けてきた。
あるいは中学時代、好きな子がいて、(火沢は自分を透明な存在だと思っていた)思い起こせば、その子は、ちゃんと自分を見てくれていたのである。
そういう記憶を思い起こし、過去の自分の心に意味付けをし、なんとか「自分には価値がある」と思おうとしたり。
そんなことをもう何度も何度も気が狂うくらいしてきた。
何度も涙が流れた。
しかし何も変えられなかった…
ずっと何も変わらなかったのである。
そして…
9月7日…
33という数字。
自分の本来の性質。
本当の想い。
そういった一切合切が、心の最も奥深い所からこみ上げてきて…
「これが俺なんだ」
「そうか、これが俺なんだ」
涙が突然こぼれ落ちた。
身体が震える。
歓喜?
わからない。
自分でも何が起きたのか分からない。
ただ、俺は…
何度も何度も両手を見つめる。
「そうか、これが俺か…俺なんだ。
なぜ、こんな簡単なことが分からなかったのか…」
「そうか、これが俺なんだ」
何度も何度も呟く。
気づいたらもう、日付が変わっていた。
その後の俺は妙にリラックスしたようなポワンとした状態が続いた。
しかし火沢、実はこういう半覚醒状態は過去に2度経験している。
何か乗り越えたかと思うと翌日落ちるのである(苦笑)。
しかし、この2度の経験は、やや刺激が強すぎた。
あまりにも意識が上昇しすぎた。
あらゆる負の感情を手放したような高揚感が気持ち良すぎて、怖いくらいだった。
腹のそこからエネルギーがこみ上げてきて来る感じで…
それはそれで凄いのだけれど、何かを克服したり気付きを得ての事ではない。
極限状態にまで追い詰められ、デトックス効果のようなものだったのだろう、全てをぶちまけた後のことだった。
このような変化は一時のものでしかなく、翌日には何事もなかったようにネガティブな自分に逆戻りするのである。
しかし、今回は違った。
どうも、そこまでの高揚感はなく、最も大きな変化は「傷付きにくくなった」ということ。
普段なら自分の最も痛い核心部分を突かれるとベッドてもがいたり打ちひしがれたりしていた。
それがどうやらなくなったというか、少なくなった。
例えると鎧を装備した感じ。
ダメージは0ではないが50%カットという感じである。
今もこの状態が続いている。
こんなことは初めてだ。
自分というものが心底理解でき、「納得」したからこそ痛い所を突かれても「だって俺だから」で済んでしまう。
これは大きい。
しかし言っても防御力が上がっただけなのである。
困ったもので未だに無気力であることは変わりないし、才能が開花したわけでもない。
普通に悩むし、落ち込みはする、嫉妬もする。
そう、「傷付きにくくなった」だけで本質的な所は何も変わっていないのだ。
この状態を自分なりに分析すると3分の1覚醒と言う感じ。
自分の存在、考え方、感じ方、それらを腑に落ちるところまで受け止められたが、まだ足りない。
何かが足りないのだ。
これは今後の人生の課題。
話が長くなってしまったが今の自分があるのは数秘術とテープ式のおかげである。
どちらも大切なのだ。
今、この地球では次元上昇していると言った。
33は新しい価値観で道を切り開く存在らしい。
しかし、である。
やっぱり頭の硬い俺はこう思う。
二元論から脱したい!
皆仲良くしたい!
どうもはずきさんも「古い価値観はぶっ壊せ」というからさ(苦笑)。
俺、それ嫌。
そうじゃなくて…
もう一つ別のフェーズを見てみたいというか。
だって33ってなんのために相反する性質を持って生まれたの?
そうでしょ?
そこだよね。
はずきさん、あの人7の人だし(苦笑)。
33の本当の役割がある気がしてね。
はずきさん、俺は好きだし尊敬してるよ、大恩人だね。
ても、自分の直感を信じたいんだよ。
俺はまだくすぶってるし身動きが取れない。
時間はかかるけど、もっと自分と向き合いたい。
noteの更新もなるべく定期的にはしたいけど今は少し休みたい。
今回はその報告でした。
ここからはオマケ。
実は…
9月13日にも面白い体験をした。
そうは言っても偶然だろと言われれば、そうかも知れないが。
「映像の世紀」なのだ。
Eテレのね。
録画しておいたロシアの戦争の回。
ゼレンスキーとプーチン。
これも凄まじかった…
どうもゼレンスキー、ウクライナでもロシア語圏で生まれたため、複雑な想いを抱えていたのではないか。
ロシアとの開戦前も「プーチンに膝まづいてもいいと、その代わり国民を跪かせないでくれ」と演説したり、プーチンをあからさまに敵視することはなかった。
開戦後のゼレンスキーしか知らなかったので思っていたより意識レベルの高い人だったんだなと認識が改まった。
非常に複雑なメンタリティなのではないか、とも。
この意識のあり方に直感が働いたのである。
あれ、もしかしたら…
早速ゼレンスキーの生年月日を検索。
そして…
やば…
本当に33だった。
この時も身体が震え涙が出た。
ヤバイヤバイ…
これヤバイ…
何なのこれ…
あまりにも出来すぎで怖くなった。
しかも相手のプーチンは7。
7は冷徹な完璧主義者。
当たってる…
怖い怖い。
実は33と7は相性がいい。
33の現実処理能力の無さを7が補ってくれるというのだ。
前述したように、はずきさんも7。
実ははずきさんのお姉様がなんと33なのだと。
幼少のころは、その奇人変人ぶりでトラウマになったそう。
そんな微笑ましい?エピソードもあり、数字の相性は良いらしいのだ。
火沢は今回の戦争、人間の意識におけるアセンションの代理戦争だと思っている。
この戦争の結果がこれからの人類の意識の指標になるのではないかと。
でも、現実は二元論的にウクライナの勝利で終わる可能性も高い。
ロシアの自滅とか。
火沢が思うようなドラマティックなものにはならないかも知れない。
アセンションの行く末は誰にもわからないのだ。
もし、今回の記事を読んで自分も33だと言う方、コメント頂けたら嬉しいです。
詳しい計算方法は検索すればすぐ出てきます。