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膝から音楽を流す🦵
頭の中がこんがらがる。
頭?というより体中かもしれない。
落ち着け。
落ち着かないといけないのに。膝から大音量で壮大で幻想的な音楽を流されてる気分。
スピーカーは上に欲しい
膝にはついていてほしくない。自分ではどこから鳴っているのかいまいち掴めなくてきもちの悪い感じ。
落ち着け。
家の中で自分を正当化してあげることができない。
家の中で家族と過ごすことがいつの間にか苦しくて息が詰まるのでどうしようも無い。極限まで自分に負荷をかけて泣くぐらいしか自我を保つ方法がわからなくなる。
それも結局できなくてただただ膝から音楽が鳴る。
小学生の時とかどうしてた。
ほんとうに色々なことを忘れてしまう。
記憶を呼び起こそうとして毎度同じ記憶しか見つからないので、何度も書き換えてるんだと思う。自分が感じる小さい頃の自分なんてものはもう幻想だ。
でもこの幻想部分も浅くて狭いことがコンプレックスなんだけどね
どうしようも無い
忘れてしまっちゃ仕方ない
言いたいことは特にない。
回転を止める。頭の。
会話したい時、誰にも会わない。吐き出さない。
会話にならない言葉がたくさん溜まってきたら何かしら吐き出していかないといけない。
あー20代
10代より増えたこと、減ったことが明瞭になる。
はっきり見ちゃダメなのにね。
将来の選択に自分を見誤ったと焦り、自分はこんなものじゃないとまだ何も無いものに心を躍らせている痛さを想像して心がゴリゴリと削られていく。
それでも尚、私が焦り辛くなる瞬間があるのはきっと他者に判断を委ねているところがあるから
なんだと、Podcast『OVER THE SUN Ep.69』を聴いて気が付いた。
私も幸せの価値判断を自分の中で見つけたい。他人ではない。
この回を聴いてもっと自分のことを認めてあげられるような気がした。
(これは前回エピソードの『Ep.68』 の続きなので、そちらから聞くとより深く分かります。)
何が引っかかりなのか、分からないことなんてこの先何度でも訪れるんだろう。
そのたび、本を読んだり、人と話したり、人の意見を聞くと心を毛布でくるんでもらってまあまあ、ココアでも飲みな?と言われているようで救われる。ありがたい。
全てを判ろうとしなくていいし、全て判ろうとしてくれる人も稀
理解してもしなくても、何かしらで自分がこれがいい!こうしたい!と思えることが決して多くなくても、何か有れば、本当にそれだけでいいのだと思う。
ひとまず希望を持って文章を完結できて良かった。
それでは、パソコンに向かいます
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