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#2 人生の岐路

いきなりですが、私が自分の将来というものを考えたのは高校生になって大学を選ぶという課題ができたときでした。
物心ついた幼少期から高校までの間にも、住んでいた場所や家や家族のことでいくつかの思い出はありますが、それは自分自身のことではなく子供としての環境変化みたいなもので、自分自身のことなど何も考えず、家族が作る方向に乗っているだけの一本道でした。
高3になって好きなことや仕事や将来につながる学校・学部を考える必要が出た時、初めて自分自身が決めなければならない岐路に立ったのだと思います。「将来の自分」ということを考えどの道に進むのか・・・?
結果的に立体的なもののデザインをする仕事がしてみたいと思い、その時の選択が以降の人生を作ってきたように思っています。
なぜ造形デザインに興味を持ったかというと、中学時代に図工の授業でスパナの実物を図面に描いてみる課題があり、何か面白さを感じるとともに誰よりも早く正確に描けたことで、自分に向いているように感じた印象がいつまでも脳裏に残っていて、高校でも幾何学や物理の授業が好きになり、自分の「好き」を活かせる仕事に一つに「工業デザイン」という分野があることを知りました。
当時工業デザインを勉強できる学校は東京芸大や国立大の一部と3つほどのデザイン専門私立大学しかなかったので、受験校に迷うこともさほどなかったように記憶しています。
父親が沖縄で戦死した母子家庭だったので、できれば学費の安い国立大学に入れればということで、何とか東京教育大学(今の筑波大学)・芸術学群・工芸デザイン専攻に合格することができ、自ら選んだ方向の道を歩み始めました。
大学で初めて東京で一人暮らしを始めることになり、その自由さを謳歌する楽しさで、正直なところ勉学の思い出はほとんどありませんが、卒業の頃には売り手市場という幸運もあって、何の苦労もなく大手電機メーカーの三菱電機に入社し、デザイン研究所という部署に配属され、鎌倉市大船の地で工業デザイナーとして社会人のスタートを切りました。

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