いま・ここ

あらゆる境界線に対して過敏である自分という認識からはどうあがいても逃れることができない。 なのでいっそのこと、この過敏をさらけだして、世界と対話してみようと思う。 かもしれない未来に投げ入れる、「いま・ここ」の足跡として。

いま・ここ

あらゆる境界線に対して過敏である自分という認識からはどうあがいても逃れることができない。 なのでいっそのこと、この過敏をさらけだして、世界と対話してみようと思う。 かもしれない未来に投げ入れる、「いま・ここ」の足跡として。

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#018 考えている時

考えているとき ぼくは何を考えているのかを考えてみた たとえば家を考えるとき ぼくは小人になる。 目の前には、少し前にぼくが引いた朧げな線の集合体があって その集合体が脳内にミラーリングされると同時に 小人のぼくはその集合体の住人になる。   そこでぼくは 歩いたり 座ったり 寝転んだりして いくつもの「へり」を感じながら、 朧げだった集合体が鮮明になっていくのを感じる。 鮮明になってきた集合体が、空間。 だからぼくはその空間の部位に名前をつけて、居場所を考える。

    • #017 心が意識を追い越すとき

      高校生になり、行動範囲の広がった息子。 自分の生活圏外にある公園で友達と会う約束をした息子。   ルートを知りたいというので、自転車でナビゲートした帰り道。 イヤホンから流れてきた音声に身体が突如反応した。意識よりも先に。 ある夜、一人暮らしをしていたぼくのところに母が電話をしてきた。 出かける予定だったぼくは早く電話を切りたくて、話し続ける彼女に向かって 「うっせぇな」 と言って受話器を置いた。 その数時間後、彼女は他界した。事故だった。 ぼくが19歳の時、1月のいちばん

      • #016 気づき

        2024年1月1日。 朝、目が覚めて、一つの気づきがあった。 おそらく、昨日落とした未来への一雫によって、脳裏に静かな波紋が広がったのだろう。 心に鎧をまとい、感情に蓋をする。 ぼくはいつのまにか、そうやって生きてきていた。 なぜなら、そうしないと心が壊れてしまいそうだったから。 そうやって、自分を守らないと生きていけないと思っていた。 だけど。 この鎧も蓋も、自分の中で自然に湧き起こる意思の動きに無理矢理方向づけをすることでもある。 この「無理やりの方向づけ」という概

        • #015 未来への一雫

          何気ない、ひとこと、 ささいな、ひとこと。 そこに顕在化しているのは、単なる言葉。 発せられた、あるいは綴られた文字列。 でも、 その瞬間瞬間に存在している事象は、森羅万象。 文字列は、そのほんのわずかな断片。 声色、挙動、表情。 気づき、綴るタイミング、そこに透けて見える行間。 事象は無論、 ひとことを交わし合う相手だけではない。 その場にいる他者の存在。 その場にいない他者の存在。 そしてもちろん、 事象の構成要素は、ひとだけではない。 時間、食事、、ゲーム

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          #014 誰がために法はあるのか

          裁判に関わっている。 とある現象を目の当たりにしていた原告側の証人として。 もうすぐ丸3年が経つ。 その間に裁判官が3人変わった。 人事異動だそうだ。 この裁判では、少なくとも。 異動が近くなると、裁判官は判断保留にするか、強引な和解を迫るかの2択だった。 友達の弁護士に聞いた話だが、なぜこうなるかと言えば、裁判官のノルマ評価、スキル評価に直結するかららしいのだ。 もちろん、世の裁判官全てがこうだとは思わない。 でも、この期間で接触した3人の裁判官が3人とも、異動を前提

          #014 誰がために法はあるのか

          #013 集合と限界

          「ダンバー数・150」 人間同士が安定的な関係を維持できるような集団を形成する時、 その人数には認知的な上限があるという。 その呼び名や数値自体自体にはあまり意味はないと思う。 安定的という定義も、実はあやふやだ。 それでも、確かに、 人が集団の中で「自分以外の存在」を認識するには、 一定の上限があるのは間違いないだろうとも思う。 人は自分以外の存在と接触する時に、言葉を用いる。 なぜなら、言葉は自分の意思を伝達してくれると思えるからだ。 でも、自分の意思を乗せて届け

          #013 集合と限界

          #012 境界と手応え

          何かの問いに対して答えを見出すという目的的思考構造は 脳にプリセットされている仕組み そんなストーリー理解を欲する脳構造ゆえに、 人は目的を欲するのかもしれないけれども そもそも、 「目的」という概念がなければ 「答え」を見出すという思考も生まれないのかもしれないと ふと思い そして、 「答え」という概念がなければ 「問い」という思考も生まれないのかもしれないなと、とみに思う とすると、 「目的」を欲するという思考を満たすために、「答え」という概念が作られたのかも知れ

          #012 境界と手応え

          #011 類推と洞察

          何かを見て 何かを感じること この時点では この現象はまだ「ある」とも「ない」とも言えない状態なんだろうな と思う   この感じたことを伝達する手段が  言語 この言語を他者に送って受容されたときに初めて この現象は「ある」と言える状態になる気がする   つまりは 自分の感じたことというのは 他者を介することなしには存在しえない側面も ある 自分が感じている時点では まだそれはなにも固定化されていないから   何かを見て 何かを感じて それを言語化するとき ひとは いままでバ

          #011 類推と洞察

          #010 HSP、毒、薬

          (帯) 宙ぶらりんの独白。 これは創作か否か。 ひとつの出来事だ。 出来事は、創作か。 この問い自体が、ナンセンスかもしれない。 (まえがき) これは、或る男の、脳が疲れた状態の時に無意識に綴られた文字列。 数日漬け込んでいたが、そのまま過去として存在してしまう質量を持たないように、供養として世に出す。 そのままではあまりにも無防備で、トゲトゲしていて痛かったので、その先端をヤスリで丸めてある。 (本文) 「俗にいうHSPですね」 この言葉を受けたのが、いつ

          #010 HSP、毒、薬

          #009 ガー

          「最近、ガーって言うこと多いよね」と彼女が言う。 言語過敏の僕が、普段使用している言語に対して、その極端に画素数の低い表現が面白いのだそうだ。 確かに。ガーという言葉で表現しているときは、かなり画素数を落としているなと、言われて気づいた。 同時並行で仕事を進めている時、 一般的には、タスク管理という名のもとに効率的に仕事をこなすためのフローを考えると思われる。 だが、僕の場合は、それがあまりできない。 「効率的にこなす」というプログラムが僕の脳OSには組み込まれていな

          #008 残光と残響の家

          また、写真で伝えにくい家を設計してしまった。 2023年8月に完成した、とある住宅地にひっそりと佇む住まい。 リビングからゆるやかに伸びていく天井は、2階床に近づくと急勾配になり、わずかな吹抜を残してそのまま2階天井へと伸びる。 「あそびラウンジ」と名付けた2階のプライベートリビングには、急勾配の天井に穿たれた天窓からの空が差し込んでくる。 手を伸ばせば届く距離感から普通の窓のような錯覚を覚える。 でも、ふと足元を見下ろすとそこには吹抜があり、 これが天窓であるということ

          #008 残光と残響の家

          #007B クライアントのいない個人邸の習作B

          2006年の習作。習作Aのバリエーション いびつな地形にふさわしい、いびつな間取りを考えた 直線はあるが、直角のない建物 習作Aでは繋がっていた個々の空間が 習作Bでは分離しはじめた すると個々の空間の間にあらたな境界線が生まれて、内と外を生み出す そうして分離した空間たちを、いびつな廊下が楽しげに繋いでいる 実は、廊下といっても、半分は土間なのさ そう、このお家は、おっきなおっきな玄関に、ちょこちょこっと個室がついているのです

          #007B クライアントのいない個人邸の習作B

          #007A クライアントのいない個人邸の習作A

          2006年の習作。 いびつな地形にふさわしい、いびつな間取りを考えた 直線はあるが、直角のない建物 なにかのしっぽのように、くねくねと伸びる廊下 廊下の幅もばらばらで、 そこにへばりつく個々の空間もまた、くねくね、くねくね みんなくねくねしてるから 壁で仕切られているのに、なんだか別の空間がちらりと感じられる 繋がっているけど、分かれている 分かれているけど、気配が漂う

          #007A クライアントのいない個人邸の習作A

          #006 「不」

          便利なものは良い。それはその通り、と思う とすると、不便なものはよくない、となる。 でも、ふしぎふしぎ。 便利だなと感じる前は、そのことを不便とも思っていなかったのに。 「不」には、なんだか良くないものだと感じさせる魔法でもかかっているのかもしれないな。 仏教の言葉に「不二」というのがある。 対立しているように見える二元的な事柄も、絶対的な立場からみると対立なんてしていないということ。本質は一であるということ。 ふしぎふしぎ。 「二じゃない」という否定の表現なのに

          #005 心の一雫

          昨日と今日と 6つの心が山の中に集まった 集まって、優しく整えられた自然を内臓に取り込んだ 喜んだ内蔵たちは, 心のままに口唇をゆらし、声帯を震わせる 次第に, どこからともなく、水の滴る音がする 見渡せば、 あっちの心からも、こっちの心からも、 ぽちゃんぽちゃんと、滴り落ちる そしていつしか、そこは優しさの海になった かなしみという響きは、 悲しみ・哀しみという鎧を纏っていたけれど、 その海を揺蕩ううちに 愛しみという衣装に着替えていた 6つの心の一雫に

          #005 心の一雫

          #004 見える・見えない

          樹は太陽に向かって伸びる 伸びる分だけ、地中に根を張る 本当は、地上に伸びる幹と同じくらい深く潜れればいいのだろうけれど、 地球はそれほど柔らかくない だから、水平に根を伸ばす その無数の根で地球を掴む 氷山は海に浮かぶ氷 水面から顔を出しているのはほんのわずか 残りの9割は水面下にある 重力はそれほど優しくない だから、自分のほとんどを沈める その浮力で地球の重力から自分を引き剥がす 講演会の資料を作る この20年間で、手がけた建物もそれなりに増えた その何倍もの建物

          #004 見える・見えない