ところで『怪談』って?小泉八雲って? (アイルランド・日本巡回交流美術展@長久手市 番外編)
八雲の『怪談』は、英語がはじまり
小泉八雲の『怪談』ばなしにインスパイアされたアイルランド・日本両国のアーティストによる巡回版画美術展「怪談~ラフカディオ・ハーンとの邂逅」、長久手市文化の家での11日間の展示が無事終わり、実行委員の代表である大野光子先生(当会顧問)をはじめ、入れ替わり立ち替わりで毎日お手伝いをしていたメンバー全員、少しホッとしているところです。
ここでちょっと振り返って、アーティストたちが触発された『怪談』ってどういうものだっけ?というご質問があるかもしれませんね。
これには、美術展に先立って8/11に開催した当研究会の怪談ストーリーテリングのブログをご覧いただくと、このおはなしはまず英語で書かれたものだ、ということがわかります。
また小泉八雲記念館のこのページにも詳しいことが載っていました。とても参考になります。
このところ美術展の作品やイベントの事をたくさんお知らせしてきましたが、美術展の展示会場を出た所に作った小泉八雲と『怪談』を紹介するコーナーのこともお伝えしておきましょう。
これは本来は、当研究会がアイリッシュデイズ2024の9/21-22のマルシェに出店するブースで展示しようと思って準備していたものだったのですが、9/18に美術展が始まって、小泉八雲や『怪談』に関する情報の補足として、ご覧になった方のご参考になるかも、と思いつき、急遽、この位置に11日間の展示期間中設置することになったのでした。メンバーが持っている書籍や資料を持ち寄っています。
後ろの黄色いタペストリーの説明は、美術展が準備して展示していたものですが、ちょうどその前に置くと、あらまぁ、最初からそういう企画だったのか、と思えてしまうくらい調和していませんか?
書籍の中には、8月に行なった「怪談バイリンガルストーリーテリング」で使用させていただいた『怪談』(ラフカディオ・ハーン 著、円城塔 翻訳)や、出版されたばかりでご献本いただいた八雲の伝記小説『黒い蜻蛉』(ジーン・パスリー 著、小宮由 翻訳)、NHKEテレの”100分de名著”でも取り上げられた「日本の面影」(ラフカディオ・ハーン 著、池田雅之 翻訳)など、その他には特集で取り上げられている雑誌なども並べておいたところ、会場を出られたご来場者様たちが、たったいま鑑賞されたばかりの作品を思い浮かべつつ熱心にご覧になり、八雲や怪談についての知識をより深めていただくのに一役買うことができたようです。『怪談』がこういう内容だったというのをご存じなかった方も案外多く、美術展の作品と共に、そのことをお伝えする機会ができてとてもうれしかったです。
では、小泉八雲ってどんな人だったの?
作家名の小泉八雲というのは日本名で、本名はパトリック・ラフカディオ・ハーン。父親がアイルランド人、母親がギリシャ人で、ギリシャ生まれ。生まれた場所がレフカダ島であったので、ミドルネームがラフカディオ(=レフカダ島の)になった、ということのようです。誕生当時、アイルランドはまだ独立国ではなかったので、国籍はイギリスに。
イギリス軍医だった父親のチャールズが、イギリスの保護領であったレフカダ島に駐在した際に、同じイオニア諸島の島出身の母親ローザと結婚。三人兄弟の次男。父親の仕事の都合で、生まれて数年でアイルランドに移動、その後両親は離婚、大叔母に育てられて子ども時代はアイルランドで過ごしていた。フランスの神学校に入るがやめてイギリスの学校で教育を受けます。在学中に遊びの最中に左目を失明。後見人である大叔母の破産のため、大学を退学し、その後アメリカに渡る。この頃が20歳くらい。アメリカでは苦労した後ジャーナリストとして働き、オハイオ州、ルイジアナ州と移動、その間に最初の結婚をしています。その後、カリブ海に浮かぶフランス領西インド諸島に滞在した後、雑誌出版社の通信員として日本に移動。これが40歳くらい。
出版社はすぐに辞め、松江の中学校で教えることになり、小泉セツと結婚。その後も、熊本、神戸、東京と移動して、46歳頃、東京帝国大学の英文学講師となる。最後は早稲田大学に移って半年後、54歳で亡くなるまで日本に定住。
ちょっと地図を作ってみました。(研究会のGoogleマイマップです)
この地図を見ればわかるように、アメリカを挟んで、ヨーロッパ→アメリカ→日本という方向で移動したわけです。
地図で各地点をクリックすると、地名や居住していた年齢などの情報がご覧になれます。右上の拡大ボタンで地図だけがGoogleマップで大きくご覧になれます。
(地図に載せた各地点の情報は、『"KWAIDAN"小泉八雲の『怪談』で英語を学ぶ』(小泉凡 監修、諸兄邦香 翻訳)を参考にさせていただきました)
アイルランドの祝日セントパトリックデーで有名なパトリックがファーストネームなのにもかかわらず、それを使わずラフカディオを使うようにしていたのは、それがキリスト教につながるからだったようで、アイルランドでの子ども時代の厳格なカトリックの生活環境が影響しているらしい、という話があるようです。
ラストネームのHearnは、ハーンという読み方が日本で松江の中学校に赴任した時の辞令に「ヘルン」と書かれたことから松江ではそう呼ばれるようになったそうで、本人もこの呼び方が気に入っていたらしいですね。そして最後は日本国籍を取得し、小泉八雲という日本語の名前まで持つことになった。
名前だけでもこんなにいくつもの逸話があり、移動が多く、人生の中で生活して住んだ場所が何か所にもわたるハーンは、きっと色々なものを見て、聞いて、体験して、多文化への許容度が広く、何にでも好奇心を持ち、とりわけ子供時代に育ったアイルランドのおはなしはもちろんの事、各地に伝わる物語に興味をもっていたことは間違いなさそうです。
今年は120周年がダブルで!
そんな八雲の人生の最後に、妻のセツが語った日本の昔話を再話として『KWAIDAN』にまとめ、アメリカで出版されたのが120年前。「W」が入っているのは、セツの言葉の音(出雲弁)をそのまま表したことによるそうです。
セツがいなければこの『怪談』は生まれていなかったかもしれないというのも過言ではなく、来年の秋の朝ドラ「ばけばけ」で取り上げられることが決まり、いまから待ち遠しいです。
さらに、小泉八雲は、9/26が命日で、今年は没後120周年ということで、ちょうど怪談巡回版画美術展の最中にその日を迎えていました。これも八雲のお導きかしら?小泉八雲記念館のXで紹介されています。
「怪談(KWAIDAN)巡回版画美術展」はこの後も各地に各国につながっていきます
この「怪談~ラフカディオ・ハーンとの邂逅」巡回版画美術展についての詳しい情報はぜひこちらのサイトでご覧ください。この後も、日本だけでなく、アイルランドその他の国での開催も決まっています。来年には大阪万博でも展示予定のようです。
今回の長久手での開催についてはこちらに掲載されています。
長久手市での開催は終了しましたが、次は、富山での開催がもうすぐ始まります。富山大学附属図書館にて。詳しくはこちらを。
どこかでチャンスがあれば、ぜひ足をお運びいただければ、小泉八雲の『怪談』の世界を通して、この世、あの世、のいろいろな旅の疑似体験ができるかもしれませんよ。ご覧になるときっと八雲の『怪談』を読んでみたくなるはずです。
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